お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

おかげさまで相続登記は基本的に自分でなんとかなりました

 

 

 この時期にうつだと本当に過眠というか冬眠みたいになってるなあ。毎日8〜9時間は寝ています(-_-;) はっきりと寝逃げです。

 

 

相続登記は無事に完了しました!

 

予定通りに、昨日マッサージが終わってお昼を食べてから、法務局に新しい権利書(だよね?あれは)を取りに行ってきました。電話とかあればやりなおしが必要かと思っていたんですが、合計4回の来所で、うち1回は予約しただけ、今日は書類をもらいに行っただけなので、中身は2回ですか、そのうち最初は戸籍などの必要分の確認で、二度目が足りなかった分の確認と記入の確認ですか。正味2回ですね。

 

「ややこしいですよ」と言われたわりにはしごくスムーズでした。まあ、うちは父方の親戚もいないしな。両親がここに転居した際に本籍も一緒にここに移しておいてくれたおかげで、戸籍の取得もこの住所だけで済みましたし。それも大変助かりました (^_^;) これで完了です。

 

まあ、やる気がある人なら基本的に自分でも出来ると思います。こういう本も出ているし。

 

 

自分でできる相続登記

自分でできる相続登記

 

 

 

 

 

 


いや、別に本を読まなくても出来ますが。

 

私が参考にさせていただいたサイトをリンクしておきます。必要になりましたらどうぞ。結構読むだけで流れがわかります。(そういって自分ではページを作らないつもりの私 (^_^;))

 

green-online.jp

 

chester-souzoku.com

 

www.meigi-henkou.jp

 

kyazublog.net

 

 

これ、他の患者さんにも共感された。私だけの悩みじゃないんだな、やっぱり。

 

 

 

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誰かが助けてくれていると思う

 

うちの場合は急ぎのタクシー代まで入れて、5万円前後。司法書士さんに頼むと12〜15万と言われたから、安くは出来ました。自分の頭がまともに働いてくれたのと、両親が背中を押して協力してくれたおかげです (^_^) でなければとても動く気力がなかったでしょう。

 

「恭子さんはわりとよくそういうことがありますね」とマッサージのT先生に言われました。先生はうちのご両親をよくご存知です。うちの母も結構そういうところがありましたよね、ということで、これはもう代々なのかもしれません。

 

なんというか、見えない世界の人たちはいろいろと助けてくださるので、非常にありがたいです。

 

清水寺貫首だった故・大西良慶さんが「観音さんにはお姿がないから、身近なだれかのお姿を借りて助けてくれはんの」という言葉、40年くらい昔に聞いたけど、実際にそういうこともあるから信じているのかなあ?と思います (^_^;)

 

にわか仏教徒みたいだけど、清水寺は観音信仰なんだよね。まあ、どうでもいいですが。

 

仏性というのはそういうものなのかもしれないね、と時々思います。

 

私は決して万能な人間ではないので、途方に暮れていると、誰かがなんとか、と思って協力してくださっているのですね。もちろん、肉体のある現実のお知り合いのこともありますし、縁をたどっているのかなあ?と思える、不思議なサポートもあったりします。

 

だから私みたいに頼りない人間でもなんとか暮らしていけているのだと思います。決して私のみの力ではないんですね。こういう「おかげさま」は忘れてはいけないと思っています。 …感謝!!

 

 

 

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 追記*「地球へ」のアニメで最終回までたどり着いた途端にイメージが浮かんだ。

次の作品が描けるかもしれない。…物語の中でも希望が残った。

「遠い約束」。

 

いや、実は「アンドロメダストーリーズ」とごちゃごちゃになりそうなところがあったんですが、これでスッキリした(^_^;)

 

www.amazon.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

自分にうつる相手を見るということ

 

すいません。まだうつの中におります。

 

 


これはとっても本音。こういうふうに生きられる人はものすごく幸せだと思います。

 

これは私にもそういうところがあるなあ、と思います。弟も言ってたけど。

 

 

「理解され無さ」の苦痛を知ると知らないとではかなりの距離があるので。

 


哀しすぎるよね、これって。世の中は優しくない。

 

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今日は訪問マッサージのあとで法務局に書類を取りに行く予定です。
電話がないというのはスムーズに受理されたんだろうなと思います。

 

でもその凄いかもしれない事が全然喜べない難儀なうつ(T_T) 

 

軽躁の時にはちょっとくらい自信持っても許されないんだろうか?
嫌いだ、こんな病(T_T) 


どうもこの病気の特徴として、軽躁の時には自信過剰になったりするのですよね。
事業を始めようとする人がいるくらいだし。

 

その落差が理解出来ないし人からは非誠実だと思われて縁を切られたりとか。
対人関係で物凄く苦労している印象と経験があります。

 

これだけ理不尽で哀しいことを何度も経験して、それで寛容になれなきゃ嘘。

 

同じ人間の中にある振れ幅の大きさを当たり前に受け止めることが

出来るようにはなりたいです。

 

少なくとも自分の中のそれは理解できるし、行方不明になりかけた弟の

それもわかります。

 

相当の幅がありますよね。きっと健常者の想像を越えているかもしれません。

 

この許容量はやはり病気になった人にしかわからないことですね。
だから理解出来て良かったかもしれません。

 


逆にいうとやはり患者本人や家族や医療関係者以外にはわからない方が

多いということかも…。

もとより期待してなくても傷つけられる事は少なくないです。

そこには深い溝があります。

 

わかっていても完全に拒否は出来ないし。

内海健さんの本の一節に泣かされるわけだわ…。


このへんの内容ですね。

 

 

双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代-

双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代-

 

 

 

 

 

 

双極II型性障害、とりわけ若い事例では、相手が何を考えているのか、
大抵のことはわかるという。余裕のあるときには、先を見越して対応ができる。
二手三手先まで読む。[ところが、]具合が悪くなると、今度はそれが裏目に出る。
読みすぎ、気を使いすぎ、疲れてしまう。相手も自分と同じくらいに
[こちらの気持ちを]読めるのではないかとと思い、合わせ鏡のような一人相撲になる。

また、皆がうまくいっているのか、どこかで諍(いさか)いが起きていないか、と
いうことも、重要な関心事である。そして大抵、彼女らの勘はあたっている。
おそしてみるまに、対人関係の相関図が、頭の中に描かれる。

こうした特性は、彼女らが生まれ育った家族での関係が反映されている。
彼女らは、おしなべて甘えべたである。親に甘えるというよりは、むしろ親が
彼女らに甘えてきた、と言った方が適切である。

この関係は、家の外でも再現される。彼女らの多くは頼られる。
明白な場合もあれば、目立たぬ形を取る場合もあり、あるいはスケープゴートとして
機能を果たしているときもある。(中略)

この頼られることは、彼女らの生きがいでもあるのだが、抑うつの時には
大きな負担となる。(中略)

双極性II型障害の事例がきまって言うことは、「悩みを持ちかけられる」ということである。
そして最も苦手なことが、「他人の悪口を聞かせれること」である。(中略)
ある患者はこのことについて、「影で他人の悪口を言うことは、私の悪口も
どこかで言っているということになります」と説明した。
論理的に聞こえるが、むしろ相手に対する直感的な洞察なのだろう」(p.151)

****

 
「どのような精神療法にも共通することであるが、患者が自分の問題に気づき、
そしてそれに対応するためには、その問題を単に欠点として自覚するだけでは
十分とはいえない。

・・・というより、それでは患者は浮かばれない。症状であれ、性格の特性であれ、
それらは両義的であり、[=環境への不適応の要因になるともいえるが、同時に、
その人なりにうまくやっていく上での『強み』でもあり]、かならず評価すべきところがある。

ましてや、双極性II型障害[の人]が持つ他者配慮は、肯定されてしかるべきでものである。
この利他的なあり方の中に、ただちに偽善、おせっかい、支配、自分本位などを
読み込むべきではない。それは通常人が自らを投影しているものである。
同様に、他人の顔色をうかがう小心さ、過度の傷つきやすさ、拒絶への弱さなどになどの
脆弱性に還元してすませるべきでもない。

仔細に日常のあり方、そしてそこにいたる生き方を見てみれば、彼ら彼女らの
「けなげさ」「かいがいしさ」を感じ取ることができるはずである。

他人への配慮や気遣いをしつつ、彼らが奮闘してきたこと、
彼らによって支えられた人たちがいること、
そして誰もそれを評価しておらず、にもかかわらず、患者に依存し、患者の気遣いを
湯水のように消費してきたこと、
そうしたことにに共感が示されるべきである。

少なくとも、他者への尽力に役に立ったのであり、意味があったのだということを、
治療者は繰り返し与えて返してしかるべきである。
このあたりのへの共感性が持てないと、この疾病に対する治療は、
ちょっと難しいかもしれない」(p.161)

 

 

他者はこの病気の対応がわからない影響から離れることで逃げられる。

 

でも患者本人は逃げることができない。その苦しさが理解されません。

 

他人は自分(患者)ほど寛容ではありません。 
多くの患者の今までの苦しみの経験はおおかたそこにあります。

ひどいときは家族でも逃げられる。でも自分からは逃げられない。

 

この病気の自殺率の高さはそのへんにあるのかもしれません。

 

自分の症状に対してある程度寛大でなければ生き延びられない。
でもそういう実態は多くの人の理解の外側にあるから。孤独ですよね。

 

そのくせ、自分はもっと多くの人のことを理解出来るようになるかも、

と期待してしまう。

たぶんそれはまちがいではないけど、それ以上に傷つくことが多いです。

しんどいねえ… (*-д-)-з

 

 

 

 

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生きているものが生きようとするのは本能である

 

希死念慮の日

 

 

 

 

 

昨日はこう、本当に辛かったのでセロクエル寝逃げして8時間爆睡しました。ちょっとスッキリ?…した、かなあ…??


まだうだうだとこれに関わっていて、いっそのこと見ても見ないふりが出来たら楽なのに、と思ったりしていましたが…。

 

 

 

 

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それでも消えぬ問いかけ

 

自分の希死念慮が強くても、今にも死にそうな人を見捨てられないのはなぜか?という問い。

 

自分自身を相手に投影している部分があって、相手を助けることで自分を助けているというのも確かだと思うんですよね。自分が死にそうな時に思いやってくれる人の存在って本当にありがたいと思うし。見知らぬ人でも声をかけてもらえるのってすごく大事なことだと思います。

 


で、こういう問いは宗教者の人ならどう応えてくださるのかな?と思ってお坊さんに聞いてみました。

 

まあ、お坊さんは職業ですが、基本的には一個人として答えてくださっているんだと思います。

 

今朝気付いたら、こういうお答えが…。

 

 

 

やはり生き物としての本能です。あなたにも周りの人や目にする人にも生きることへの潜在的な本能があります。
それはああだこうだ考えるようなレベルのことではなく私達生物に全て与えられた本能、サガです。
それは本当に一つ一つ尊いものです。

あなたがそう思い行動されることも尊いことです。

どうぞその思いを胸に抱いてあなたの人生を精一杯生き抜いて下さいね。

 

 

 

これに対しての私からのお返事です。

 

 

 

ありがとうございます。

 

ご解答を拝読した瞬間に新生児の誕生の産声が聞こえました。生命はただ引き続き、ずっと生きたいと欲しているのが本能なのですね。とても腑に落ちました。

 

死の最期の瞬間まで握り続けていた父の手の体温や、特養で眼にした、ずっとなにかを見つめている認知症のおばあちゃんの後ろ姿や、そういうものが光を増して眩しく思い出されて涙があふれました。確かに尊いお姿です。

 

なぜ自分が医療のお仕事をされている方々や、保育や介護のお仕事をされている方々にリスペクトするのか、理由がわかりました。命をはぐくみ、見守り、助け、きちんと見送る、どれも尊いお仕事だからですね。

もちろんそういうふうに思っておられない方もいらっしゃると思いますが、今後は一層協力が出来るようになれたら嬉しいです。

 

実は昨日などは私自身が希死念慮がひどくて落ち込んでいた時でしたので、いただいたお言葉に救われました。私もこういうふうに適切な言葉を自然な感じで人に語りかけられるような人間になりたいと願います。

 

本当にどうもありがとうございました。これからも本能の働きで、自分の生命も他の人の生命も大切にしたいと思います。

 

 

 

言葉は力に


世の中に光がさすこともこともあるんだなあ、と思いました。

 

実際に医療や保育や介護やレスキューなどの仕事について、どうしてかくも強く引かれるのか謎でした。まあ、甥や姪が関わっているからというのもありますが、それだけじゃないと思っていましたし。それが瞬時に腑に落ちました。これって凄いことだと思いました。

 

言葉が言葉だけど、力があって、タイミング良く降りてくる言葉は凄いね、と思います。

 

おかげさまで、昨日までの希死念慮は多分払拭されました。


最後にこれを添えておきたいな。

 

 

子供たちは未来を生きる希望の存在ですから、過去、現在から未来へ世代のバトンタッチがきっちり果たされていることはめでたいとことだと思います。故人もきっと喜んでおられることでしょう。想像するととてもほほ笑ましく素敵な光景だと思います (^_^)

 

 

 

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