ああ、やっと美容院に行けた。実に3ヶ月ぶりだったりする。かなり前からマニキュアが落ちてきている(というより根元の方が伸びてきて、白髪の部分が目立っていた)のが気になってはいたのだが、予約が必要な美容院なので、このところの体調不良でなかなか行く機会がなかったのだ。今日も深夜から朝方は動悸と吐き気があって、寝ていられなくて、調子が悪いのはあったんだけど、寒いから車で弟が送ってくれて、やっと…。はあ、やれやれ。ここの美容院はカットのついでにマニキュアしてくれて(ただし材料は持参)2500円という良心的な所なので、いつも母と一緒に行って、まず私がカットしてもらい、マニキュアが乾くまでの間に母がカットしてもらってちょうどいいことになる。
で、そのあと眼鏡を取りに行って、いろいろと用事がすんでほっとしている。でも今日は寒いね。朝は雪が舞っていた。短くなった髪で首のあたりがちょっと寒い(汗)
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どんな分野でもプロアマを問わず、自分が創作したものを誰かに見てもらって、感想が聴けたら嬉しいなあ、というのは正直なところ。昔やっていた同人誌活動なども、そういう意図が一番大きかったのではないだろうか。
サークルの外での個人的なおつきあいの中にもそれはある。雑誌の同人誌の紹介ページに掲載されている本が面白そうで通販を申し込む。本を読んで感想の手紙を出す、お礼の返事が来る。…そこから始まって現在も続いているおつきあいも結構多い。
で、親しくなると本以外のもの、たとえばキャラクターの設定書だの、小説の原案のノートだの、そういう半分未完成のものもお互いのあいだを飛び交い、感想や批評などが行き交うことになるのだった。こういう作業はお互いにとって刺激になることが多い。
もう十数年前になるだろうか。最初は覚えていないんだけど、おそらくは似たような形で知り合った人の中に、小説を書いている人がいた。独自の史観をもとにした古代史の大長編シリーズで、私も最初の1、2作を読んで、感想を述べたのがきっかけかなあ、と思う。
そのしばらく後、その人から小包がどっさり届いた。怪訝に思いつつ開けてみると、その中身は彼女の小説。B4サイズの400字詰め原稿用紙にびっしりと手書きのものがコピーされ、半分に折られて数十枚ごとに紐で綴じられたシリーズものの小説が何編か入っていた。せっかくだから読んでみる。感想の手紙を出す。そうしたらまたしばらくあとで前よりも大量の小説の束が届いた。
熱意はすごい。とってもそれは伝わってくる。が、なにしろ原稿のかさが高い(汗)せめて縮小コピーなり、両面コピーなり、ワープロ打ちなりにしてくれればいいんだけど、毎回届くのが分厚い原稿コピーの束では、狭いうちなんか置く所もなくなってくる(汗)
いまの時代なら、簡易印刷でコンパクトな本の自費出版くらい、すぐに出来ますよ、と勧めたのだが…。その人はもしかしたら多くの読者が欲しいわけではなくて、誰か特定の人だけに読んでもらえたらそれでいいタイプだったのかもしれないが…。そういうのを私だけにもらったら、なんだか気が重いんだよね(汗)
次第に私は苦しくなってきた。最初の頃は頑張って読んでいた原稿だが、その量が段ボール数箱にも及ぶようになってくると、小包が来ると、正直「うわあ、どうしよう(汗)」という気持ちになってしまうのだ。
もううちには置く場所もないから、と送り返そうか、とも考えた。感想の手紙を書くのも辛くなってきて、悩む時間が増えてきた。その時の私には「もう送らないで」とはっきり拒絶することが出来なかった。
そのまま、とうとう手紙を出すタイミングを逃し、そのことで私はその人の作品を拒絶してしまった。…以降、おつきあいも自然消滅。正直ほっとしている自分に気付いて、いささか自己嫌悪にも陥った。
今のように手軽にネットを通して作品発表が出来るようになって、時々その人のことを思い出す。私は彼女のいい読者にはなれなかった。あのあと、彼女は相応の読者を見つけることが出来ただろうか。こんなふうにネットを通して、そういう相手を捜すことも可能な時代なんだけど、今でも書き続けているのかな…。
プロ志望というわけでもなく、続けていられる情熱はすごいと思うんだけど、たとえアマチュアでもなるべく多くの視点で感想をもらった方がいいとも思うし。私だけに向かってくる熱意が怖かったのかもしれない、と、このごろになって思う。
創作の熱はどこか恋愛の熱に似ている。