お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

生きるというのは基本的に非常に疲れることだと思う

 

ぼちぼちですが…


羽生さんのSPが素晴らしかったおかげで、ちょっと元気をもらえた気がします。なかなかそこまで気力をもらえる人は少ないと思う。Twitterには実力派の羽生絵師さんが多いですが、それも納得出来る気がします (^_^;)

 

 

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で、私もひさびさにペンタブに向かいました。短い時間ですが、ぼちぼち描いてみています。でも本当に久々なので、みなさまにお見せ出来るかどうか、もうちょっと進展しないとわかりませんが…。

 

ひさしぶりにペンタブを使おうとしたら、机が狭い (T-T)

いや、前から狭かったんですけど。ここは右にキャビネットがあるから余計にね。

 

 

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思わずドリンクホルダーみたいなものを注文してしまいました (^_^;) 万一こぼしても被害が最小限ですむやつ。「机が狭いというより、モニタが大きいんですよ」と言われてますが… (^_^;) でも大きくないと老眼には辛いんです (/_;)

 

漫画家さんでも老眼がひどくてペンで描けないという方も少なくないので、拡大が可能なモニタはありがたい限りです。

 

 

 

 

 

延命という課題について

 

なんだかいまTwitterの方でプチバズみたいになっています。

 

 


延命治療に関わるあれこれなんですが、胃ろうについては父も母もお世話になっているので、私なりに言いたいこともありまして。

 

父が胃ろうになったのは2006年、母が胃ろうになったのは2017年かな。その10年ちょっとの間に胃ろうに対する評価は変わりました。

 

父の時には高齢者医療でも嚥下障害のある場合は推奨される傾向にありました。ところが母の時になると、世間の風潮が一転「胃ろうは悪いもの」みたいになっていました。

 

その変化の裏に見えてくるものっていうと、やはりお金絡みのことで、高齢者に無駄にお金を使って延命させない方がいい、というような意思が見え隠れしています。

 

介護する側にも医療者にとっても問題はいろいろあるわけで、気が付いたら「無駄な延命はよくない」方向に風が吹いていた次第です。

 

 

 

たぶん考えることに意義がある


さて。無駄な生命とか無駄な延命とか、そういうのは誰が決めるのか?高齢者ではなくても重い病気になって、余命宣告を受けてしまった人にとっても問題です。苦痛を和らげるために、なにをどこまで処置するか?ですよね。

 

世論は両極端に走りがちです。

 

私としてはそういう生命に関わることを法律とか制度とか規則とかで決めて欲しくないのですね。訴訟を起こされたくない、というお医者さんたちの気持ちもわかります。千差万別でとても難しい課題です。

 

だから選択肢は多くあった方がいいし、患者さん本人はもとより、家族も医療者も介護関係者も存分に話しあって、信頼関係を深めてチームとして見守って欲しい、と願ってしまいます。

 

父の時はそういう理想に近い形の看取りが出来たと思っています。

 

母の時も嚥下障害はあって、特養でも「胃ろうにされるなら体力のある早い方がいいですよ」と言われたし、母にも相談すると、「うん」と言ったんで、その意志も尊重させてもらいました。どのみち悩むんですが。

 

どうせなら最適解とか納得解を目指さないと悔いが残るので…。いくら話しあっても考えても無駄じゃないと思いますよ。それこそが生きる意義なのかもね (^_^;)

 

 

 

マジでぼーっと生きてた時なんてないわ〜(-_-;)

 

 

 

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