私には実在が感じられないけど
すごい今更ですが、私が当たり前だと思っていた多くのことが他の人にとっては全然そうじゃないというケースにあまりにもぶつかるので、自分はどこにいたんだろう?と思うことがあります。日本どころか、京都以外でも暮らしたことないのにね。意外と新しもん好きな京都人は有名ですが。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) October 24, 2019
なんだか最近、それゆえの「素朴な疑問」が湧いてくるときがしばしばあります。
今現在ですけど「上から目線」ということについて、ふと疑問に思った次第です。
…というのは、私自身が今までに「あ、これが上から目線か」と感じる相手に出会ったことがないからです。ブログだけじゃなくてSNSでもそうですね。もしかして鈍い???
基本的に誰もが対等だと思っているので、そういうのは気がつかないかもしれません。逆に私の話がそういうつもりはなくても相手には上から目線だと思われていることもあるかも?? うーん、ピンとこないなあ。
基本が対等だと思っているとそういうことって見てないし感じてない気がします。ああ、でも精神疾患の人との交流が多いと「そこまで自分を卑下しなくても…」と思うことはよくあります。もっと自信持って欲しいなあ、とは思いますしね。
だいたい狭い世間でわざわざマウント取る意味なんかないやん。自分は自分でいいんだし。変な開き直りがあるからか、誰かに絡まれるとか、そういうのは全然ありません。
誰かの内面を反映する鏡のような…
もうじきブログは16年目に突入しますし、Twitterでも来月で11年目に入るのかなあ。600人余りのフォロワーさんはいらっしゃいますが、今まで炎上したことは一度もないです。自分でも不思議ですが。
学校が嫌いでもいじめには合わなかったのと同じなのかなあ?
小学校から高校まで、教師とはとことん相性が悪かったですが、時々学校に行ってくれていた母の話だと「戦々恐々としたはるで」ということでしたので、一筋縄では行かない難しい生徒だと思われていたフシもあります。
これがね、深入りもしないで当たり障りない付き合いの先生にはそういう印象がなかったと思います。関係もスムーズな印象でしたし。特にベテランの男性教師とはやりやすかったです。引っ掛かりを感じたのはいつも女の先生でした。担任が女教師だと思うとがっかりした記憶があります。
もしかすると私の言動は相手の内面を映す鏡のようなものだったかもしれないなあ、と振り返ると思います。女性は感情が先に立ちやすく、私はまたそれを敏感に察知するので…(*-д-)-з
そういう経緯があったので、今でも上から目線と感じる人には自分の内部が反映しているのかもしれないと思います。
どこまでも対等の方が気楽だと思うんですけどね。わからんわ〜(ーー;)
意外といえばこれもそうです。みなさん、痒くならないの???