お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

メタ認知は自分を救う

 

マイナス要素からも学びたい

 

この間、私の人生の課題は「学び」と言うようなことを書いたんですけど…。

 

よくうつ病になった人が「誰々のせいで」「パワハラにあって」「仕事が忙しすぎて」などの「病気になってなった原因」をあげておられます。でもね、ふと気がついて考えてみても自分の場合の「双極性障害になった原因」が思い当たらないのですね。

 

 

カルテを確認したわけじゃないけど、現在もらっている薬からの病名はこんなところ。

 

私の場合、誰かのせいで、何かのせいで双極性障害になった、という明確な理由がないんです。こう言うパターンもあります。あえていうなら社会全体と上手く合わないとか、かなあ?誰か個人のせいに出来ません(^^;)

 

他人を責めることは出来ない。だからこそ自分自身と真剣に向かい合うチャンスでもありますが。家庭環境も良かったし理解者にも恵まれて自己肯定感も強い。なのに病気になったの。不思議でしょ。

 

だからこれはいきなりのように思えるけど、多分この人生の課題なのよね。言うなればずっと抱えて行く負荷ね。

 

かなり遺伝的な要素は否定しません。でもそういうご先祖はかなり良くできた人たちでした。やっぱり否定はしないわ。むしろ誇りだし(*^^) 

 

事故に遭って、身体のどこかが不自由になったとか、内臓の病気で手術をして、部分的に人工的な臓器や器具を借りることになりました。とりあえず車椅子とか義手や義足や酸素の力を借りれば生活していけそうです。でもどうしても不自由はありますね。……そういうのが「負荷」です。

 

目に見える負荷もあり、見えない負荷もあります。

 

パラリンピックっていいかげんにやめてくれないかな?自由に動けない身としてはすごく反発を感じざるを得ないのよ(-_-;) なにをどう頑張っても無理なものは無理、っていうのもあるんだし、辛いからやめて欲しい。励まされないし。

 

はっきり言っていまはそれどころやないやろう、としか思えない。昔から嫌いなんだよね。あれだって目に見える障害者のものでしかない。その他の障害をもつ人が世の中の理解に恵まれたとは思えない。もうそろそろ意識を変えて欲しい。

 

 

 

 

 

 

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高校生の時も病気で悩んでた

 

 

あの時は慢性盲腸から慢性膵炎になって、パニック障害にもなったし、高2のときだからなにもかもわやわやに……。その後7、8年に及ぶ療養生活になりましたが、それでも休みつつやれることはやってましたし。

 

友達募集して文通して、みんなでお絵描きもしてたし、洋裁も習いに行って、一通り縫えるようになって、いろんな人の服を縫わせてもらってたし。

 

医療事務を通信講座で学んで資格取って、まあ、一応社会復帰して同人誌を作るべく漫画も描いてました。双極性障害になって、その時身に付けたことが全部出来なくなったけど、まあ、それはそれで仕方がないですよね。それだけ集中力を要する作業ばかりでした。いまはとても無理。

 

残念なのは当たり前ですが、でもその時出来てよかったと思います(^^;)

 

人間はいくら気をつけていても病気になる事はあるので、不摂生したわけでもなく、生まれつき他の人より弱い体質だったり、病気を持っていたり、強いアレルギーがあったりで、そういうこともありますし、それは理不尽だし、不公平ではあるけれども、だけど病人視点だからこそ見えるものを学びたいです。

 

私は10代〜20代前半の病気で、自己嫌悪とさよならしました。いつまでも嘆いていても仕方がないから少しでも前に進みたかったし。もともと学歴などに価値を見いださない人間でしたので、手に職があれば良かったし(^^)

 

 

 

人間ですから……。

 

治ってからの生き方などもね。弱さから学べるものも大切ですよ。その弱さとずっと生涯つきあう可能性もあります。こればかりは運命だなあ、と思います。

 

でもそういう時期は人間性に深さと洞察力を与えると思っています。逆に得られるものはきちんと吸収したいです。私って貪欲だなあ、ト思います。どういう立場になってもそこから得るものを学びたいとか、本当にフランクル先生ではないの(^^;)

 

「治す」ことよりも「いかにうまく病気とつきあうか?」が私のテーマなのです。

まあ、きっとそれが私の本質なんだと思います。

 

メタ認知大事。自分の体調などを客観的に観察するのもメタ認知のひとつになるらしいです。脳の活動ももちろんですが。

 

 

 

 

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緊急対応は出来る あとで反動は来る

 

親が死んでも取り乱さず、冷静に葬儀屋さんと交渉を果たした私って、現実と幻想を同時に生きてるんだろうか?と時々思う。諸手続きもしっかりやったよ。むしろちゃんと出来ないと母が心配するだろうと思ったから。死後の故人の気持ちを思いやる(^_^;)

 

いや 、葬儀屋さんの適正価格ツイートで思い出した(^_^;)これも心構えの一つかもしれないなあ。

 

ちゃんと出来たというのはそれこそメタ認知のおかげかも。私には常にちょっと離れた距離から自分を冷静に見ている自分自身がいるのです。そのおかげで気が狂いそうになっても我に返るし、時としてはイマジナリー・フレンドの形で救われることもあります。

 

 

 

 

 

「予算はこれだけなので、「これとこれは絶対にやりたいですが他は省いてもかまいません。いくら以内に納めてくださいね」と従姉と叔父が同席してくれたから助かりました。

 

緊急事態になると頭も身体もしっかり働くから不思議です。ただしエネルギーの前借り状態なので、全部終わってやれやれと思うと反動がどーっとくるんですが。

 

この本、思わず注文しちゃった(^^;)

 

フェイスブックTwitterでは全然世界が違う。FBの方では世界は平和で個人レベルの喜怒哀楽しか起きていないように見える。それはそれでいいのかもしれないけど、両方を見ないと余計に不安になるかも。難しいね。温度差が凄い。即時性を求めるとやはりTwitterになる。

 

Instagramは限られた方の投稿しか見ていません。私は投稿してないし。なんか食べ物の写真撮るのも面倒だからやらない(-_-;)

 

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ささやかですが……

 

先日オークション関係でお世話になった方が、送料の計算を間違えて少額のお金が余ったから返金はどうしましょう?と連絡くださったのですが、もう面倒でないお好きなところへ寄附してくださいとお願いしました。この頃は気軽に寄附して出来ていいですね(^^)

 

ちなみに動物たちのために使えるところに寄附してくださったそうです。良かった。ありがとうございました(^^)

 

 

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