自分がよく絵にするモチーフについて、そういえば私は昔からよく性別がいまいちはっきりしないキャラクターを描くことが多いなあ、と気付きました。意識してやっているわけではないのですが、「これがいい」と女の子が水干を指摘してきたりすることが多いのですよね。逆パターンもしかり。
男の子も女装を嫌がることがあんまりないなあ、と思いました。時と場合によりますが、似合っていれば特に問題はないのかもしれません。
そういう自然と生まれてきた設定はもしかしたら私の脳と関係があるかな?と思って、簡単な診断をやってみました(^_^;) いっぱい見つかりますが、とりあえず三つほど。簡単なので、興味がある方はお試しください(^_^;)
男性度80%-女性度20%
ーーーあなたは 男性的要素がやや高い方です。あなたが男性の場合は、「男っぽい」男?女性からは、人気が高かったりします。あなたが女性の場合は、やや世間の男性からは「女性」として見られない部分が目立つはずです。まあ、好みの問題でもありますが。。。ーーー
時々「男前」だとも思われてる感じはありますかね~(^_^;)
これだと本当にバランスがいい中性的な脳みたいですよ。極端に女らしくなく、逆に男らしくもない、という…。男女ともにあんまり恋愛対象としてみられないようなタイプ。
…実は私はこのスタンスが一番心地いいと感じるのです。人生の中で必ずしも恋愛は必要不可欠ではなくて、同性も異性の友人も両方いて欲しい、その方が面白いと感じる人間ですね。
どうもそういう部分が私のキャラクターに反映しているような気がします。セクシュアリティーにこだわりがないというか、男女どちらであっても性別以前にひとりの人間としての魅力を感じる方なので…。結婚も恋愛も必ずしも必要じゃないけど、性別を問わない友人はいる方が楽しいなあ…。
まあ、ですから、女の子もちゃんと知性を持って賢くあって欲しいし、男の子も言わずもがなで、そういうおつきあいはやっぱりお互いが対等だからこそ面白いのですよね(^^)
異性に媚びるのは死んでも嫌だなあ、と思う。疲れたときとか、しんどいときは甘えていいし、甘えさせて欲しいけど、基本的には自分をしっかり持とうね、という感じですね。
男性にも女性にも肩入れしすぎないスタンスって居心地がいいのですね。
「男らしく」とか「女らしく」とかも気にしません。その人らしくあってくれればいいです。自分らしく自分のを見つめてしっかり生きている人は男女を問わず素敵です。私が惹かれるのはそういう人です。この「対等に」というのが結構難しいかもしれませんね。
頭からっぽが可愛い、とかいう歌が流行るようではね…。恋愛や結婚のためだけに生きているのが女の子ではない、ということがわからないとさ…。男女とも不幸なままに終わりそうで怖いですね。
セクシュアリティーにこだわらない人たちって結構ユニークな発言をされてたりしますよね、芸能人でも。囚われないことで幅広く見えてくる世界っていうのがあると思うのですね。少数派の苦労はあっても、ものの見方が面白くて、広い視野が持てるようになるのなら、いいことじゃないかなあ、と思うなあ…。
私自身はもともと恋愛要素が薄い人間ですが、いままでに好きになった人は男女両方いますね。恋愛期間を過ぎてもずーっと友達で残るパターンもあるし…。最初からそもそも友達でいい、というのは圧倒的に多いけど…。
見ているのは相手の魂というか、本質な部分だから、外見とか性別とか、そういうものはあんまり気にならないのです。このあたり自分でも特殊ですけど…。だから一目惚れってまずないのね。内面に惚れます(^_^;)
美男美女を見るのは目の保養ですけど、それ以上には特になにも感じないかな。その美男美女が「素敵だなあ」と思わせる内面を持っていたり、生き方をしていたら惚れますけど…(^_^;)
自分がそうなので、一目惚れされた場合、外見だけでなにがわかるの?って思って、お断りしたことも何度かありました。おつきあいしてみればよかったか?と今なら思うけど、若い頃はそこまで余裕がなかったし。
お見合い結婚なんかとんでもない、正気の沙汰ですか?と思ってました。友人の中にはお見合い結婚~恋愛に至ったという幸せなパターンの人もいましたが…。
おそらくそういう価値観が自分の描くものには無意識の中でも反映されて出てくるような気がします。
「男だから」「女だから」という型にはめられるのが大嫌い。
結婚だけが幸せである必要はないですが、うちの両親のように70歳過ぎてもラブラブな夫婦を見ていても、まあいいなあ、とは思うけど、やっぱり「私は私でいい」と思います。
いまはもうアセクシュアルに近いかもしれません。恋愛を卒業して、どっちかというと博愛みたいになっております(^_^;)
そういえば、母から「私が死んだら見てもいい」と若き日の両親がやりとりしたラブレターの束を預かっているんですよね、私。箱に入れてテープで封してありますが…。
母が亡くなったら、これを読むべきか、もしくは読まないでこのまま母に持たせるか、ちょっと悩んでおりますが…。まあ、二人の愛情が結実した結果が「私」という存在でもありますし、「私」がここに存在していて、それをしっかり心に刻んでおけば、読まずに持たせてあげるのもいいかなあ…と思っておりますが…。
「私」ほどわかりやすい「形」というか「形見」ってないよなあ…。うちの両親もなかなかすごいもの残してくれるよなあ…、とちょっと感心しそうになりますが…(^_^;) 「私」が「ラブレター」であり、「愛情」であり、「お墓」でもあるわけだ。たやすく死ねないねえ…(^_^;)