お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「『嫌や』と言うても行かなあかん」母が教えてくれたこと

 

 

 

■ 介護と延命治療──私が選んだ“穏やかな最期”


延命治療って、どこまでが“優しさ”なんでしょうか?
看取りの経験は、人をどう変えるのでしょう?

 

Twitter(X)などではわりとよく終末期医療とか延命治療とかが話題になります。いまも選挙前で参政党あたりの主張を巡って危機感を抱いている人も少なくないですし。そういうのを見ていると結構身内の死を知らずに机上の空論みたいな自説の展開をしている人も少なくないです。

 

介護というのはその最中にいる家族はあれこれ言える余裕もないし。発言するのは無理なことも多いのでは?と思います。だから両親の介護は一段落した私が自分の経験を書いてみようと思いました。介護と看取りはね、経験にまさるものはないかもしれません。幸か不幸か、私は家族や身内の臨終に立ち会う機会も多かったのですね。最後の一息の瞬間に立ち会ってきました。それらの体験が自分独自の死生観を築く材料になりました。

 

多くの人のことを考えなくてはいけない立場にいる人は知らずには判断が難しい世界ではないかと思います。

私の介護と看取りの体験が、誰かの迷いや不安のヒントになればと思い、ここに綴ってみます。

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■ 父の介護:在宅で看取った3年間

 

私の母は2013年の秋に倒れて、2018年の初夏に亡くなるまで、自宅で在宅介護1年半と特養で3年の介護を受けました。父はその前、2006年の新年に倒れて2009年の秋に亡くなっています。父は急性の時期以外はずっと在宅で介護していました。悪化した時期には入院もしましたが。いずれも主介護者は私でした。

 

当時は胃ろうの導入もまだ積極的に推奨されていました。それも比較的ポジティブな使い方です。「良くなったらはずせるから」という。それまでそもそも胃ろうの存在も知らなかった家族は「外せる」ことに希望を持って承諾しています。医療の側としても良い結果が見たかったんじゃないかな?だから当時のことを責められるのはお門違いだと思います。まずそこに希望を見たのは確かだし。胃ろうが誤解されて悪者あつかいされるのは現実を知らない人が多いからだと思います。

 

在宅での投薬も食事の世話も私がやっていました。そんなに大変だとは思いませんでした。私が動かないと父の生命維持が難しい、という自覚が逆に私の支えになった気がします。家族の命を支えるのに懸命で自分がいらない存在だとか、そういうことを考える余地もありませんでした。ただ在宅介護は365日、24時間休み無しで、それはきつかったですけどね。

 

父は死の直前まで意識がありました。母と私は家のことは何でも話したり相談したりしましたので、病気でも父は「自分は家長」という意識を持っていました。在宅でよかったのはいつもそばに家族の気配があって、呼べば来てくれることろ、いつも会話が聞こえる環境だったと思います。お世話になっている訪問看護師さんのことを心から信頼していました。

 

ろうそくの炎が消えるまぎわの瞬間にひときわ明るく燃え上がることがあります。あれと同様のことが人の命にはあるんですね。父は重症の脳梗塞でしたが、ひときわ眼が済んで知性を取り戻したので、思わず「パパ、頭クリア?」尋ねると「うん」というしっかりした答えが帰ってきました。息を引き取る3日ほど前のことでした。そういう状態が半日くらい続いたと思います。頭がクリアなかわりに眠れなかったみたいです。眠るともう二度と目醒めないって察知していたんじゃないかな。自分でわかったみたいです。もしかするとあの時に父は自分の人生の総括が出来たのかもしれませんね。

 

死ぬことを怖がっていた父ですが、最期は本当に安らかでした。

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■ 母の介護と延命治療の選択

 

母の場合は胃ろうを増設知たのは特養に入ってからのことです。「体力があるうちに」と勧められて、あまりお世話をかけては良くないなあ、と承諾しました。そういう経緯。もっとも私自身は「自分はいらない」と思いました。介護してくれる人がいないもん。

 

うちは両親ともに充分な意思の疎通が出来たので、無駄な行為だと思ったことはありません。胃ろうだけを悪者にするのは反対ですが。胃ろうも、多くの方の訪問介護や往診やらのおかげで肉体の死を迎えるまで、寝たきりだった両親とも意思の疎通や会話が可能でした。意識のない病人ではなく、最後まで大切な家族の一員として相談も出来て、みんなで笑いあえた明るい介護が出来たことに感謝しています(^_^;) それはまた私の深い学びと誇りでもありました。

 

そしてなんとも不思議なことですが、私は本当に最期まで奇跡を信じていました。病気が改善して身体が動かせる、嚥下障害が改善して再度口から食べられるようになることを、父も母も死の瞬間までどこかで信じていました。今にして思えばそういう想像が私の支えになって、介護を完遂させてくれたのだと思います。

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■ 介護と延命治療──私が選んだ“穏やかな最期”

 

私は母に心臓マッサージをして欲しくなかったのです。もう苦痛になるだけとわかっていたから、ダメならそこで寿命が尽きたんだと思いました。
 
 すでに廃用症候群で胃ろうでの栄養補給、蓐瘡が悪化して感染症にならぬように片足切断。要介護5の現実はリクライニング車椅子でなければ移動も出来ない。おそらくは医療事故で左手は麻痺して拘縮し、おかしな形に固まっている。尿閉のためにずっとバルーンカテーテル留置。そのために膀胱炎になりやすく、予防のための薬も厚生省にまだ認可されていないために医師の友人が主治医の先生医に相談して個人輸入で使っていただいていました。
 

特養と特養の関係者の方々、医療関係の友人知人にも多大な感謝をしています。
 

最後の入院、私が車椅子を押して、検査のために病院内をうろうろして回っていた時、心不全の母はしばしば眠っているように見えました。でもあとから考えると意識が薄れている状態だったのかもしれません。

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■ 医師に訊かれた「延命しますか?」の問いと私の答え

 

 母が心不全で最後の入院になった時に主治医の先生に訊ねられました。「延命治療はどこまでしますか?」「心臓マッサージとかですよね?」「はい、でも実は高齢者の場合、心臓マッサージで肋骨がバキバキに折れる可能性があります」
 
……絶句。肋骨にヒビが入っただけでも痛いのに。
 

私は何度もこういう決断の場に立たされています。うつだから重要な決断をするな、とかっていうような甘いことは言ってられない。命に対する責任はものすごく重い。
 

ただ、私にはヒントがありました。うちの家族にとって、病や死は特別なことではなく、したがってタブーな話題でもないので、我が家では日常からあたりまえに話してきたテーマだったことです。

 

だから私の決断。「心臓マッサージはやめてください。苦痛を少なく、出来るだけ穏やかに送ってあげてください」もうほとんど祈りだなあ、と自分でも思いました。
 
それが深夜。翌日の深夜に心臓が止まったと電話がありました。家族の希望であれば、家族が病院につくまでは心臓マッサージで心電図に反応があるように出来るんでしょうけど、私はそれも拒否したので、病院に着いたのは心停止から30分後でした。
 

でもなんとか穏やかな表情に見えたので、やっぱり「お疲れさん。どうもありがとうね」という言葉しかでなかった。

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■ 日常の中の死生観が支えになった

 

元気な時からずっと繰り返し話し合ってきた死生観によります。逝くもの、送るもの、共に後悔しないですむように。その決断の結果として見守りの視点がいまも生きていると思うのです。
 
後日、明け方に母が「きょうこちゃん、行くよー(^^)」と誘いにきてくれた時は、その時行きたいと願っていた貴船に一緒に行こうということか、さもなくばあの世に行こうということか?としばし悩んだけど。

 

2人ともわりと元気な時はよく一緒にあちこちうろうろしていたので、まあ貴船のお誘いだと思って一緒に行ってきましたが(^^;) そこで貴船の神さまともご縁がいただけました。遠いから滅多に再訪出来ないのが難儀ですが。
 

だから私にはグリーフがほとんどないんですよね(^^;) 命も介護も尽くしたと思うので。 生き延びるだけが生ではないです。寿命が尽きた時という指針が個人的にあります。
私も同様の覚悟があります。心臓マッサージは不要。どうか穏やかに苦痛は少なく眠らせてください。みんなあちらで待っていてくれるので(^^) ソフトな離陸(ランディング)が出来ると嬉しいです(^_^;)
 

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■ 祈るように選んだ「そのとき」の迎え方


父の臨終は自宅で最期のひと息まで手を握って看取ったので、それはそれで穏やかに送ることが出来ました。「ゆっくりゆっくりリラックスね」死にゆく人に呼吸を合わせたなんて最初で最後かもしれませんが、私が終わりまで手を握っていることで父の苦痛と不安を軽減出来たのは嬉しかったです。(医師の友人が「飼い猫でも最後は手を握って欲しがります」と言いました。きっとそれが最高の癒やしの行為なんだと思います)
 

これも「手当」。生きものから生きものに伝わるもの。それだけの力があるから(^^)

 

普通、多臓器不全のようになると、生きながら死臭のようなものがあるらしいのですね。訪問看護師さんたちやケアマネさん(もナース)が「ちっともそういう臭いがしない」とあとで不思議がっておられました。
 
私も祖父と祖母のケースを知っているので、かすかな死臭というのも知っています。
昔は家でお葬式出しましたしね。
 
出棺の時まで父の亡骸からはそういう臭いはしませんでした。
 
「ここのお宅はいつでもなんかいい匂いがしてたね」と看護師さんたちからあとで聞きました。
 
もしかしたら科学的に説明が可能なことかもしれませんが、私はそういうささやかな「うちの遠野物語」みたいな父らしいエピソードを大切に思っています。いつまでも健在な愛情とともに…(^_^;)

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■ 祈るように選んだ「そのとき」の迎え方

 

「自分は死ねないかもしれない」と思ってしまう病気があるようです。
 
でも肉体の致死率は100%。どうせ死ぬのは確実なんだし、慌てて死に急ぐことはないですよ。遅かれ早かれタイムリミットは来ます。その時に後悔しなくていいように、とにかくいま、このときを生きましょう(^^)
 
母も言っていました。「その時がきたら『嫌や』と言うても行かなあかんのやし、それまでは『なるようになる』で頑張ろな」と。

 

うん、あの声には後悔はなかったな(^^) あの時は誘ってくれてありがとうね(^^)

 

のちにたまたま読んでしまったブログの内容がものすごく悲劇のヒーロー&ヒロイン志望みたいな内容で、かなりイラッとしてしまったので読者登録をやめました。あの考え方は卑屈で私には合わない。余計に幸せになれないのにね。想念が未来を作るから。でもいるんだよな、そういう人。仕方がないですよね。
 
でも自分で不運を招いていることに気付かないという……。世界は感じ方ひとつでかわるのにね。「気付き」って本当に大きいと思います。しんどかったけど、全然不幸じゃなかったし。そういう感慨も含めていろんなことに気付ける私でありたいです。

 

介護の体験で肝が座って、精神的に成長できた確信がありました。そのかわりに身体的には玉手箱を開けたみたいに一気にガタガタになりましたけど(^_^;) どれだけ延命治療をするかはやっぱりケースバイケースかと思いますが、ただ家族のわがままでの延命は考えないといけないと思います。ご本人の苦痛を長引かせるだけでは問題ですね。そういう時を想定して前もって考えること、相談する意義がそこにあります。いざという時に冷静な判断が出来るように。


今現在、介護の只中におられる方も、日々大切に過ごせるように祈っております。
ここまでお付き合いくださってありがとうございました(^_^;)

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#在宅介護  #胃ろうについて  #延命措置?   #穏やかな看取り

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