私はとことん長距離走タイプです
横になると生あくびが止まりません。変に調子が悪いです。非常に非生産的な毎日ですが。まだちょっと過眠も残ってそうです(^^;)
マッサージ師さんも私も基本的にテレビを見ないんだけど、なんとなく会話が続くから面白い。たまーに漫画の話もするけど。
双極性障害は循環器質だというのを実感したりして。全然知らない人とでも結構喋ってるな(^_^;) 単に私がコミュ障じゃないってことかもしれないが。
いろんな方のブログを見ていると、去年は毎日せっせと更新してらして、非常に熱心だった方が、今年になってからぴたっと更新がとまってしまい、いまだに再開されていないケースがあります。ご家族の話では他のことでも短期集中タイプらしいです。
例えば楽器の練習とかなら、楽器を揃えて1~2ヶ月は明けても暮れても練習三昧。でもそれも上手くなってからぴたっとやめてしまわれるとか。
飽きっぽいタイプなのかなあ?私から見ると勿体ない気分が大きいのですが、その方から見るとそれが生来のリズムで典型的な短距離走タイプとでもいいますか。私はしつこくほそぼそと継続する長距離走タイプなんですけどね(^^;)
なんかもう価値観の違いに過ぎないのかもしれませんが。えー、もうやめちゃったの?勿体ないなあ、と思えて仕方がありません。すごい余計なお世話なんだけどね。まあ、世の中には長距離が苦手な人もいますよね。
人を招く家
火事の話題の延長で、このごろよく前に住んでいた家のことを思い出すんですが、あの家は狭くてボロい一軒家にも関わらずに、よく人を招く家でした。玄関が南にあって、引き戸でしたし、明るくて入りやすい家だったのかなあ??
中学時代の弟の友達が2階で集団でプロレスごっことかやってて「わー、ごめん!床が抜ける(>0<)」とか言ってたこともありました。母方の祖母がしょっちゅう寄ってお茶を飲みつつ、うちの祖母と母と世間話をしていたし。
私のお絵描き友達も遠方から来てくれて、泊まっていってくれたりとか(^^) 母の友達もしばしば話しに来られてましたし、もちろんご近所さんたちも。
姪が中学で甥が小学生の頃、私が帰宅すると玄関が子供の靴だらけで足の踏み場もなく。甥と姪のそれぞれの友達が複数名遊びに来ていて、うちの人口は軽く十数名を越えてたりとか(^^;)
両親が町内会長をした年は全部の仕事が終わった足洗いと言って、階下に町内会の役員さんを呼んで、みんなでカラオケ宴会してたりとか。みなさん口を揃えて「ここは居心地ええねん(^^)」とおっしゃってましたっけ。
鳥は飛び込む蜂も飛び込む、コウモリも住みつく、野良猫が子猫を生む。縁起がいい家だと家族は思っていました。
ああいうのはやっぱり両親の徳じゃないかなあ、と思います。人を呼ぶ家、人を呼ぶ人。いまはコロナのせいも大きくて招きたくても招けないから、すごく寂しいですよね。好きなものの話とか、とっぷりしっかりしてみたいなあ…(^^;)
特に過去の母が「殺して」と言ってたことも知ってる私としては結構感無量だったかもね(^^;) わりと周期が長い躁鬱の波かも。
2014年とあります。まだ母を在宅で看ていた頃だな。この自転車いまだに乗ってますね。でももしかすると最後の自転車になるかも…。
すいません、いまちょっとホームシックです。相続から登記から全部自分でやって終わらせたんだけど、もう今は三次元のどこにも存在しないあの家に無性に帰りたいなあ。これもきっとコロナのせいだけど(;_;) なつかしい人達に会いたいよ。でも高齢者だとわがまま言いづらいしね(;_;) pic.twitter.com/YDVSJBLBgu
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年3月26日
人生には波がある
友人グループで、父とふたりで、家族みんなであちこち旅行したのが60代の母で、もしかしたら軽躁の時期だったのかも。私に向かって「60代になったら調子が良くなるから楽しみにしとき」と言ってましたが、私はその波とは周期が違うみたいよ。残念。
まあ、でもこの病気のおかげで「人生には波がある」ことはすごく自然に納得出来るから良かったかも(^^;) 少なくてもあまり慌てないですしね。長期対応も出来るし(^^;)
「上を見ればキリがない 下を見ればキリがない」っていうけど、そもそも全然違う人間を比較すること自体がおかしくない?私は意義を感じないけど。それでずっといままで生きてきて不幸だと思ったこともないけど。「自分は自分」で充分なんですよ。誰かと比べるから不幸になるの。不幸だと感じてしまう
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年3月25日
これもよく母が言ってたな(^^;)
不自由は多々ありますが、不幸だとは思ったことないです(^^)