つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

友達に求めるものでおつきあいの方法は違ってくる

 

FC2のブログからの読者さまへ


FC2のブログからこちらにいらしてくださった方々、どうもありがとうございます。
細かく見てみたらFC2の方が混在コンテンツやダブった記事などいろいろややこしいものが残っていましたので、きちんと削除出来たので、それはすごくよかったと思っています。

 

さらには更新作業がひとつでいい、というのはやっぱり楽です。すみません (^_^;) FC2の方は何度も勝手にFacebookにリンクされていたりしたので、それなりに困る点もありました。そのかわりにはてなFacebookへの自動リンクが出来なくなってしまったので手動でのリンクを余儀なくされましたが、まあ、仕方がないかもしれません (ーー;) たまに忘れたらごめんなさい。

 

 

 

中二病というのを見かけたので…

 

小学生の時に、いきなり「もう子供ではない」という明確な目覚めを認識してしまった私は、小学5年生にして思春期に片足突っ込んでいたような気がしますけど… (^_^;)

 

そうすると小学生であっても中二病と言われるような状況がしばしば出てくるような気がします。

 

 

中二病Wikipediaより抜粋)

 

中二病(ちゅうにびょう)とは、「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。

 

ラジオ番組『伊集院光のUP'S 深夜の馬鹿力』で生まれた造語。1999年1月11日放送の同番組内でパーソナリティの伊集院光が「自分が未だ中二病に罹患している」と発言し、翌週から「かかったかな?と思ったら中二病」(1999年1月18日 - 3月22日)というコーナーを立ち上げ、リスナーから募った「症例」(と銘打った投稿ネタ)を体系化させていった。伊集院本人が指標として挙げた例は「『因数分解が何の役に立つのか?』『大人は汚い』と言い出す」「本当の親友を探そうとする」など。

 

 

 

…こういう心理状態ってきわめて当然の発達段階のように思うんですが…。みなさんきっと似たような状況を経験してるよね。長い短い、浅い深いの違いはあったと思いますが…。

 

私も小5以降、特に中学生になってから、ずーっと「正解のない問題」を考えていて、その頃はそれが哲学的テーマだという認識もないまま、気付いたら考えずにいられない人間になっていたわけです。

 

だから同じくらいの年齢の子は同じようなことを考えている、と当初は信じていました。だから「親友」というのが欲しかったのですね。

 

まあ、クラスメイトというと本当に他愛のない会話をするとか、一緒に登下校するとか、そういう友達はいるにはいましたが…。道草したりとか、それなりに楽しかったですが、でも、私が当時飢えていた「哲学的な問題」について話すことが出来る相手がいなかったのです。

 

中学高校に進むにつれて、そういう話が出来る相手をずっと探していましたが、どうやら学内という狭い範囲では見つけることは不可能だと悟りました。

 

 

 

ふたつに分かれるのね


どうやら友達には2種類ある。いや、そもそも人には2種類の人がいると思ったほうがいいのかな?ひとつは生と死や生きる意味や、哲学的なことを考えずにはいられない、万年中二病みたいなタイプ。もうひとつはそういう重いテーマをあまり考えなくても生きていけるタイプ。どちらがいいとか悪いとかじゃないんですけど。

 

ただ、それはほとんど天性のもののように違っていて、軽いつきあいなら誰とでもわりと可能なんですが。でも思春期以降に哲学めいたことを話そうと思うと自然と相手を選ぶようになります。もともと重い話やテーマが苦手な人には逃げられる。私はそこで高校生のころに学校内で親友を作るのを諦めた次第です。

 

折りも折り、膵臓の病気になったためにわりと長期の療養を余儀なくされて、あんまり体力はないけど、なにか手を動かすくらいは出来たので、考えました。学内で見つからない話し相手はもっと広い世界で探せばいい。

 

当時のコミュニケーションは文通だったりします。雑誌の欄外でペンフレンドとカットの交換をしてくれる相手を募集しました。そうしたらなんと50名くらいの人から手紙をもらいました。その中から同世代で、趣味が似ていて気が合いそうな10名ほどの人と文通を始めました。それがきっかけで漫画の同人活動も始まったのですね。

 

全国規模のサークルも出来ました。主に交流サークルだった気がするけど、結構そこからプロデビューした人もいましたし。若いっていうエネルギーはいいなあ、と思う。いろいろあったとしてもやり直す力が残っていたりするからね。とりわけ仲がよかった友人とは合作もしたし、よく泊まりにきてもらって語り明かしたし。「哲学的な話が出来る相手」をとうとう見つけたんですね。

 

それから40年あまり、形は変わってもなんとなくおつきあいはいまでも続いています。さすがに私はこのごろ手紙はなかなか書けないけど (^_^;)

 

 


この先は学問じゃなくて人間から学びたい


私も万年中二病だったんだなあ、と改めて思います。でも治したいとは思ったことないなあ。得るものの方が大きいもの。「正解のでない問題」とずっと対峙しているのってわりと楽しいんですよね。

 

私が結構いろんなややこしい問題にぶつかってもめげにくいのはそういうものを常に抱えているせいかもしれません (^_^;) 正解のない問題に対するレジリエンス、っていうのかな。ネガティブ・ケイパビリティもそうかもしれませんね。答えの出ない状態にそれでも耐えるというか、そういう力。

 

どういうものからでも学ぼうという意識が自分にあるのはわかります。失敗しても挫折してもそこから得るものがあるのはわかっているので、だから折れにくくなるのかな?とも思います。特定の技術や学問じゃないんですよね。私の場合のこの先は人生そのものからの学びがテーマだと思います。

 

楽しいじゃないか (^_^;)

 

 

 

 

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