お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

病気の時も「私の人生」を生きる

 

 

寝ても寝ても眠い。やはり1日の半分は寝ています。また過眠なのかな?

 

この靴、歩くのが楽なだけでなくて、自転車にも乗りやすいです。感触でペダルの位置や高さがわかるから非常にありがたいです。軽いし、本当に買って良かったです。大当たりの品物でした(^^;)

 

 

 

精神疾患の症状固定

 

弟のところに障害年金の診断書用紙が届いたので、この間お願いしてきました。

 

私の分は去年に決定通知書に「以後の診断書不要」とあったというと、「確認しておいて」とのことで、昨日の午後に年金機構に電話してみました。私も長いから…20年くらい。なんとか入院もせず真面目に通院服薬してるしね。

 

年金担当の方「それは永久症状固定の意味なので、以後の診断書はいらないんですよ」と。永久症状固定、つまり今以上によくも悪くもならず、おそらく病状は変化しないと判断されたようです。このまま死ぬまで病気と付き合うってことね。

 

今よりも病状が悪くなって、障害の等級が上がる可能性があれば、また書いていただく必要があるのかもしれません。いずれにしても2級のパターンにそっくり当てはまるので現状は仕方がないです。これ以上重くなるのも嫌ですし(-_-;)

 

症状固定は交通事故の後遺症とかにもよく使われる言葉です。母の場合、褥瘡の悪化で感染症になる予防のために片足を切断しました。足は生えて来ないから、これも症状固定ですね。身体障害の3級か4級だったと思います。そういうわかりやすく例じゃないから、精神疾患で永久固定は珍しいのかも。劇的によく効く薬ができたとかでもないとね。

 

でもそもそも私は働いていたもとのように「なにもなく元気」な状態に戻れるとも思っていませんでした。治らない場合を想定して、それなりにどうやって生きるかがずっと自分のテーマでした。

 

この病から学べるものがとても大きくて有意義だったからですね。完治させようと絡んでくる変な輩もいましたけど。勉強不足もいいところでした。

 

まあ、いいけど。死ぬまで共生する覚悟はできてるし。身体の一部の機能を失って戻らない身体障害の人のような感じ?

 

それでは精神疾患でなくしたものは何か?まあ、いっぱいあるよね。働ける体力や集中力?行きたい時に行きたい所へ行ける行動力と体力。じっくりと活字が読める集中力とかもそうだな。

 

でも私の場合はなくしたものより得たものの方が大きいです。人としてとてもいい勉強にあったと思います。私の場合、身体症状が強いから良く寝込んでますが、そもそも病気になったことにマイナスイメージなどは皆無なのです。焦りもないですね。もうとっくに開き直っているので。

 

旅行や推し活は出来ないけど人間を深めることはできそうだし(^^) 私ならではの長所を生かしてゆるゆる参るのが良さそうです。

 

先生、ひとまず長年の診断書ありがとうございました(^^)

 

 

精神疾患も慢性疾患だと思う。

 

medicalnote.jp

いまの人生、生まれた時からいろいろあるから、いまさら病気や障害でも驚かないというのはありますね、私の場合。診断がつく前に気付いていることも多いです。

 

 

「障害の受容とはあきらめでもなく居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずることである」。

 

 

私の受容過程はひたすらぼーっとしてました。そもそも恥ずかしいとか病気への偏見がなかったから、それも皆無で。他人と比較する習慣もないから劣等感もありませんでした。

 

ただ、出来ることと出来なくなったことは真剣に考えた。出来なくなったことはあまりにも多いけど、まだ出来ることがありそうだからええやん、というあたりでやっぱりポジティブに舵を切ってるかな。どうも私はそういう人間らしいです。

 

 

 

記憶のメカニズムを調整する

 

www.adlersalon.com


やってるやってる(^^)ありがとうございます(^^) 他人を変えるのはまず駄目なので、私も諦めが先にたって、このごろやらなくなっています。

 

人には「忘れる」という便利な機能があります。これのおかげで困ることもありますが、いい方向に働くこともあります。

 

日々の体験の中で、「いいこと、嬉しかったこと、楽しかったこと」はしっかりと反芻して記憶に留めておきます。

逆に「いやなこと、辛いこと、悲しいことや悔しいこと」は反芻しないで隅っこにおいやるか、もしくは投げ出します。

 

そうするとよかった記憶は残るけど、嫌な記憶は忘れます。時間が経っても思い出すのはいい記憶のみ。忘れっぽい私は思い出せなくなっています。悪夢すら見ません。だからなにかにつけて蘇るのは幸せな気分になります。

 

まあ、そうなるように記憶に仕込みが必要ですけど(^^;) 過去の亡霊の相手をしていても仕様がないのでお試しください(^^;)

 

 

 

転じて現実的な話題ですが

 

昨日Twitterのトレンドに「年収200万」というのがありました。そういう特集の雑誌があったそうです。

 

働いている人で年収200万と言うのは病気や事故で突然働けなくなったらたちまち困るのでは…?非常に危ないです。

 

低額で満足しちゃうとさらに社会全体で下げられるから、納得するなと詳しい友人が言ってました。節約ばかりが偉いのではない、と。ホントに下がる一方でまだ続かせないで欲しい。

 

これは社会保障とか全部に関わることなんで。

 

世の中のお金は「こんな金額でもなんとかやっていける」と言うと治政者達は「それならもっと下げても大丈夫だな」と思うらしい。今回もそうだよね、年金とか。もともと少ないんだからなんとかして欲しい。

 

だからみんなで「こんな低賃金でやっていけるか!!」と声を上げるのは大事だそうです。

 

経済に詳しい人の言葉。みんな我慢しすぎでこんなになったのかも。だから声を上げないとね。怒る時には怒ってもいいです。

 

 

 

 

なにかに生かされる実感など

 

 

なんかすごく穏やかな気分です。

 

みなさま、神さま仏さま、私を肯定してくださってどうもありがとうございます(^^) おかげで生きて来られました。私が私自身を肯定しているのはもちろん言うまでもありません(^^) 

 

私にとっての神仏は「感じるもの」なので既成の宗教を必要とはしません。アンテナを向ければ感知するものです。どうしてもお絵描きにたとえてしまうけど、自分のキャラクターほどには存在感があります。

 

なんだか突然に「存在を赦されている」と感じました。赦すというのは愛されているということだよなーと気がついたらやっぱりさらに幸せに……(^^;)

 

「赦し」はキリスト教ぽいのかな?なんでもいいです。いいな、と思ったら付箋を貼ります(^^;) こういうのもほぼ直感なので、あまりおかしな受け止め方はしていないと思います(^^;)

 

頑張ろうね、これからの私へ。

 

 

 

私は特定の信仰は持たないけど、おばあちゃんの影響で何かは信じている気がします。それも子供の頃からね(^^;) 父方、母方、両方のおばあちゃんが明治の生まれで実直に神仏に対応してたしなあ。孫としてはどちらのお供もして、市内の社寺にお参りしていた次第です(^^;)

 

「心のよりどころ」としてそういうものがあるといろいろと都合がいい気がします。宗教じゃなくても精神を支える哲学のようなものでもいいかもしれませんけど。でも個人的に哲学はクリエイティビティと一緒にならないとあまり意味ないもののようにも思えます。

 

いいんだよ、自分が幸せならね(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

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