母のところに行ってきました
今日は珍しく1時間くらいいたかなあ、と思います。TOKIOのアルバムをかけて、最後の曲まで聴いたから…。相変わらず暖かくて眠気が押し寄せる部屋ですが。
掛け時計が欲しいようなので、今度までに用意して持って行こうと思っています。目覚ましだと自分で触って見れないしね。白地にはっきりした数字のがいいなあ、きっと。
今日は幻のお医者さんは見えないようでした。「今日も先生来たはる?」と聞くときょとんとしていました。
いつも看護師さんが朝ご飯の分の胃ろうを外しに来てくださいます。うちでは私も普通にやってたけど、施設では手は出しません。で、世間話というか、家の報告を一方的にして、首の動きと表情で肯定と否定を判断して、次に必要なことを決めて帰ってきます。
今日はえらく人が多いなあ、と思っていたら東福寺の紅葉のお客さんなのでした。交通規制も入ってるし。コンビニのトイレに列ができているのを初めて見たかも…。伏見稲荷とセットで来られる人が多いんだろうと思います。タクシーは入れる、と運転手さんが確認されていました。
振り返れば紅葉の様子が見れるのに、なーんか人が多いと言うだけで振り返る気にはなりませんでした。まわりの山はそれほど紅葉してない気がしますけど…。ま、日曜日だしね。来週なら平日は少しはましかなあ?と… (^_^;)
先に確認して欲しかった…
ミントさんの記事から…。
私の経験では、お世話になった病院では、必ず入院の時に終末期の延命措置について訊かれて確認されます。父の時も母の時もそうでした。いずれの場合も気管切開と人工呼吸器はやめて、とお願いしました。本人にとっても苦しいらしいですから…。
胃ろうの造設の時には「心臓マッサージとかだと骨折の危険もありますが…」とのことで、年齢も考えて「それじゃあ、心臓マッサージもなしで」とお願いしました。
私はいつも出来る限りの人の体験談と、医療の専門家のご意見とかを参考にして、「どこまでやれば私も悔いが残らず、本人も苦痛がなくて済むのか?」という区切りを決めています。
生命に関わる一番大切な決定ですが、うつだから無理とかってとても言えない状況なので、やはりしっかりと考えます。
入院時にちゃんと話をして決めてもらえるのは病院の良心でもあるかな?とふと思ったり…。ミントさんのご友人のお父様のように急変はあり得ると思うので、あとからでは遅いですよね…。ちょっとやっぱり悔やまれますね。
胃ろうの場合は微妙に違いますが…
胃ろうの場合はケースバイケースだと思っています。
この記事はあとで、介護のSNSにも掲載してきました。やはり誤解をされている方も少なくなかったようで、実際に家族の体験談は役に立てたようでした。選択肢が広くなる利点はあるんですよね。
だから選ぶのは本人とご家族ですが、こういう選択肢はある、と認識してもらったほうがいいな、と思っています。
うちの場合は両親とも胃ろうのお世話になりましたが、おかげで突然ではない、ゆっくりした死の心構えと悔いがない介護が出来て、双方に良かったと思っています。
(でも私自身は介護してくれる家族がいないから不要ですが)
昔の作品を発掘するシリーズ(?)
完全アナログ原稿です。
同人誌活動の最後の方で、オリジナルの便せんを作りました。20年近く前かなあ…。
源氏物語の4枚連作です。裏面は文字を書くスペースの両面印刷ですね。B5サイズです。
「澪標」源氏と紫の上
「槿」朝顔の斎院
「初音」源氏と明石の上
「橋姫」 大君と中の君
もうこんな精密な原稿は描けません〜 (;゚∀゚)