廃品回収来てくださいました。水槽の中のホースとか自転車部品も一緒にお願いしたらちょっと予算より増えて22000円(税込)になったけど、気分はスッキリしました(^^)やれやれ(^^)
でもシンプルな機能しかない新しいレンジの価格より、処分費用の方がはるかに高くて痛かったです(ノ_・、) 運転出来る人なら自分で持ち込み可能なんだろうけどね…。
空想を味方につける
HSPの友達から「ねえ、HSPかどうか確認する方法って何かあるかな?」って相談を受けたので、『青空の写真撮ったり、夕焼けみたり、あと、雨あがりの地面が、キラキラ反射するのをキレイだなって見てる人』に彼は「もしかしてみんな見てないの?」って驚いた。ビックリした人は繊細さん可能性大ですよ!
— さとこ| HSPカウンセラー (@satoko_blessyou) 2022年10月17日
うーん。微妙に合ってるような違うような気がする。
私も空とか風景とか見てるけど、そこからすぐに無意識に空想に飛ぶので、写真撮ったりはほぼないです。すぐに空想に入るから他の人の反応とかも見てないですね。気にしてないです(^^;) なにかを想像する人って普通にそういうタイプじゃないかなあ。
いや、他の大人はあまり空想しないと言われたほうがびっくりです。みなさん、なにを楽しみにしてるの??子供の頃からナチュラルに空想していたから、しない方が不自然な感じ。
ただし空想で気が散ることはなくて、しっかり現実対応も出来ています。HSPあんまり関係ないかも…。だから困る要素がありません(^^;) 切り替えも慣れてますね。空想で気が散るという人は性格を変えたいと思っておられるようですが、なんか勿体ない気がします。
以前、ちょっと仕事で絵を描いていた時とか、「こういうイメージがいいんですが…」というお話を聞いている途中で脳内にイメージが浮かんだらお受けします、と答えていたことがあります。これはデザインも同じで、「話を聞いているとかなりリアルにイメージが浮かぶ」というのが大事な要素でした。そういう仕事はうまくいきやすいので(^^;)
内なるキャラに何度も助けられてるから現実を生きる大きな力になっています。幸せの大きな要素です(^^) 私の場合は現実逃避ではありませんね。
いや、実はもう彼らがイマジナリー・フレンドなのかどこからかやってきたものかよくわからないのですが、あえて分類する必要もないか、とは思っています。まあでもこういうのって普通は存在しなくてもおかしくないかも…(^^;)
多いだろうねえ。小説も漫画も(^^;)
これはどうなんだろう?自分では脳の効率がいいかどうかはわかりませんが、興味深い結果ではありますね。テストには気が散らなければ余裕があるほうが落ち着いて臨めるとは思いますが。
私は不思議と定期テストの前に緊張したことがないので、切り替えのタイミングを捉まえるのがうまかったのかもしれません。空想できるというのはリラックス出来てるということですしね(^^;) それがあれば空想好きはプラスに生かせると思います。
いつも胃ろうが悪く言われる
私はだから怒ってたんですが、先日来、Twitter界隈で話題になってた話です。
ちゃんと専門家の立場から説明してくださいました。長いので、文章だけピックアップ。限りなく個人的メモに近いですが(^^;)
胃瘻が話題となってますが、主論点とはややずれるんですけどすごく引っかかる誤解を何度も見かけるので。胃瘻の目的を「肺炎予防のため」とするのは間違いですよ。胃瘻の主目的は肺炎を防ぐことではありませんし、そもそも胃瘻にしても肺炎は防げません。これ、医師の間でもかなり誤認されています。
— EARLの医学ツイート (@EARL_med_tw2) 2022年10月19日
胃瘻が話題となってますが、主論点とはややずれるんですけどすごく引っかかる誤解を何度も見かけるので。胃瘻の目的を「肺炎予防のため」とするのは間違いですよ。胃瘻の主目的は肺炎を防ぐことではありませんし、そもそも胃瘻にしても肺炎は防げません。これ、医師の間でもかなり誤認されています。
胃瘻にするかどうかを患者や家族に説明する際に「肺炎予防のために」なんて絶対言っちゃダメですからね(あとで家族とトラブルになりますよ)。食物誤嚥対策と肺炎予防は別です。食物を誤嚥しなければ肺炎が起こらないわけではないです、不顕性誤嚥は普通に起こります。
胃瘻がなされる目的は主に3つ(繰り返すが肺炎予防のためではない)
①栄養改善をはかりながら嚥下機能訓練を行い経口摂取が可能となるまでの手段
②完全な経口摂取への移行が無理な患者で栄養状態を維持しつつ少量経口摂取を継続するQOL維持
③嚥下機能の恒久的低下により生命維持のための終末期医療
このうち議論になるのは③のパターンで、延命処置とも言えるものです。逆に言えば①と②はそうではないので、胃瘻をまとめてよくないものとしてしまう議論はやめてほしいです。使い方の問題ですよ。
終末期で胃瘻を希望される患者や家族は昔よりかなり減りました。ただ、胃瘻に対して過剰なマイナスイメージが持たれてしまっているのも事実で、その結果、「胃瘻はしないけど長期の経鼻胃管挿入で経管栄養する」という謎対応や、胃瘻併用下の嚥下訓練が行われていなかったりするのは残念な話です。
ついでに、この超高齢化社会の日本において、医療費に占めるいわゆる終末期高齢者の医療の割合はせいぜい数%。国の医療財源圧迫要因とは程遠いです。一方、米国は高齢者が増えてないのに医療費が増大していて、主たる要因は医療技術。「医療費の莫大な増加があるから胃瘻はやめるべき」は筋違い。
そういう誤解があるから胃瘻の問題を医療費の問題としてとらえて迷走してしまうんです。延命治療としての胃瘻を論ずる際にその誤認識があると極めて不毛な議論になります。本来議論すべきはその延命治療をするか否かのQOL等やACP(いわゆる人生会議)についてです。
終末期胃瘻の問題は終末期高齢者医療のほんの一部に過ぎません。高齢者医療について問題提起して削る方向の話をなされるなら、まずご両親について、人生会議などはなされたのでしょうか?(残念ながら高齢者肺炎で入院される方のほとんどがそういうことはなされていません)。
詳しい説明で誤解を解いてくださってありがとうございます。ちょっと溜飲が下がりました(^^)
私の両親などはQOLでお世話になりました。誤嚥性肺炎は自分の唾液でもなりますしね。よく知らない人が知らないままで攻撃するのはおかしいです。おかしいというより腹立たしいです。
私も人生会議協力に推奨。うちは日ごろからやってたもん。
その時の現場
私が両親の介護で体験した裏付けみたいに書いてくださっています。胃ろうが推奨された時が確かにあったんですね。
そうですよねー。私は研修医の時は「食べられなくなったら胃瘻を開けるよう勧めろ」と言われてましたけど、そこから5年もすれば「それは全員が全員にやるな」に変わってましたし。 https://t.co/Yry5eCDRuj
— \\りょーた// (@ryoinalf) 2022年10月18日
それ患者の家族として両親の介護にあたる数年あまりのあいだにもろに経験しました。2006年の嚥下障害の父の時には胃ろう推奨されたのに十年も経たない母の時にはかなり違うので、もう母本人と家族とで決めていいよね?と、どうしても不信感が募りました。まあ理由は大体金銭的方針だろうなよとも。
ちょうど私が研修医だったころと時系列が重なります。私が研修医の時は「病院内で失血死と餓死は許さん」と言われましたし、胃瘻拒否、点滴できなくなったらそれもなしで、という今では当たり前の終末期の患者さんについて看護師が「それなら病院から出て行ってほしいです」と平気で言ってました。
— \\りょーた// (@ryoinalf) 2022年10月19日
ころっと方針が変わりましたもんね。父の場合は4年弱在宅介護でやり遂げて、母の場合は在宅で1年半、特養で3年のうちラストの2年くらいが胃ろうでした。「体力のあるうちに」とケアマネさんにお勧めされて、じゃあお任せしてもいいかな、と決めました。母もうんと言ったので。こういうのでも悩みますね(^^;)
ただ施設の場合は食べさせる手間はマシになるかな?とも思いました。母も静かな食事時間が持てるし。もう本当にテレビが嫌だったみたいですし。口からはほとんど食べてくれなくて、そもそも食欲ダウンしていたので…。
私が日本で安楽死制度を創設するのに大反対の理由、表向きは生命倫理的に良くないと言ってるんだが、この際だから本音を言うと、日本で安楽死を認めると、障がい者を安楽死に誘導したり、社会的な間引きシステムに豹変しそうという「不信感」なんだよね。命の値段を付けそうだから反対してるのよ……
— カイのオタク文化ラボ【⋈】 (@kai_anime6420) 2022年10月18日
現状見てるとすごく予想出来てしまう(-_-;) 非常に危ないです。
安楽死議論は恐ろしい。ましてや臓器移植云々と入ってきたらもう、人の命をものとしてしか見ていない気がする。もっと魂の部分を想定しないと駄目だと思うけど、そもそもそういう哲学とも宗教とも無縁だと怖いね。そのへんがすっぽり抜け落ちてるわ。
楽しい介護っていうのもありますね(^^;)
父が脳梗塞で倒れた時は75歳。当初から嚥下障害があり頑張って食べさせるものを飲み込めないから吐き出してベッドの下に捨てていました。死を怖れる気持ちもあって結局胃ろうに。栄養が入るので褥瘡もなく不自由でも会話が出来、在宅だったから楽しい介護でしたね。
胃ろう交換は往診の先生の「まだいけるやろ」を信じて危うく腐食しそうになって 「内視鏡の先生に怒られたわ」せんせ~!
私は食事も投薬も担当しました。おむつ交換は母とふたりで。痰吸引も母と交替で。訪看さんもよくやってくださいました。訪問入浴もね(^_^;)
許可をもらって胃ろうからちょっとビールをあげたら、すごい酔っぱらっちゃったこともあったし(^^;)
そういう4年生近くが過ぎると父の中の「死を怖れる気持ち」がマシになってきて、とても穏やかな様子になりました。家族で看取りましたが、看護師さんにエンゼルケアしてもらって、葬儀屋さんに「ええお顔されてる。お釈迦さんのお顔ですね」と言われて 本当に報われました。
家族ってそれだけで報われるんだなあ。「やり遂げました。よかった(^^)」とケアマネさんに言ったことを覚えています。
とても崇高な気分でしたね。父と一緒にあの世の端っこの風景見ちゃったし(^^)
だから私も普通に死ぬことは怖くないし、生きることも怖くはないんです。ありがとうございました(^^)
父の介護の詳細はこのブログの2006年1月から2009年末くらいまでに書いています。書いておいてよかったと思います(^^)
また長くなった。おつきあいくださった方々、どうもありがとうございました(^^;)