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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

日記よりも大切なもの

昨日たまたま立ち寄ったギャラリーサイトの管理人さんの日記に「昔の同人誌の生原稿や古い落書きは思いきって捨てました」という言葉を発見して、軽いショックを受けてしまった。

処分した理由は「現在の方が確実に進歩しているし、過去は過去なりに精一杯描いていたので、悔いはない」ということだった。そんなふうに思い切れるのってすごいなあ…というか、自分にはとても出来ないことだからショックだったのね(汗)嶺

私は過去の絵はつまらない落書きでも捨てられない人間だ。ましてはその当時の精魂込めて仕上げた生原稿なんて、処分することなんか、とても考えられない。それらはふいの災害に備えて遠方の友人宅に疎開させていたりするくらいだし(汗)いくら頑張っても当時と同じものは2度とは描けないという自覚があって、だからこそそのために費やした過去の時間と自分が愛おしかったりする。これも一種の自己愛だろうか?嶺

技術的には確かに現在の方が進歩した部分はあるかもしれないが、その時、その時の絵に込めた思い入れと情熱はその時限りのものだって思っているんだなあ。撚

だから過去の日記や手紙はまだ処分出来ても、絵を処分するのは無理なんだよね。玲

そういう私からすると、処分出来るっていう人はよほど過去には執着しないというか、ほとんどスランプにも縁がない人なのかもしれないなあ…。そうだったらある意味うらやましいような気もする。

スランプに陥った時に過去の自分の作品を見返して、当時の思いとか記憶とかを甦らせる作業は自分的にはかなり有効な方法なんだけど。「ずーっと進化し続けます」という人には無縁の作業なんだろうか…。

うーん…やはりなかなか私には理解出来ない心情なのは確かだと思う。

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