どうしても心身の衰えを感じるこのごろ (ーー;)
このごろ、目が覚めると頭痛が定番になっているので、どうしても朝は鎮痛剤を飲んでしまいます。今朝もご飯を作ってから、たまらなくなって飲みました。明らかに機嫌が悪かったと思います。水も冷た過ぎて手の感覚がないし…。おかず1品しか作れなかったけど、あとはどうしようかなあ…??ご飯を作るのはいつまで経っても好きになれません (ーー;)
昨夜、ずーっと思い出していたんですが、父の介護が始まったのが2006年の1月でしたので、中休みが2、3年あったけど足掛け12年(丸12年か)介護に関わっていると、それだけ私も歳を取ったし、病気と二人三脚だし、やはり体力も気力もダウンして当然だなあ、と思います。特に今年になってからは…。
2015年の自室のリフォームとか、去年秋のお風呂のリメイクとかも、思えばよくやったよね、と思います。その最中はわりと無我夢中で動いているんですが、あとになってからどーっと堪えるのが私のパターンで…。
去年はまったくどこにも出掛けていませんでしたし、今年はもうちょっと動けたらいいんですけど…。家族にも手がかかるのはありますが、私が手を離すとどうしようもなくなるので、これは運命だと思わないと仕方がないですね。親戚とか母の兄弟も高齢になりましたし、孫たちも遠方だし、近くで動けるのは私しかいないけど…。まあ、その覚悟のおかげでパニック障害も治ったんですけどね (^_^;)
明日、行けたら母のところに行こうかなあ、と考えています。お稲荷さんにも行きたいけど、インフルエンザ要注意だしなあ…。(在宅介護の時も家の中にウィルスを持ち帰らないように細心の注意を払ってました)
圧倒される作品と出会った時
さて。昨夜見つけたアンケート。
何かしらの創作活動をしている人に質問です。圧倒的にすごい作品を見ると「自分にはこんな作品は作れない…」と絶望し、創作意欲を失うのですが、皆さんはどうですか?また絶望しなくてすむ方法があったら、よろしければ教えてください。色んな方の意見を聞きたいので拡散してもらえると嬉しいです。
— ぱす田@アンケート回答お願いします (@pastara1) 2018年1月23日
興味深いテーマだったので、私も参加させていただきました。
私は生き方そのものがそうなんですが「自分と他人を比較しない」人間なので、どんなにすごい作品を見ても、圧倒されても素直に感動する方で、その作品のために絶望することはありませんね。「ああ、この人は自分が描きたい世界をここまで表現することが出来たのね。よかったね〜」と思う。
そして自分が表現したい世界はあくまでも私の中に存在しているのだから、もっとも理想的に描くことができる可能性があるのは自分しかいない、ってことになるんですね。
これは人生そのものにも当てはまりますね。その人が持って生まれた「人生のテーマ」みたいなものが人それぞれにあると思うんですよ。自分が最もやりたいこと、向いていると思えること、喜びを感じることが出来るものは本当にみんな違うのが当たり前だと思います。
だから画一的な進路ではそれを充分に活かすことが出来ないし、その人が求める本当の喜びに辿り着きにくくなる、というのはありますね。だから私は学生時代の競争にはほとんど意義を見いだせない人間です。だって目指す方向はいろいろだしね。
人生の喜びについて
そういえば数日前にこんな記事を見つけました。
「創る」というのは内面的ではありますが、能動的なことですしね。確かに夢中になるとこれほど幸福なことはない、と感じてしまうものです。
まだ若い筆者の方の記事に付け加えるとしたら、この年齢になるとしみじみとわかるんですけど、「創る」ことの他にもう一つ「誰かのために何かが出来ること」「そのことでどこかに喜んでくれる人がいる」っていうのも大きな喜びになりますね。
身近なことを見ながら全体を考えることとか、そういうのもあるし、個人的なことが全体的なことにどういう風に繋がっているのか?と想像しながら行動するのも楽しいなあ、と思います。
そんなふうに「波紋を伝える」みたいなことが喜びにもなるなあ、と…。これは年齢を重ねるほどに強くなる実感ですね (^_^;)
共通テーマは「その人らしく生きること」だね、きっと (^_^;)