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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

技術はあとから来るのかな?

なんとか、終わった…かな。朝の7時前からちまちまと書き続けていた文章がまがりなりの形になったので、ようやくサイトの更新も出来た。やれやれ、という感じ。

この1週間はずっとこの物語について考えていたので、出来はどうあれ、ひとまず安堵した感がある。とにもかくにもラストまで辿り着けてほっとしたというか…(笑)文章の出来については泣きたいけれど、このあたりで現在の自分の限界なのかもしれない。もっときちんとつめて描写していきたい思いもあるんだけどね。また気力が充実したら考えようと思う。

これでお預け状態だった「風神秘抄」にようやく手が出せるなあ…(笑)本当にやれやれです。

Web拍手ありがとうございます。

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ところでこのブログの中身はどうしよう。

創作の方ばかりにエネルギーを費やしていたので、ここに書く文章のテーマもなにも考えてないなあ…(汗)

考えてみれば毎日欠かさずに記事を書いてる私だが、小学生の時とか、中学生あたりまで、いわゆる「作文」なかでも「読書感想文」というのが大の苦手だった。

国語の授業そのものは嫌いではなかったが、作文には辟易としていた。毎回テーマに添ってあたりさわりのない文章を上手くまとめて書く、という作業がどうにも苦痛で苦手だったのだ。

よくコンクールなどで賞を取ったクラスメイトの作文が読み上げられるのをひたすら感心して聞いていた。なんというか、眼のつけどころが違うんだよね。どうしてそういうところに視点がいくのかなあ、と素直に感心することが多かった気がする。

ならば、そういう作文上手の子の作品から学べばいいようなものなんだけど、それも上手くいかなかったなあ。

大人になってから考えてみると、当時の私には「どうしても伝えたい」とか、「これだけは主張したい」というようなものがなかったのだと思う。自分の中に情熱がなければ伝えようと努力する気力も起きない。本を読んでも、自分だけが感動していて、そこで満足しているから、さらになにかを書こうとは思わなかったんだよなあ…。

昨日の話に続くけれど、自分の中に「書きたいもの」が明確な形を取るようになってから、その苦手意識がましになったみたいだ。もっともその時すでに遅く、作文の授業がなくなっていたが(笑)

そんな私が現在文章を書いているというのが自分でも信じられないが、どうやらこれは「伝えること」に快感を覚えるようになったかららしい。稚拙でもなんでもとにかく書かずにはいられないから書いてしまう。それに見合う技術があとからついてくればいうことはないんだけどね(笑)

まあ、その点はこれから先にもちょっとだけ期待を残してみることにしよう。人間、生きてる限り課題ってあるんだなあ、と思うといささか頭が痛いけれど。

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