先生の都合で、今日の午後がマッサージの日になったので、母のところには明日行こうかな、と考えています。台風がどうなるかわからないけど…。
女の本音と男の本音
昨日ぼんやりとTwitterを眺めていたら、ちょっと興味深いタグに出会いました。「#男のためじゃない」というやつです。
あー、なるほど、すごい本音で理解できるなあ、と思いました。世のすべての男性がこうだというわけでは決してありませんが、まだまだこういう表現しか(ものの見方しか)できない人はいると思います。それにズバッと切り込んでしまった女性たちは随分ストレスも溜まってたんでしょうね…(ーー;)
でも理解できてしまうから仕様がないですね。
別のどこかの記事で、見たのがこちらでしたので、思わず両者を比較してしまった次第。
「…だったらあっさり死んでくれ」とか言いたくなりますが…(ーー;)
セクハラもいいところだしなあ。サービス業じゃなくて、きちんとした仕事なんだよね。どうも看護師さんの仕事に甘い夢を見がちな男性は困るね。仕事だから優しくて親切なのであって、そこがプロなんだし、家でもそうだなんて思ってはいけません。(これは過去に看護師さんたちからお聞きした事実です)
眼に見えるところが大事なわけではない
なんつかーさ。男だの女だの言う前に、ひとりの「私」という対等の人間だとして認識して欲しいですね。目に見えるところばかりに注目していないで、もっと内面的なものを見る努力をしようよ、男女ともに。
世の中の半分は男で、半分は女なんだから(若干の例外的な人たちもいるけれども、いてもいいのよ)たまたま知り合った人たちの半分は男子で半分は女子なわけです。男子校や女子校は別としてもね。
もしかしたら恋愛なども幻想や過剰な期待とか夢から始まるのかもしれませんが…。
私はどうしても先に「ひとりの人間」としての相手しか見れないもので、恋愛には発展しづらく、そのかわりの異性でも友人にはなりやすい、という特徴があります。「あー、いいやつだなあ…」という感慨が必ずしも恋愛にはなりませんでしたけども…。でも私としての才能を評価してくれる人にはやや弱い傾向はありました。あくまでも内面ですね(^_^;)
なんだか気がついたときには「私は私」という意識がしっかり確立していたので、なにかの型にはめようとする人には反発を感じていました。そのかわりに私も相手の人の「その人らしさ」を見ていたと思います。
女性としての戦闘服でもある、化粧やファッションへのこだわりは20代の終わりにあっさり捨てましたけど…(^_^;)
よくアンケートに答えていると「世の中の人はこういうことが悩みなんだなあ」と思うことがよくあります。私にもそういうことって実際にあるけど、自分が全然悩んでいないから、それって悩みでもなんでもないんだよね~、ということであっさりとチェックを外したりして。
それだけ世間一般と価値観がずれてると思います、が、気にしない。それが私は私なんだから…。
どうせならその人らしさの長所を見つけて
でもわりと女の子的なものを自分の励みというか、元気のために使いたい女性の気持ちもわかります。だから、それを「男性のために」と勘違いされるのってうっとおしいですよね。男性のみなさん、「これってどっちだろう?」と悩んだ時は沈黙しておいたほうがいいかもしれませんね。
「もしも自分が女性なら…」と仮定して、それでも魅力的な部分(できれば内面的な美しさ)をさりげなくそーっと褒めてあげるのはいいかもしれません。これは女性でも同じかな。でも男性はフィジカルなところとかでも褒められるのが嬉しいかもしれませんが。
「あなたのあの仕事の進め方は素晴らしいです」とか「あのお心遣いは嬉しかったです」とかになると、やや内面的なほうになるので、言われてもまんざら悪い気はしないだろうし…。
「若い看護師さんたち」とかで括られるのは嫌だろうな、と思います。そういうのが男性の生理的なものだとしても、女性には不快なので、ひとりひとりをしっかり理解してからでないとね。
いやー、たまたまとはいえ、同じ日に出会った二つのツイッターのまとめを見て、埋まらない男女差の壁を認識してしまいました。これを低くしていかないとなかなかハッピーエンドまでいくカップルは生まれないかもしれません(ーー;) 老婆心ではありますが、しみじみと思ってしまいました。
私の本音はまた別の場所にある
自分自身は恋愛沙汰は実はものすごくどうでもいいことなんですけど…(^_^;) 恋愛しなくても生きていける人間なんで、ひとり遊びに余念がなくて、孤独にも耐性がある人間だと思います。
で、この文章を書いているうちに、またしても思い出したのがアーシュラ・K・ルグィンの「闇の左手」の世界でした。
あの物語のメインキャラたちの、ゲセン人には性別がないんですよね。生殖期を迎えた時だけカップルになり、体力があるほうが女性化して性別が分かれ、生まれた子供たちは集団で育てられ、カップルは解消される…。職業や社会的な立場としてはどこまでも平等なわけです。私はそういうことに憧れていたのかもしれません。地球人の肉体では叶わないことですが…。

- 作者: アーシュラ・K・ル・グィン,Ursula K. Le Guin,小尾芙佐
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/09
- メディア: 文庫
- 購入: 12人 クリック: 388回
- この商品を含むブログ (102件) を見る
ま、いいんだよ。自分の子供のかわりに世界のすべての子供を我が子のように思えるからなあ。
そういえば私自身は気がついたら男であろうとか、女であろうとか、そういうこととはほぼ無縁で生きていたような気がします。若い時は恋愛らしきものもありましたが、いまはもうどうでもいいなあ。
性別なんていう、うっとおしいところからはもっとずっと自由になりたいと思う。
もう、ご隠居になりたいと心から思うなあ…(ーー;)