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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

胃ろうを悪者にするのはやめてくれ

 

アミノバイタルも入ってきたので、もうちょっと書きます。時折幽霊のように甦る結構間違った「胃ろう」についての話です。

 

いつも一方的に言われ放題なので、もう大人げなくてもええわ、ずっと言いたかった事を書こうと思いました。今年弟の入院中にあったことが医療過誤になるなら、似たようなイメージもあるかもね。

 

2006年1月、私の父が脳梗塞で倒れて、当初から嚥下障害があったんで、胃ろうにしたのがその年の前半でした。当時の父はまだ75歳、身体も立派で頑健でしたので、改善するかもしれない希望が大きかったんですね。「胃ろうははずせる場合もある」というのが大きかったです。その希望が捨てられませんでした。その希望がなければ決意出来なかったかもしれません。私はいついかなる時も希望は捨てていません。

 

忘れてもらいたくないのが当時の医療界の胃ろう推奨の気風でした。非常に前向きでした。その後どうして180度転換したのか説明して欲しいものです。裏で製薬会社などが動いていた可能性もあるのかも。

 

そしてそういう姿勢にもっとも翻弄されたのは私ら家族です。在宅で胃ろうの世話としていたご家族にアンケートしてもらいたいと思います。穏やかな生涯を全うするために役立った人、うまく行かなかった人、どちらも正直な家族の声を聞いていません。幸せな最期を迎えられたご家族のことはNHKかどこかの見逃しテレビで見かけたことはありますが。まだまだ新人の看護師さんが知らない世界があると思うよ。

 

こまかいことはほぼ全部当時のブログに書き残しています。お暇が方は2006年以降のエントリを見て欲しいと思います。母の死が2018年でしたので、中休みを含めても10ねんくらいあるんじゃないかな。

 

服薬も食事も私が管理していました。父の場合は3年10ヶ月近く。母の場合は胃ろうをお願いするようになったのは特養に入居してしばらく経ってからですが、特養のケアマネさんに「胃ろうになさるなら、少しでも体力があるうちの方がいいと思います」と言われました。この特養は隣が病院で、そこの看護師さんがなにかと世話を焼いてくださり、その利便性もあって入居させていただいたものです。

 

母が発病当初からあんまり食べてくれなくて困っていて、母本人にも相談したんですが「胃ろうにする」と母が言いました。父のことはしばしば手を貸してくれていましたし「胃ろうがどんなものであるのか」も周知していました。私はあくまでも本人の意思を尊重するつもりでした。

 

胃ろうが無理なご家族にまで無理に進める気は皆無です。患者さんも十人十色ですから。

 

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なにしろ20年近い昔の事になります。医療関係者でも若い方は見たり触れたりしたことがなくても不思議ではありません。でもなかば伝説化(?)しているから誤解が多くてメリットの部分は取り上げられていない、あげくに胃ろうは悪者扱いにされています。ひどいです。言っとくけど、経管栄養よりもずっと楽に栄養が取れると思います。消化吸収機能がまだお元気であれば。

 

 

胃ろうに関しては実際にやった事がない人ばかりでなくて、時には医療の関係者の方がまた聞きの話で悪者にされるのはやめて欲しいです。私は現実を知っているから間違った行為だとは思いません。もっと正しい認識のうえでご意見お願いします。

 

無駄な延命と違うこととに患者さんのケースに対応してラインは動いて当り前だと思って欲しい。事実私の両親は非常に穏やかで安らかな亡くなり方をしています。浮腫なんて日常の私のほうがひどいくらいでした。我が家の場合の真実です。

 

 

介護って家族と医療スタッフと介護スタッフと身近に直接関わる人たちだけがそれと本人が決定権があって、はたからいらん事はいわれたくないんだよね。ただし情報と参考資料は欲しいけど。

 

 



 

たっつあんさんのTweetを引用させていただきます。(たっつあんさん、引用ごめんなさい)

 

 

 

「わたしには母が生きていてくれることが心のよりどころなんです」という、ある娘さんの言葉が忘れられない。口から食事ができなくなってきたAさん(女性)の娘さんをお呼びして、施設のDr.から状況説明が行われた。選択肢は2つ。このまま自然な形で最期を迎える『看取り介護』か、胃に穴を開けて(続チューブで直接、液体の栄養剤を流すことで食事の代わりとする『胃ろう』をお腹に造るか。

 

娘さんは即決で『胃ろう』を選択された。Dr.の説明後、ケアマネと担当の看護師と、介護を代表してぼくがお話することに。娘さんの決断をお聞きし、あまりに意外だったので改めてお気持ちを伺おうと、お時間を頂いたのだ。高齢者の『胃ろう』は、お身体にムリをさせて延命することで、よりご本人を苦しませることになるリスクがあるので、ご本人の意思も踏まえて慎重に選択すべきという考えが、ぼくたちにはあった。それが、「娘さんの一存で即決」だったことが意外すぎたのだ。ほんとに大丈夫?というのが正直な思いだった。

 

お時間を頂き、娘さんに”Aさんがより苦しい思いをされるかも知れないというのを、再度、看護師から説明させて頂いた時、凛とした振る舞いで「わたしには母が生きていてくれることが心のよりどころなんです」という言葉が返ってきた。その真っすぐな想いに圧倒され、ぼくたち3人は、「わかりました。引き続き、全力で支援させて頂きます」というのがやっとだった。ぼくは自分の心配を恥じた。Aさんがより苦しむかも知れないのなら、それをも軽減できるように関わればええやんそう思いつつ、「人は人に必要とされて生きている」という、いつか耳にした言葉を思い出していた。

 

 

 

 

ケースバイケースですね。胃ろう造設後にいかに生きるかがテーマです。胃ろうでも寿命がくれば死にます。だから私は母の心臓マッサージをお断りしました。これもひとつの選択。

 

 

ここ十数年で胃ろうに対する見方とイメージが正反対になって、もっともとまどったのは家族だと思います。はっきり言えばとても迷惑💢 意識のある場合はお別れの準備と心構えに時間が取れますし、本人が死を受入れるのもスムーズでした。無駄な延命でなければ選択肢としてありだと思います。最後の贈り物ですね、貴重な時間という

 

胃ろうでも充分な余裕がある看取りが出来ましたし。

 

 

 

胃ろうに関しては実際にやった事がない人ばかりでなくて、時には医療の関係者の方がまた聞きの話で悪者にされるのはやめて欲しいです。私は現実を知っているから間違った行為だとは思いません。もっと正しい認識のうえでご意見お願いします。

 

介護って家族と医療スタッフと介護スタッフと身近に直接関わる人たちだけがそれと本人が決定権があって、はたからごちゃごちゃ言われたくないんだよね。なにもしないのに口だけ出すのは迷惑だからやめて。なにもしなくて口だけ出す人は迷惑。ただし情報と参考資料は欲しいけど。

 

 

 

介護の方法も時代と共に変わるのがあたりまえで、私らよりも先輩の介護のやり方がたとえ現在と違っていたとしても、私は責められないです。なんかもう懸命な気持ちを思うと想像だけで泣けてきちゃってね(_・、) 少しずつ是正していけばいいんだと思います。そもそも「正しい介護」ってなんだ? 患者さんそれぞれにとって最良かもしれない選択があると思います。

 

在宅介護で家族が頑張って無事に人生のハッピーエンドに導けたのに、あとから「あれはよくない」とかいわれのないことを指摘されたらどういう気持ちになると思います?じゃあ、あなたはそのとき何をしてたんですか?って言われない??あんたにそんなこと評する権利ある?? いちゃもんもいいとこです💢

 

はっきりいうと私ら家族はめちゃくちゃ傷つくからやめて欲しいねん。。わたしは滅多に「傷つく」とかって言いませんが。本当に間違えていないことに対してごちゃごちゃいわれるのは逆鱗に触れるのよ。この私をして死にたい気持ちになせるのよ。あんたら私に死ねというのかね?なにをどれだけ努力sてきたか知りもしないでね。ましてや私は障害者ですから💢

 

 

それは一度しっかりと言いたくてこのエントリを書きました。無責任に他人の人生を否定するのはやめてくれ。ジャッジもいらない。胃ろう=食事はいのちのことなんだしね。

 

在宅で胃ろうの世話を覚悟する家族は自分の人生くらい賭ける覚悟ができてるよ、とっくにね。家族も命がけでしたよ。だから上のエピソードの娘さんも大丈夫だと思ったの。

 

私らの症状を悪化させる可能性を持つ人はたいてい雑な神経の持ち主だなあ、と思う。

 

 

 

私らが細心に注意をはらったこともぶちこわしていく人もいます。国際問題とかもそういうのあるよね。それは一見「正しさ」という仮面を被っているのかもしれないけど。

 

ともあれ、書けたからよかった。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

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