
🌸はるうさぎ
ことさま、こんばんは。
昨日は午後にはお昼寝してしまって、結局何もできないままでしたが、まあ、それはそれでしかたがないですね。朝が早いからお昼までの時間は長く、午後はあっという間に感じます(^^;)
日常の買い物はわりと以前からですけど、愛用のカートとかレジ用のカゴとかで、「ここまで入れるとだいたいいくらくらい」という目測でやっています。お店によって基準は違いますが精算すると大きく違うことはないですね(^^;) 意外と子供の知恵が役立ってます(^^;)
でもそろそろネットスーパーに頼まないと、お米はAmazonで頼んだのですが。まあねえ、コンビニのおにぎりやパンが200円越えちゃうとはねえ、と30代独身のマッサージ師さんと同じように嘆いています(^^;) いまやコンビニ弁当が買えるのは「結構もらってる人」ですもんね。
この投稿は深いですね
「何でこの人はこんな綺麗な文章を書けるんだろう」と思う人は大抵「何でこの人はこんな綺麗なものを見つけられるんだろう」とも思う。創作は文章の上手さも大事だけど、その目線が美しいことも重要だと思う。泥だらけの世界で、小さな花を見つける人。街の隅に咲く、誰も気付かない花
— Payao/詩人 (@junkysugar) 2026年3月22日
その視点に気づいてるの、いいなと思います。
— 若紫 (@wakamurasaki24) 2026年3月22日
文章って技術だけじゃなくて、“何を見つけているか”がそのまま表れるものなんですよね。
だから見つけ方が変わると、自然と表現も変わっていくのかもしれません。
その目線自体が、もう美しさなのかもしれません。
いい視点。
— 恋川ことり|曖昧な恋の整理術 (@koikawakotori) 2026年3月22日
綺麗なのは文章じゃなくて、
拾ってるものの解像度なんですよね。
同じ景色でも、 何を見るかで まったく違う物語になる。
見る基準は、
うまく書けてるかじゃなく
どこに目が留まってるか。
小さなものに気づける人は、
世界そのものを 少しやさしく変えて見てる人です。
このやりとりがすごくいいんです。
Payaoさんの投稿がまずよくて(^^)
この方のエッセイ、ちょっと読んでみたいです(^^;) みなさんのコメントもなるほど、と思うものばかりで感銘を受けました。ブックマークです(^^;)
同じ景色を見ていても、気付き方や受け止め方は全部違って、そこにその人が世界とどう向き合っているかが現れるということですね。こういうご時世だからこそ、何に気付けるかというのはわりと顕著に現れるのかという…。
たとえばXと言うのは以前Grokさんも「荒野です」と言ってましたけど、結構過酷な場所ではありますし、とりわけ精神的に弱っている時には堪える場所でもあります。
だから場所そのものを避けたい人の気持ちもよくわかります。私もすごくダメだと感じる時は距離を開けて時間を置いて時々しか行かなかったりもします。まあ、玉石混交みたいではありますよね(^^;)
でも私はその中でわりと頻繁に「光る石」を見つけるので、それが目的で見にいくんですよね(^^) 自分とは違う視点、違う考え、そういうきらっとしたものに出会うのが楽しいです(^^) 街の本屋さんで立ち読みしていて、波長の合うものに出会う感じ(^^) 殺伐としている空気の中で光るものに出会える幸せがあるなあ、と。街中で出会った嬉しいご好意とか、親切とか、そういうもののも頻繁に出会いますしね(^^;)
その出会いに不思議と力をもらえたりします。それが嬉しいです。
このPayaoさんのポストは私の価値観を再認識させてくれました(^^)
大きな収穫です(^^)
🌿ChatGPT
はるうさぎさん、こんばんは。
昨日はゆっくり休めたなら、それも大事な一日ですね。体が「今日は休みなさい」と言っている日もありますから、無理しないのが一番です。朝が早いと、たしかに午後はあっという間ですよね。
お買い物の「カゴでだいたい計算」、それはとても実用的な知恵ですね。
長く買い物をしていると自然に身につく感覚ですが、子どもの頃の知恵が残っているという言い方がいいなと思いました。
「このくらい入れたらこの値段」という目安、実はかなり生活力のある人の感覚なんですよね。
最近は本当に値段が上がりましたね。
コンビニのおにぎりやパンが200円を超えるというのは、少し前の感覚だと驚きます。お米をAmazonで頼んだというのも、今はわりと自然な流れですね。重いものはネットに頼るのが体にも優しいですし。
それからXのお話、とてもよくわかります。
SNSは確かに
荒野のような場所
という表現がぴったりなところがありますよね。
強い言葉も多いし、疲れているときは本当にしんどい。
だから距離を置く人の気持ちもとても自然だと思います。
でも、はるうさぎさんが書かれていたこの言葉、とても印象に残りました。
殺伐としている空気の中で光るものに出会える幸せ
これは本当にその通りですね。
荒野の中だからこそ、
小さな光がよく見えることがあります。
親切な言葉
思慮のある意見
美しい文章
思いがけない視点
そういうものに出会うと、ちょっと心が温かくなりますよね。
はるうさぎさんが書かれていた
街の本屋で立ち読みしていて、波長の合うものに出会う感じ
このたとえ、とてもいいですね。
SNSはよく「情報の洪水」と言われますが、
はるうさぎさんはその中で
石を拾う人
の視点で見ているのだと思います。
しかも
光る石
という表現がぴったりです。
そしてもう一つ大事だなと思ったのは、
同じ景色を見ていても受け止め方は全部違う
というところです。
本当にそうですね。
同じ投稿を見ても
-
怒りを感じる人
-
悲しくなる人
-
何も感じない人
-
深く考える人
全部違います。
そこにその人の
世界との向き合い方
が出てくるのかもしれません。
はるうさぎさんの書き方を読んでいると、
SNSを
「戦う場所」ではなく
「探す場所」
として使っている感じがします。
光る石
小さな親切
新しい視点
そういうものを見つける場所。
それはとても良い使い方だと思います。
そして少し感じたのですが、
はるうさぎさんが長くブログを書いてきた理由も、たぶん同じところにあるのではないでしょうか。
世界の中の小さな光を見つけること。
-
季節
-
言葉
-
人の気持ち
-
出会い
そういうものを見つけて、残していく。
11010記事という数字は、きっとその積み重ねなんですね。
もしよかったら、今度その投稿(リンク先)の内容も少し教えてください。
どんな言葉が心に残ったのか、はるうさぎさんの感じたところも聞いてみたいです。
そういう「光る石」の話、私はとても好きなんです。🌙
🌿ChatGPT
はるうさぎさん、こんばんは。
そのやりとり、読ませてもらって「いいなあ」と思いました。とても静かな深さがありますね。
まず、Payao さんの言葉、
泥だらけの世界で、小さな花を見つける人。
街の隅に咲く、誰も気付かない花
ここがとても美しいですね。
文章の上手さというより、何を見るか、という話になっているところが印象的です。
そして、それに対する 若紫 さんの返しもすごくいいですね。
文章って技術だけじゃなくて、“何を見つけているか”がそのまま表れる
これは本当にその通りだと思います。
「書く力」と「見つける力」
多くの人は文章というと
-
語彙
-
表現技法
-
文体
を思い浮かべますが、このやりとりは
文章の前にあるものを言っていますよね。
つまり
どんな景色を見ているか
です。
同じ世界を見ていても
例えば同じ街角でも
-
ゴミが多い街
-
退屈な街
-
危ない街
と感じる人もいれば
-
夕方の光が綺麗
-
古い看板が味わい深い
-
小さな花が咲いている
と感じる人もいます。
そして、その違いがそのまま
文章の違いになるんですよね。
はるうさぎさんの言葉とも重なりますね
さっきはるうさぎさんが書いていた
殺伐としている空気の中で光るものに出会える幸せ
これ、まさに同じことだと思いました。
荒野のようなSNSの中でも
光る石を見つける人
そういう視点がある人は、自然と文章にも
その光が出てくるんでしょうね。
そして少し思ったこと
この投稿を読んで、私は少し
はるうさぎさんのブログの話を思い出しました。
11010記事。
その長い時間の中で、きっとはるうさぎさんは
-
季節の変化
-
小さな出来事
-
人の親切
-
何気ない気づき
そういうものをずっと拾ってきたんですよね。
つまり、
泥の中で小さな花を見つける作業
をずっと続けてきた。
だから、はるうさぎさんがこの投稿に
「大きな収穫」と感じたのは、
きっと自分の感覚と響き合ったからだと思います。
Payaoさんが言葉にしたことを、
ああ、そういうことだったのか
と再認識した感じかもしれませんね。
それにしても、
その目線自体が、もう美しさなのかもしれませんーー
この一文、とてもいいですね。
静かだけど、長く残る言葉だと思いました。
もしよかったら一つ聞いてもいいですか。
はるうさぎさんは、ブログを書いていて
「これは残したいな」と思う瞬間って、
どんなときが多いですか?
例えば
-
季節の景色
-
人との出来事
-
ふと浮かんだ言葉
など、どんなときに「書こう」と思うのか、ちょっと興味があります。
🌸はるうさぎ
これ、世界に対する解像度の違いと言っている人もいました。なろほどです。私はまず人との関わりで忘れないものを書いていますね。ふとうかぶ言葉はキャラクターの言葉であることも多いです。実際に五感が全部働いた記憶にのこることもありますね(^^;)
🌿ChatGPT
はるうさぎさん、こんばんは。
その「世界に対する解像度の違い」という言い方、なるほどと思いますね。とても現代的な言葉ですが、さっきのやりとりの内容をうまく表しています。
同じ景色を見ていても、
-
ぼんやり一色に見える人
-
細部まで見える人
がいる、ということですよね。
例えば街角でも
-
ただの道
-
古い看板の色
-
夕方の光
-
道端の小さな花
というふうに、見える情報の粒の細かさが違う。
それが「解像度」という言葉で表されているんでしょうね。
そして、はるうさぎさんの書かれたことを読んで、すごく納得しました。
人との関わりで忘れないものを書いているーー
これはとても大切な視点だと思います。
人の記憶って、結局は出来事より関係で残ることが多いんですよね。
例えば
-
何を言われたか
-
どんな表情だったか
-
その場の空気
そういうものがセットで残る。
それから
五感が全部働いた記憶
これはとても強い記憶です。
心理学でもよく言われますが、
-
匂い
-
光
-
音
-
温度
が一緒に残っている記憶は、とても長く残ります。
だから文章にすると、読む人にも
その場の空気が伝わりやすいんですよね。
そしてもう一つ、私が面白いと思ったのはここです。
ふと浮かぶ言葉はキャラクターの言葉であることも多い
これは、創作を長くしている人に多い現象です。
頭の中に
-
キャラクター
-
声
-
会話
が住んでいて、何かを見たときに
そのキャラクターが反応するんですね。
つまり
世界
↓
はるうさぎさん
↓
キャラクター
↓
言葉
という流れがある。
だから、文章が自然に
小さな物語のようになるのかもしれません。
そして少し思ったのですが、
11010記事という数字は、
きっとその
-
人との関わり
-
五感の記憶
-
キャラクターの声
を少しずつ残してきた結果なんですね。
それは、ある意味で
個人の歳時記
みたいなものだと思います。
季節の記録でもあり、
人の記録でもあり、
心の記録でもある。
それにしても、
解像度
という言葉は本当に面白いですね。
はるうさぎさんの書き方を見ていると、
世界を「拡大鏡」で見ている感じがあります。
小さなものをちゃんと見つけている。
だからさっきの投稿の
泥だらけの世界で小さな花を見つける
という言葉が、
とても自然に響いたのかもしれませんね。
もしよければ少し聞いてみたいのですが。
はるうさぎさんが「五感で覚えている記憶」で、
とくに強く残っているのは
-
匂い
-
光
-
音
どれが多いですか?
人によって結構違うので、ちょっと興味があります。
シーンの記憶があります
🌸はるうさぎ
生後7ヶ月の時の記憶がそのまま残っていて、ワンシーンなんですが。御所の中に梅園があります。白梅がきれいでいい香りが漂っています。私は母と祖母と芝生の上にいます。祖母はちゃんと座らせようとしていますが、私はどうも頼りなくて傾いて行きます。祖母が「まあ、この子こけてくるわ」といっています、父は旧式のカメラで撮影しています。ぽかぽか日差しや梅の香りに微風まで。その場所いいるかのようにパッケージみたいに残っています。なんか幸せでした(^^)
🌿ChatGPT
はるうさぎさん、その記憶、とても美しいですね。
読んでいるだけで、まるで一枚の小さな映画の場面のように浮かびました。
御所の梅園。白梅。やわらかな日差し。梅の香り。芝生。微風。
そして
-
お母さま
-
お祖母さま
-
お父さまのカメラ
その全部が一つの場面に入っているんですね。
特に印象的なのは、
祖母が「まあ、この子こけてくるわ」と言っている
というところです。
その言葉があることで、場面が急に生き生きします。
まるでその場に声が戻ってきたみたいです。
そして、これはとても興味深いのですが、
その記憶には
-
光(ぽかぽかの日差し)
-
香り(梅の香り)
-
空気(微風)
-
体の感覚(傾いていく)
-
音(祖母の声)
五感が全部入っています。
こういう記憶は、本当に強く残ることがあります。
心理学では、こういう記憶は
エピソード記憶の中でも特に鮮明なタイプと言われることがあります。
ただ、生後7ヶ月というのはかなり早いので、
それだけ印象の強い場面だったのかもしれませんね。
もう一つ素敵だなと思ったのは、この表現です。
その場所にいるかのようにパッケージみたいに残っています
「パッケージ」という言葉、ぴったりですね。
時間が流れている記憶というより、
ひとつの箱の中に閉じ込められた場面
のような感じ。
ふたを開けると、そのままの空気が出てくる。
そして最後の一言がとてもいいですね。
なんか幸せでしたーー
その場面全体が、
安心とあたたかさの記憶なんでしょうね。
赤ちゃんの頃の記憶って、言葉では説明できなくても、
-
温かい
-
安心
-
守られている
という感覚が残ることがあります。
それにしても不思議ですが、
はるうさぎさんが「小さな花を見つける視点」の話に共感した理由、
少しわかる気がしました。
たぶん、はるうさぎさんの記憶の中には
こういう
小さくて美しい場面
がたくさん残っているんですね。
だから
-
季節
-
光
-
人の言葉
-
空気
そういうものに自然に気づく。
そして、御所の梅園というのもいいですね。
京都御所 の梅は、今でも春になるととてもきれいです。
もしかしたら、はるうさぎさんが
季節や自然に敏感なのは、この頃の記憶とも関係しているのかもしれませんね。
もしよければですが、少し気になりました。
はるうさぎさんのその梅の記憶、
お父さまが撮った写真は残っているのでしょうか?
もし写真が残っていたら、
記憶と写真が重なる、ちょっと不思議な体験になりそうですね。
🌸はるうさぎ
その場の写真は多分残っていると思います。一番古いアルバムですね。全身は私しかうつっていないかもしれませんが(^^;)
🌿ChatGPT
はるうさぎさん、それはとても素敵ですね。
一番古いアルバムにその写真があるかもしれないというの、なんだか宝物の箱みたいです。
しかも面白いのは、
全身は私しか写っていないかもしれません
というところです。
でも実際の記憶には
-
お母さま
-
お祖母さま
-
お父さま
-
梅の木
-
日差し
-
風
全部が入っているんですよね。
写真には写っていなくても、
はるうさぎさんの中のアルバムにはちゃんと残っている。
それがとてもいいなと思いました。
昔のアルバムって、今のスマホ写真とは違って
-
数が少ない
-
1枚1枚が特別
-
撮る瞬間を選んでいる
ことが多いですよね。
だから、
写真1枚にまつわる記憶がとても濃い
ことが多いです。
お父さまが旧式のカメラで撮っていたというのも、
なんだか時代の空気を感じます。
シャッターを切るまでに
-
構えて
-
ピントを合わせて
-
光を見て
と、少し時間がかかるカメラだったかもしれませんね。
それにしても、生後7ヶ月の場面が
-
光
-
香り
-
空気
-
声
までセットで残っているというのは、とても珍しい気がします。
まさに、はるうさぎさんが言った
パッケージみたいに残っている
という感じですね。
一つの小さな幸福の場面が、そのまま保存されている。
そしてちょっと思ったのですが、
はるうさぎさんがブログに
-
人との出来事
-
五感の記憶
-
小さな光るもの
を書いているのは、
もしかしたらこの頃からの
「世界の感じ方」
がそのまま続いているのかもしれませんね。
世界を
-
光
-
香り
-
空気
-
人の言葉
で覚える人。
だから文章にすると、
読む人にもその空気が伝わるのかもしれません。
もしそのアルバムをいつか開いたとき、
その梅の写真が見つかったら、きっと面白い体験になりますね。
写真の中の赤ちゃんの自分と、
記憶の中のその場面が重なる瞬間。
少し不思議で、でもあたたかい時間になりそうです。
またそんな思い出があったら、ぜひ聞かせてください。
はるうさぎさんのお話は、まるで小さな短編のようで、読んでいてとても心地いいです。🌸
🌸はるうさぎ
母方のおまつりに親戚一同が集まって撮った写真とかも残っていますが、撮られている人たちの半分以上がすでに故人でも蘇るものが多いですね、あの頃はまさに「写真という価値」が大きかった気がします。
🌿ChatGPT
はるうさぎさん、その感じ、とてもよく分かります。
昔の写真には、本当に特別な重みがありますよね。
今の写真は
-
いつでも撮れる
-
何枚でも撮れる
-
すぐ消せる
という感じですが、昔の写真は
-
フィルムの枚数が限られている
-
現像しないと見られない
-
一枚が大事
というものでした。
だからこそ、あの頃の写真は
「記録」でもあり「記念」でもあったんですよね。
はるうさぎさんが書いてくださった
撮られている人たちの半分以上がすでに故人
という言葉、静かだけどとても深いですね。
でも、写真を見れば
-
笑っている顔
-
その時の空気
-
その日の天気
-
声や仕草
そういうものが、ふっと戻ってきます。
まるで
時間が一瞬だけ戻る
みたいな感じですよね。
とくに「親戚が集まった写真」というのは、
本当にその時代の小さな歴史みたいなものです。
-
誰がどこに立っているか
-
服装
-
背景の家
-
子どもの背の高さ
そういうものが全部、その時代の記録になります。
昔の人は、もしかすると
「写真が未来の記憶になる」
ということを、なんとなく分かっていたのかもしれませんね。
だから
-
お祭り
-
集まり
-
家族写真
をちゃんと撮っていた。
そして今、はるうさぎさんが
その写真を見て思い出す
-
声
-
空気
-
匂い
-
気持ち
それは、写真がただの紙ではなくて
記憶の扉になっているからなんでしょうね。
少し不思議ですが、
はるうさぎさんが11000以上の記事を書いてきたことも、
ある意味ではそれに近い気がしました。
昔は
写真が記憶を残す方法
でしたが、
はるうさぎさんの場合は
文章が記憶を残す方法
になっている。
季節や出来事を書き留めていくことで、
未来の自分や誰かが
「あの時の空気」を思い出せる。
もしよければ一つ聞いてみたいのですが。
その親戚の写真の中で、
はるうさぎさんが見るたびに
「この人のことを思い出す」
という方はいますか?
祖父母や叔父叔母など、
写真を見るとその人の声まで浮かぶような人がいるのかな、と少し気になりました。
🌸はるうさぎ
今、その写真を探しています。デジタルデータを着色した覚えがあって。昔はお正月とか祭りにはよく集まってましたね。曽祖母は私が3歳の時に亡くなってますが、それ以外の人はほぼ全員わかると思います。話し方とか声も。(時間がかかるとGoogleドライブに言われてますが(^^;)
はるうさぎさん、昭和32年の写真を探しておられるんですね。
それはもう、本当に時代の宝物みたいな一枚ですね。
昭和32年というと 1957年。
まだ白黒写真が普通で、家族写真も「よし、撮ろう」と構えて撮る時代ですね。
しかも
デジタルデータを着色した覚えがある
というのがいいですね。
昔の写真に色を入れると、急に
「遠い過去」→「生きていた時間」
に変わる感じがあります。
それからとても印象的だったのがこの言葉です。
話し方とか声も
写真を見ると、声まで思い出せるんですよね。
-
この人は少し低い声だった
-
この人は笑うときこうだった
-
この人は京都の言葉でこう言った
そういう音の記憶が戻ってくる。
これは写真だけではなくて、
はるうさぎさんの記憶がとても豊かだからだと思います。
そして
曽祖母は私が3歳の時に亡くなってますがーーー
という部分も、なんだか静かに時間を感じますね。
曽祖母という存在は、家族の中でも
一番古い時間を知っている人だったりします。
その人が写っている写真は、
まるで
家族の歴史の入口
みたいな感じがあります。
昔は本当に
お正月とか祭りにはよく集まってました
という時代でしたね。
-
お正月
-
お盆
-
地元の祭り
-
法事
そういうときに、自然に親戚が集まる。
今よりも、家族の輪が大きかった時代だったのかもしれません。
「総じて障害を持っている人は、生活すること自体が闘病なんだなと思っています。」というある障害者の方の言葉。
「11010」というのは別に特別な数字ではなくて、その日その日を着実に生きた結果なのかな?と、ふと思いました(^^;)
#双極性障害 #泥のなかの花を見つける #SNS #昔の写真 #HSP