今日はクリニックの受診日なので、予約投稿しておきますね。
意外な手紙のマナーなど
みなさん、こういうことはご存知でしたでしょうか?洋型封筒というか、普通の封筒の場合でも(定型ですね)横長に使う場合の切手を貼る位置。
話題になるくらいだから、知らない人も結構いらっしゃるということですね。まあ、日常はあんまり手紙とか出す機会が少ないとは思います。
私はこういうことは昔から知っておりまして、それはなぜかというと、かつての私は手紙魔というか、相当な筆まめであったからです (^_^;)
全国の友人と文通していた頃
ネットもメールもない時代だったし。もう40年くらいの昔になります。
高校時代に話が合う友人を見つけることが出来なかった私は、文通なるものをやってみたいと思いました。それも手紙だけじゃなくて、「あなたのイラストを送ってください」という希望を添えて、漫画雑誌の文通希望欄にハガキを出したのでした。
当時の雑誌には欄外にそういうミニコーナーがあって、それを見てくださった方が相当数(数十名)いらして、その中から年代も近くて、話が合いそうな方々との文通が始まったのでした。
私はまだ病気療養中だったので、無理は出来ないながらも、手紙とイラストが届くのが楽しみで、自分でもカットでペンの練習して、それと文通相手と交換しておりました。
やがてその相手のお1人が「漫研を作ります」ということで、さらに規模が大きく、それでいながらアットホームな全国規模の活動が始まりました。青コピーの会誌だったけど、すごいページ数になったし、口コミで会員数もページ数も増えて、結果的にかなりのプロの漫画家さんを生み出すことになったのですが…。
そういう時代でも、やはり個々のコミュニケーションは手紙、ですよね。まだ長距離電話が高い時代でしたし。
市販のレターセットを買っていても追いつかないので、自分で原稿を描いて、何百枚単位の便せんを何種類も作りました。友人に分けたり、交換したりもして。手紙のマナーはそういう時代に覚えたのですね。
常に多くの種類の切手を買い置きしているので、ご近所さんが「ごめーん、1枚分けて」と来られたり。「これいくらで届く?」キッチンスケールで重さを量って、「これならいくら」と切手を譲ったり、そういうことが普通でした。ポストもすぐ近くにありましたしね。
学生時代にはいくら捜してもみつからなかった親友と呼べる友人も出来まして、彼女とは双方向で日記のやりとり感覚の手紙交換が始まりました。週に1通以上のやりとりが何年も続きました。その延長で二人で合作イラストを描いたり、同人誌を作ったり、それが長年続きました。
覚えている限りでは最長で1通の手紙で便せん23枚くらいまで書いたことがあります (^_^;) 記録だね (^_^;)
そういうおつきあいややりとりは20年くらい続いたのですが、彼女が結婚してしまって、お互いに介護やら生活に追われるようになって、私はいつのまにかメールのやり取りの方が容易く感じるようになって、手紙のやりとりもずいぶん長い感覚になってしまいました。
当時の筆記具は万年筆でした
手紙の時代、私には愛用の万年筆がありました。それだけの枚数を書くのだから、手に一番負担がかからないのが万年筆だったのですね。高校生の頃に2000円程で買った万年筆(パイロットだと思う)、それもやはり20年くらい使い倒しました。母に貸した時に「これ、あんたの手の癖がついてて書きにくい」と言われました。
よくそれだけ書くことあったよね。長距離電話はやっぱり月に一度くらいが限界だから、どうしても手紙がメインです。
…で、実はもらった手紙はいまも私の旧自室に残っていたりするんですよね。
私がブログを続けることに抵抗を感じないのは高校時代から始まった文通がきっかけだったのかもしれませんね。手紙なり日記なり「文章を書く」というのが当たり前のことになっている現実。
その当時から計算に入れると40年以上なにか書いてることになります。これは抵抗無くなるよね。今に始まったこととはキャリアが違うし…。
まあ、そのわりに文章を書く仕事をしているわけでもありませんが、本を読む仕事でも、絵を描く仕事でもなくて、どこかに残っている「楽しさ」が長続きする秘訣があるのかもしれません。
このままいくと、絵を描くのと本を読むのと、文章を書くのはきっと死ぬまでやめないだろうな。ほとんど食事と同じくらいのレベルの大事なものになってるしね (^_^;) …まあ、それもよきかな、と思うのでした (^_^)