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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

人を招く家(かつての我が家)

今日もなんだか手足がだるい。むくんでいるとしたら下肢だけでなく、膝から上の部分もむくんでいるのかもしれない。椅子に座っていてもだるいので、ついつい横になってしまうけど、弟が降りてくるとこれまたすぐに横になるから私の寝る場所がないじゃないか(ーー;) まったく…。

 

それでも郵便局とコンビニに行ってきました。明日、母の入院費の詳細がわからないと細かい金額もわからないし、大雑把な家計簿しかつけられないことがあるんですが、まあ、だいたい私の家計簿は大雑把だからいいかな。

 

母などは私よりもさらに大雑把で、ノートにメモしていただけだったような気がします。

 

 

郵便局の前から見た空がいくらか秋の気配でした。もう猛暑が戻らないようにお願いしたいなあ。

 

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いまはね。私と弟とでひっそりと暮らしているこの家ですが、かつて最も多い時には家族7人が住んでいて、さらにあれこれと人を招く家でもありました。

 

夕方、仕事から帰ってくると玄関が靴で埋まっていて足の踏み場もありません。2階の表の部屋には甥の友達が数人、2階の奥の部屋には姪の友達が数人、それぞれ遊びに来ていて、弟や義妹がまだ帰っていない時には、母がお茶とお菓子を出したりしていました。

 

甥が結構面白い子で、「おい、おばあちゃんにありがとう言え」と友達に言っていたり、おばあちゃんと買い物に行くとかで外出したら、必ず道路側を歩く子だったりしました。結構おばあちゃんっ子。子供のくせに気を使うんですよね。お寿司を食べに行っても高いものは頼まないとか。小学生なのに、そういう気遣いをする子でした。

 

当時の我が家は居心地が良く、また入りやすい家だったようです。あらゆる世代の知り合いに。結局、それは両親の徳だったのかなあ?とも思います。

 

町内会長をした時には地蔵盆とリクレーションをまとめて済ませて、その後役員の人たちが「お疲れさま」の足洗い、とかでうちでカラオケやら宴会やらやっていました。

 

それ以外にも、母の友人や義妹の友人や、大人も子供もなにかというと居心地がいいらしい我が家に集まるんですよね。

 

7人の家族に10名あまりのお客様。古いし狭いし、それでもあの頃は家が家として最も輝いていたのではないかと思います。

 

その中心にいたのが両親だったから…。いまは呼んでも来てくれる人って仕事以外ではいないと思います。静かなのはいいんですが、なんだか隔世の感…。

 


私の友達も国内各地から遊びに来てくれましたし、弟の友達も集まって、プロレスごっととかギターの練習とかしていたなあ…。

 

人を招く、というのはいまの状態の私にはかなり負担になることなんですが、それでも時々、多くの人の活気で溢れていた頃が無性に懐かしく思い出されます。

 

 

 

 

 

 

 

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