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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

キーボード的思考

困ったな。このごろ「文章を書く」という作業そのものも「書きながら考える」作業もキーボードの前に座らないと出来なくなってしまった。

そもそも私が創作を始めた10代の頃は、同好の友人とのやりとりももっぱら手紙が主流だった。話題が深みにはまるたび、便箋何十枚にも及ぶ長文の手紙(落書き付き)が友人との間を何往復もして、その手紙自体ももちろん手書きで、万年筆できっちりと書いていたもんなんだけどね。

相手が友人だということもあって、仮に文字を書き間違えてもそんなに気を使うこともなく、消して書き直す、もしくは修正液で直すくらいのことでよかったし。でもその頃でさえ、込み入った話題だとよく文章が前後して、矢印があちこちに…ということも多かった。

そういうのが様変わりしたのは10年くらい前からだろうか。いや、正確にはもうちょっと前だな。ワープロ専用機の出現である。「すごーい、間違えても修整のあともなく直せる」というのはなかなかの感動だった。字が下手だということも目立たなくなるのよね。すごーい。

で、自分用のワープロを手に入れてからは手紙もワープロで書くようになっていった。思えば作家の高村薫さんなども自分の字にコンプレックスがあって、それを気にしなくてもいい、という理由でワープロがあったから小説が書けるようになったと聞いたことがある。そうなんだよね。字にコンプレックスを持っている人間には強い見方だったのね(笑)

そのうちに慣れというのもあって、「考えながらキーを打つ」という作業がだんだん自然な形になっていった。それがパソコンになっても基本は変わらなくて、ちょっと長い文章を考えながら打つ作業はいつのまにかワンセットになっていて、考え事をまとめるのにはパソコンが必要不可欠になってしまった。

残念ながら、このブログでは下書きが出来ないけれど、メールでも長くなる時は私は現在でもワープロで打っている。おかげでいまではいきなりペンを持って紙に向っても、まともに描けるのは絵だけになってしまった。文章は出て来ないのよ~(汗)このままだとたとえ手書きの手紙が必要な時でも下書きをワープロでやるはめになりそうだ。

根っから昔人間の母などはいまだに孫への手紙を書く時ですら、いちいち別の紙に下書きして清書をして出している。とてもじゃないけど、ああいう面倒なことは出来ないわ~(汗)デジタル思考はしていないと思うけど、デジタルの道具の助けなしで文章が書けない、というのは果たしていいことか悪いことか、ちょっと悩んでしまうなあ…。手で書かないと漢字はどんどん忘れてしまうしね(汗)

ブログを続けているとますますその傾向は加速して行きそうな気がするなあ…。

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