年が明けても母のことは気掛かり
母の特養に行くタイミングを検討中です、血液検査の結果は出ましたか?とさっき特養に電話して「調べてみます」という返事で、電話待ち…。落ち着かないわー。入院とかになるほど悪くなければいいのですが、水分摂取の問題があるから、遅かれ早かれ胃ろうの問題もあるしなあ…。
…とか思っていたら電話がありました。今日、受診日で看護師さんが連れていってくださるそうです。その結果次第かなあ、やっぱり。どっちにしろ落ち着かない状況なのは確かですね。私が個人的に。
いまやうつ病経験者も全然珍しくないのでは?
さっき何気なく読ませていただいたこの記事。
carbon-family-life.hatenablog.jp
私が気がついた時には、男女を問わず、うつ病経験を持つ人が多かったです。でも大抵はみなさん復帰して働きながら、それでも時々は調子が悪いとこぼしておられますね。(冬季うつ病みたいなケースとかもあるし)
おおむね、努力家で、仕事が出来て、頑張りすぎる人が多いようにも思えます。それで「自責の病」というくらいだから(自分が11年前に書いていた)調子が悪いと自分を責める人が多いので、どのように開き直るかがポイントかもしれません。弱点も含めてそれが自分なんだからいいじゃん、というのが私の方法かも… (^_^;)
父なども定年退職後に嘱託で働いて、慣れない開発の方に回されて胃潰瘍になりましたが、それは仮面うつ病だったようです。母は若い時からやっぱり双極性2型っぽい傾向があったし、自分もそういう傾向はあるな、とわかっていたので、脳の誤作動の病気は決して意外でも想像外でもありませんでした。
だから「実はね、私も…」とお聞きすると親近感を覚えるだけですね (^_^;) 全然特殊な病気だとも思ってないや (^_^;)
どういう体験も無駄にはならないと思っています
それでもって、こういう世界を知らないほうがよかった、とも全然思っていません。
うつの世界で闘って復活してきた人たちって、どこか人として得てきたものを携えていると思うのです。それは思いやりだったり、弱者への理解だったり、寛容さだったり、おおらかさだったり、忍耐力だったりね。
健康で自由に動けていた時には気付かなかった「自由に動ける有難さ」とか「当たり前のことが幸せだと思える有難さ」なんかも、やっぱり不自由や落ち込みを経験しないと気付かなかったかもしれませんよね。「なんでもないけど、平凡だけど、実はそれがとても幸せ」だっていう視点からの価値観ですね。視野が拡がるありがたさといいますか、そういうものは順調なだけの人生では気付く機会がないかもしれませんし…。
怪我をして何ヶ月か、松葉杖や車椅子の生活をしてみれば、そういうことがよくわかると思いますが、精神疾患の場合はそれに加えて「表からはその不自由さが見えない」ゆえの誤解や偏見とも闘わねばならないことですね。これに負けなければ相当メンタル強くなると思います。
でもそれを頑張らないと同じように悩む人のためにフォローが出来ないし、どうせ貴重な経験をするのなら、その経験を他の人のためにも有効に役立てたいなあ、と願ってしまうのです。転んでもタダでは起きたくないなあ、という感じ (^_^;)
未知の体験はいつでも人を成長させてくれますが、その体験をどういうふうに生かすかに体験したことの意義があるのかもしれませんね (^_^;)