お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

怖い話は人の心の中にある

 

そこつ者です よくいろいろある

 

ポットのお湯で軽いやけどをしてしまいました。左手の中指、人さし指、薬指。よりによって利き手っぽいところです。今の水道もぬるま湯だし冷えないし。でも検索したらセルフケア可能なやけどはシャワーもいいとあった。お湯だけsシャワーで汗を流したいです。幸か不幸か塗り薬の残りはいろいろあるので(^^;)やけどに傷パワーパッドはいまいちのようです。

でもシャワーのお湯はしみるので、本当にざっと洗うだけにしました。

 

めまいはまだ弱冠残っていますが、頭を動かさないようにして様子見です。

 

怖い話をあまり怖がらない私って変ですか?まあ害のある場所には近寄らないけど。正直リアルな人間の方が怖い。自分の中にすら時々殺意があるのも知ってるし。見えないけど善意はてんこ盛りにたくさんあるのも知っている。だから争いごとは基本的にナンセンス。国家にも両面性とかあるしね。人間にあるのと同じ。こまやかな対応が出来んでどうするねん?みたいな感じ。

 

 


宗教でもきっと限界があると思う

 

こういうのもある意味タイミング?

 

そうですね。相手に通じない話もありますね。相手の魂の経験が浅くて、まだ幼い場合だと助けられる準備も整っていない場合があると言われますね。その場合は強引に助けようとしても無理で、手が出しようがないこともあるみたいです。そこはどうしようもないかなあ、と思います。残念なことですが。

 

 

表沙汰にはならない外交の話して、遠からぬ過去にかろうじて平和が守られたことがあるのを知っているから私は平和には外交努力が無駄だとは思わない。あの祈りの日々。

 

 



気が利く大人はどこへやら?

 

 

バスの運賃が足りなくて、この炎天下に小学生を歩かせるよりも(めちゃ心配だし)たまたまそこに乗り合わせたらそこで足りない分あげちゃう、って大人が以前はもっといたような気がするんだけど……。なんか寂しい世の中になりましたよね。悪くなってるよね。

数百円寄付したと思えば返ってこなくてもいいんだけど。

 

いま、SNSに載るようなささやかな善意のニュースが、昔は結構身近に溢れてたような気がします。新聞の投稿欄とか。市民のための情報誌とか。

 

いま、SNSに取り上げられるそういう記事を見ると、みんな余裕がない世の中なんだよね、と思いつつ。現役の大人も結構子供に優しくないかも、と思ってしまいました。子供の気持ちを思えばさ。大人になると、っていう夢とか希望とかになっていればいいけど。

私が子供のときに全然知らない大人から気づかってもらえるのが嬉しかったんだよね。そういうことが伝えられるといいんだけどね。

 

 

 

私はいまだに亡き親の言動をお手本に生きてるなあ、と思います。「こういうとき、父ならこうする」「母ならこうする」というのがもう映画みたいに鮮やかに見えちゃうんで。なるほど、と思えるいいお手本だなあ(^^;)

 

 


べつに「絵師」でもいいけどね

 

 

 



 

 

 

 

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