お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

ミクロからマクロまで

 

 

午前2時前に珍しく夢を見て目が覚めました。両親がいて、なにやらばたばたしていて「あんた、はよ帰り」と追い返された感じ。目覚めた時にちょっと背中がしんどいと思ったのでこういう夢をみたのかも。でもそういうのは日常的な感があります(^^;)

 

 

グローバルな聖地巡礼ツアー

 

 

 

 

海外の熱心なアニメ.漫画ファンの話を聞くたびにやっぱり海外からのファンを対象にした(日本のファンも合同で)聖地巡礼ツアーが出来るのでは?と思ってしまう。相互理解にもなりそうだし。ちょっと夢見てしまいました(^_^;)

 

お金を使ってハコモノ建てずとも作品のイメージを大事に探せば伝統旅館とかも使えるし、お祭りとかもありで。イベントも組み込んであとはそれこそおもてなしの心で人材活用。お金かけないと駄目だと思ってる人たちには不可能な発想でいけるんじゃないかな(^o^) 想像すると楽しいな♫

 

人材が宝、なので詳しい高齢者でもガイドをやってもらえるし。屋台とか田舎のお店とかにもお手伝いをたのめたら……。夏なら庭で花火もいいよね。ナチュラルにホームステイとか。行く所すべてがテーマパークというか、聖地ですね(^^)

 

夜はもちろん上映会です。「ここだ、さっき行っところの背景だ」みたいに再確認してもらうとかね。自分の中のオタクな気持ちを引きだすといくらでもそういうプログラムは浮かびます。アニメには全然詳しくないけど。(原作が好きな作品しか見ないから)

 

私自身は資金と体力と行動力などが無理っぽいので、どなたでも「これはいける」と思った方には実現させていただきたいですね(^^;)

 

なにしろ私も双極性障害なんで、アイデアが浮かんでも、どれだけ使えるかは第三者に冷静に判断してもらわないとわからないんですよね(^^;) でも結構いけるんじゃないかとは思っているけど(^^;)

 

国際交流とファンの輪を拡げて素敵な作品をもっと作ってもらいたいし。友達が世界に出来たら楽しいだろうな、という感じですね。相互理解は平和への第一歩。「楽しかった(^^)」と帰国したら寄せ書きと落書きと写真を集めた同人誌みたいなものが送られてきたりして(^^;)

 

お金はどうでもいいので、取りあえず夢を見ています(^^) コロナが一段落したら、と始まりのころからずっと思ってました(^^;)

 

 



 

世の中は基本的にしんどい

 

 

お金を生かして使うことが出来ない人ばかりだからだよなあ。

 

お金をうまく生かせない→人を上手く生かせない、ということでは……?

 

 

こういう世の中だからこそね。

 

要介護度が高い、もしくはよく動く認知症患者の家族の場合は、在宅介護ってほぼブラックだよね。うちも要介護5だったし。

 

そういう中で週一くらいのハイペースで今より多く創作できた理由がわからない。やっぱりいまより若くて身体的な病気の症状が軽かったのかなあ??

 

 

 

 

 

 

風邪を引いた時など、だいたいこういうイメージを脳内で展開しながら寝ています。けなげに頑張る免疫システム(^^) 風邪薬はほぼ飲みません。解熱剤もあんまり飲まないかも。

 

甥や姪が小さくて熱を出した時にもアンパンマンバイキンマンとでこういう話をしていた。どうも私はイメージの力を大事にしている気がします(^^;) 現在の身体と心(主に脳)もこういう感じで把握していそうです(^^;)

 

 



 

こういう時は天に聞け

 

 

問題のカルト関係の人や政治家などはサラッと嘘ついちゃうみたいですね。「天からの視点」は宗教を問わず人を導くもので、良心の生まれる場所だと思います。それを疎かにする人は信仰があるとは言えないかもしれませんね。お天道さまはお見通しです。

 

子供のころ、私は夜の星空が怖かった。都会なので、満天の星ではない。目が悪くてちゃんと見えない。
 
でもあそこは深淵の入り口で果てがないことはわかっていた。そういうしんとした沈黙と広さと深さが怖かった。

いまでもそういうところがあります。あれを畏怖と言うのだと思う。
 
だからかな?いまでも暗い部屋や場所は苦手です。寝る時以外はね。怖いのがお化けのレベルではないのですね(^^;)


それはなんというか、人の手が及ばない大自然の力への畏怖というか、謙虚にならざるを得ない思いですね。全身に鳥肌が立つんですよ。

 

宗教者を名乗りながらそれがない人は宗教者として偽物ではないかと思います。なのにそういう人に騙されたらあかん。

 

 

 

精神の心の魂の覚醒みたいなことはあると思う。視野が広く深くなり「気付き」が頻繁に訪れる。でもそれはやはりそれ以前の思考や経験と断絶してはいないので、やはりそれまでの自分あってのものだと思う。

 

特別な修行をしなくてもシビアな人生を真剣に生きるうちに獲得出来るものでもあるし、人それぞれでしょう。楽に達することが出来ない場所にあるとは思うけど。

 

私も魔境と言うのを疑った時期もあったなあ、と思う。数年前のことです。でもそこを抜けてからいっそう自分を信頼出来るようになったというのもあるよね。自分自身を尋ねる旅はあの果てがない宇宙への対峙とも同じだと思います。

 

 

 

 

 

 

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