季節行事には冷めている一家でした
冬至ですか…。かぼちゃに柚子湯だけど、どっちもないから無視しよう。
ついでに東寺の終い弘法市でもあります。昔は母と二人で、たまに弟も一緒にお煮しめ用のクワイとか蓮根とか、小芋などを買いに行ったけど、いまは作る気もないし、作っても食べないし…。日本の伝統行事って、ある程度家族の人数がいて、子供たちがいないとなーんもやる気がしなくなるもんだなあ、と思います(ーー;) 子供たちがいないと伝えていく意味がなくなるからさ…(*-д-)-з
そういえば私は妙に醒めたところがある子供でした。
そういう行事関係であんまりはしゃいだ記憶がありません。
サンタクロースにしても、幼稚園に上がる前だけど、どこから知ったのかはわかりませんが、気がついた時にはサンタクロースの正体を知っていて、3、4歳頃に朝起きたら、枕元にプレゼントがあったんだけど、それを知ってたからさ。特別に喜ぶよりも当惑していたので、親も期待はずれだと思ったようです。
「クリスマスはなー。正月が近いしなあ」…連続でお年玉の費用がいるもんね。「もう、クリスマスはええから、そのかわりにお年玉ちょっと増やしてくれたら嬉しいな」「ほんならそれでいこか」
…かくして、我が家にサンタクロースが来たのはその年だけでした。
サンタクロースの正体を他の子にバラすのは無粋だっていうのもわかってたら、誰にも言いませんでしたが、でもなんでみんなわからないんだろう?とは思ってた(ーー;)
…いやー、醒めててノリが悪い子供でごめんね。他人の借り物のファンタジーでうまく遊べない子供だっていうのはわかりました。本の世界を別にすれば。ロマンのある子だかどうだかいまいちよくわかりません。でも幼児期から私は私だったんだね〜(^_^;)
書くこと、と描くことは確かに心の役に立つ
昨日見つけて、うんうん、なるほど、と思った記事です。
思えば私も随分長いあいだ「書くこと」を実践しています。
昨日の記事に書いていた友人相手には、毎週のように交換日記のような分厚い手紙の束をやりとりしていたし…。(最長記録便箋23枚ね(^_^;)しかも鉛筆のカット入り)その頃はワープロもないから手書きで、しかも郵送だから投函しても2、3日かかるんですが、それが届く前にまた次の手紙を書き始めていたりしました。マメだった。自分でもあきれるくらいに。
いまでもまだ当時のやりとりの友人からの手紙はまだうちに残っています。何百通。あちらにも同じだけの私の手紙があると思います。漫画の原稿も預けっぱなしだしね〜(^_^;)
日記→対談→思考→問題提起→感想→反省→感謝…。たかが手紙ですが、実に内容の濃いやりとりをしていたと思います。学生時代には無理だった哲学的なやりとりもしていたし、手紙の中で勝手にキャラクターが動いて、話が出来ていって、それが合作の形にまとまったりとか…。そういう内容の、やっぱりクリエイティブなやりとりだったなあ、と思います。
いまの私がブログを書いているのも、それが知らずに続いているのももっぱらその文通時代の延長で、「文章を書く」習慣がそのまま続いているとしか思えない感じですね。
で、ブログを始めてからは自分の病気はもちろんあったし、父の介護とか、弟の騒動とか、母の介護とか本当にいろいろありすぎて、その混乱に呑み込まれないために、自分の精神のバランスを取るために非常に有効な手段だと感じていました。
介護しながらのお絵かきは私にとっては「お写経効果」で、それだけ気持ちを落ち着かせるのに有効な手段でした。既成の作品の中の結構な枚数をボロボロ泣きながら描いていたことを覚えています。それでも落ち着くんですよね。描いているうちに救われる気持ちになってくるので、「お絵描き=偉大なるお写経効果」でした。
文章を書くのはお写経効果に似てはいるけど、もっと具体的に頭の中を整理して、冷静に距離を置いて世界を見られるようになるという効果が大きかったですね。徐々に自分のことを客観視できるようになってくるのです。
経年後の新たな目的も生まれる
で、結果的に何年経っても備忘録になるし、それをもとにしていま、父の介護のころの本を作ってお世話になった人たちに配りたいという願望が生まれていますし…。私にとっては「思い出すことが供養」なので、法事とかそういうものよりも意義がありそうに感じます。
まあ、あれですよ。法事でお膳を出して、ちょっとお寺さんにお布施する程度の費用で本が作れるのならそっちの方がいいよね、と思ったり…。
そういうふうにあとあとになってから、新たに生まれる夢があったり。役立ったりもしますので、現在ブログを書いておられる方にはそういう楽しみもありますよ、と言っておきたいなあ…。
ま、お金儲けにはなりませんが、誰かの人生にはちょっとだけ役に立つかもしれません。そういうのが私の本意のようです(^^)