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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

精神疾患ー正しい逃げ方(乗り越え方)と問題な逃げ方

 

現代の寓話みたいな

 

 

記紀に出てくる仁徳天皇のお話

 

難波(大阪)で天下を治めた仁徳天皇は、炊事の煙が立っていないことを見て民の貧窮を知り、三年間、税を免除したので聖帝とたたえられました。」

 

いまの政府って後世のおとぎ話に「嘘ばかりつく大人」「賄賂を納める大人」「間違いを治さない大人」などなど、「こういう人になっちゃ駄目よ」という子供たちの悪い見本のようだなあ、とふと思っていました(-_-;)

 

 

 



 

「精神科」に偏見はありませんが

 

 

昨日、こういう投稿を見かけました。

 

 

反対だということは「呼び名を変えたい」という人がいるということですね。

 

私は患者ですけど、自分の病気を恥じたこともなく、他の病気の患者さんにも偏見はないです。なんで精神科がよくないのかわかりません。よくないと感じる人の中に偏見や恥の気持ちがあるのかも。それも理解しがたいですが。内科その他の病気と基本は同じでは?

 

病名もしかり、ですけど、私は精神分裂症が統合失調症になったのはとてもいいことだと思います。病気のイメージがわかりやすいですし。上手く統合出来なくて苦労されているイメージ。団地のどこかから聴こえる男性の大声もおそらく幻聴とか幻覚とかがあって、他の人には見えないなにかと闘っておられるんじゃないかと想像しています。

 

双極性障害は双極症にしたいらしいけど、私は反対なので双極性障害を使い続けています。障害だからこそ苦労しているわけですね。双極症は軽過ぎる印象があるので同意しかねます。

 

みんなわからないからいい印象がないんでしょうね。名前を変えるよりも理解を深めるほうが大事ではないかと思います。

 

負の印象はプラスにしていきたいです(^^)

 

 

私もものごころついた時からあらゆる不調と病気に悩まされてきましたが、それらを負のイメージではまったく認識していません。個人的には得たものの方が多いので。自由にどこかへ行けるようなことじゃなくて、深い内省のきっかけを持てて良かったと思っています。

 

 



 

認知行動療法とか

 

 

このあいだ訪問看護師さんに私の場合、いかにしてパニック障害を克服したか?という過程の話をしていて、「自分の状況を観察する」→「脳と身体もメカニズムを学ぶ」→「ちょっと外から自分の現状を見てみる(メタ認知)」→「こっちへこうすればきっと治まる、と実際にその中へ飛び込んでみる」そのくりかえしで、逃げずに飛び込んでみる、といいましたら、私のそれってまんま認知行動療法になってるそうです(^^;)

 

「逃げずに飛び込んでみる」のが「今を生きてる」みたいな感じですね(^^;) ほぼマインドフルネスみたいな(^^;)あー、飛行機離陸したし、もうあとはいつ落ちて死んでも悔いはないわ、と思ってました。予期不安で飛行機乗れない人も多いんですけどね。(弟もそうです)1人で留守番で大変不安な時に宅配便屋さんが来られて普通に応対して、それで我に返って落ち着いたみたいに。

 

自分のことに気を取られず、家族や身近な人の心配をしているほうが落ち着くわけですね。人間って不思議です。まあ、それだけ自分の変化に過敏なわけですが、「いまアドレナリンが出てるから、次はどうすればいい?」とか、そういう判断も出来るようになりました。安全な家の中で待っているよりも外に出たほうが緊張が緩和されることもわかっています。

 



 

看護師さんの担当患者さんで、幻聴が強くて悩まされておられる方があるそうですが、その方が読書していて、本の内容に集中していると声はあまり聴こえないそうです。日常の中で聴こえる声に気を取られなくて他にも集中できるといいのですが…。その患者さんにも認知行動療法の勧めをしているそうですが。

 

 

私は天の邪鬼だから、本を読んでそのとおりすることってあまりないかもしれません。パニックについてはこの本がいまだに聖書みたいです(^^;)

 

 

「受け入れて」「浮かんで通って」「時の経つのにまかせる」

 

この三段階が50年以上経っても大事な基本だと思っています。

 

 

 

 

 

うつ病視野狭窄は症状です

 

私は前世があって、現世があり、ゆえに来世もある、という死生観で生きているので、そういうことを想定しない人とはかなり違うかもしれませんが…。

 

「命を大切にしたいから、安楽死を認めてください」っていうのは矛盾していませんか? 私から見たらすごく矛盾してるけど。本当に終末期の治る見込みのない病人で、あまりにも苦痛が激しい場合にのみ肯定されるならわかるけど。自殺の手段にしないでくれ。

 

飛び込みや飛び降りと違って誰かに後始末をさせなくていい、とか言っても誰かの手を借りなくて済む死なんてないのですが。「いつでも死ねると思ったら生きられるかもしれない」とかって、やっぱり自分の手を汚したくない願望ですね(-_-;)

 

こういう思想に反発を感じている方もおられますが。統一教会にしろ、この安楽死願望にしろ「神なき時代」だと感じて仕方がありません。こちらの方が死にたい気持ちになりますよね(-_-;)

 

もう本当にご高齢で意識もなく寝たきりで、胃ろうや人工呼吸器がないと生きられない人をいつまでも生かすのは虐待だそうですが、これはもう分からなくもないですが、私の両親みたいに寝たきりでも最期まで意志の疎通もコニュニケーションもはかれた場合と、重病というより精神疾患で楽に死にたいから安楽死というのと全部を一緒にするのは乱暴過ぎますね。とても危険だと感じます。

 

困るんですよね、本当に狭い範囲しか見えてなくて、にもかかわらずに方向転換も意識を変化させることも出来なくて、それと希死念慮が一緒になると安楽死デモみたいになって、結構タチが悪いです。なんとか方法がないかと思うんですが、ここいらはやっぱり専門家でないと無理なのかなあ。

 

今の私の担当看護師さん(男性)は精神科の病院でずっと働いて来られたので、重症の患者さんもたくさんご存じです。その看護師さんが「視野狭窄もうつの症状」と言われるんで、それこそ認知の歪みもいいところなのかもしれません。

 

視野狭窄希死念慮も症状だってわかって自覚して納得するだけでも違ってくると思うんですけど。自覚してほしいなど。土曜のたびにやられたらキツイです。本当に死にたいならコロナ病棟を手伝ってくればいいのに、そういう死に方は嫌みたいだし、すごく我がまま(-_-;) そこは共感も同情も出来ません。

 

気にしなければ良いんだけど、ちょっと間違ったら私もあちらの方に行ってたかもと思うとね(-_-;)

 

幸いにして私は家族その他の環境に恵まれていたので、自分軸も自己肯定感もしっかりあって、世の中にしばしば絶望しながらも生きている次第です。「命を大切にするから日々を大切に生きること」ですね~。

 

 



 

独学が向いてると思うな

 

 

看護師さんには「看護学校かどこかで専門的な勉強をしましたか?」と聞かれましたが、いえいえ、小児科の事務の5年間と両親の介護のあいだに自然に学んだことばかりです、と。

 

事実そうで、目の前で学んだことについての説明や理解はあとで本やネットから得ましたし、子供の場合は「この発疹はなんの病気」って見ればわかりますよね。その時の古参の元気さとか熱とかその他もろもろね(^^;)(だから自分の帯状疱疹もひとつ見ればわかった次第)

 

思い出すとなんでもそうでした。従兄に見てもらった受験勉強や洋裁についてもわかるところはどんどん自力で進んで、習う時にはわからないところをおいといてまとめて聞くのです。そうしたら弱点が埋められるわけですね。

 

私は学生時代からあんまりみんなと同じ感じで勉強してなくて、自分のやり方でやっていたから、基本的には独学が向いてた気がするし、一番身についたと思います。ただ、これは嫌いなことは絶対にやりたくないのが残りますが(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

 

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