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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

右利き・左利き・両利き

たくさんのコメントをいただいて、みなさまの関心の高さを認識しましたので、昨日の記事にトラックバックします。

私はものごころついた時にはすでに両手利きでした。字を書くこと、お箸を持つこと。このふたつは自然に右手の作業になっていたので、絵を描くのが左手でもそんなに目立つことなく、ゆえに矯正されるストレスとも無縁で来れました。ラッキーだったと思います。

でもうちの家系はわりと左利きが優勢らしく、弟などはボールを投げるのとお習字以外は全部左利きです。で、甥が完璧な左利きなんだよね。これは義妹の家系にも左利きがわりと優勢な傾向があるのだと思います。

一説によると聞き手は胎児の時に決まるとも言われています。後天的に多少の修整はききますが、本来は本当に生まれつきのものなんじゃないかと思います。

昔はいわれなき矯正がされたもので、弟などはそのストレスで(まあ、他にも原因はありましたが)小学校時代に不登校になったりもしました。どのみち完璧に変えられるわけはないんだから、すごい無駄なことだと思うんですけどね。かえってストレスが悪影響をもたらすだけです。

最近はそれがなくなりつつあって、いい傾向だなあと思っています。タイトルを忘れましたが、テレビの番組の中で「天才の画家の卵」の子供を発掘しようという企画をやっているところがあります。児童画の中に見つける才能を発掘しようという意図らしいのですが、そこでそれなりに見る眼のある人に才能の眼を見い出された子供達を見ていて気がつきました。左利き、あるいは両利きの子供の割合がかなり高いのです。

昔から左利きは器用だとも言われますが、その傾向はあるかもしれません。スポーツ選手の中にも優れた能力を持つサウスポーって多いですよね。彼らの場合は左手のみならず、左足とか左目とかも重要になるようですが。

まあ、そういうことなどからも「左」にはどんな隠された才能が眠っているか、結構可能性に期待が持てるのではないかと思ってしまいます。(左利き、もしくは両利きの子供を持つご両親は楽しみですね♪)

案外と世の中で完璧な「右利き」という人って少ないんじゃないのかなあ。右利きの割合が圧倒的に高い社会ではどうしてもすべてのことが右利き用に設定されてしまうので、私ですら時々つっかえて不自由な気分を味わったりします。(特に自動改札あたりでね)

でも本来右利きの人も両手が使えるようにしておけば、なにかのトラブルで右手が不自由になっても困ることが少なくなるかもしれないです。

ところで。私はなぜだか細かい部分で左右の使い別けを要するので、なんだか脳の構造がややこしくなっているような気がします(汗)お箸や字を書くのやハサミは右手なんですが、絵を描くとかナイフを使うとかは左なんですよね。だからまったく始めての作業をする時には両手でやってみて、よりしっくりする方を選んでいます。ややこしくて不効率な使い別けがどうして通常になってしまったのか、そこのあたりは自分でも疑問ですが。

まったく左右で同じように使えることも少なくないんですが。でも微妙なことなんだけど、指先の神経などは左の方が敏感みたいですし。社会のすべての仕組みがどちら利きの人にでも不自由でないようになると言うことないんですけどね。難しいよなあ…。

けれども少数派の人間が不便さに気付く時、社会的弱者の人たちの不便が実感としてわかるような気がしますから、声をあげることもまったく無駄ではないと信じたいです。

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