2022年になりましたが、さて困った。書くことがない。
今日はとりあえずご挨拶だけで。
昨日は本当に寒くて、郵便を取りに行って血圧が上がりそうでした。綿入れのはんてんを出しました。一昨年はこれが不要でしたので、暖冬傾向だったのかもしれません。
なにしろお布団の中が一番気持ちがいいです。昨日もトータル8時間くらい寝たけど、今日も寝ていそうだなあ。
で、お年賀です。お持ち帰りも可です(^^)
今年も抱負は特にありません。穏やかであれば嬉しいです(^^;)
私の場合、希死念慮とのおつきあいはかなり長く、中学生の頃からPMS・PMDDの影響で厭世観が強く、毎月のように死にたくなっていました。そのリズムもそれなりに慣れるとああこんなものかと納得して深刻な自殺衝動まで行かなくなります。
双極性障害になってもその時の観察が生かされている感はありますね。希死念慮は距離を置いて見てみる教訓に。
人間変なものでも学ぶと慣れるというのかな。そんな気がします。距離を置いてみてくれる存在(イマジナリー・フレンドとかね)がいてよかったなあ、と思います(^^;)たぶん私の深刻なSOSに答えてくれたんだと思っています。ありがたし(^^)
そこまでして、ヘルプに力を入れるのかと思うと自分が可愛くも思えます(^^;)
私はどうも人生をマラソンだと思っているふしがあって。42.195キロ、しっかり完走して悔いを残したくないのです。まあ、途中で棄権もありかもしれないけど、やっぱりタイムは遅くても完走に意義がある気がしています。私の納得解はきっとそれね(^^;)
最後がどんなにヨレヨレでも、手元に何もなくても「やりきった」という満足感が残れば美しいと思います。それが私の美学とでもいうか。その人の人生に「お見事でした」と拍手したくなるような(実際にそういうふうに讃えてますけど)そういうゴールが理想です(^_^;)
みんなー、歩いても休みながらでもいいから、自分のペースで完走目指そうぜ(^^)
そういえば経済的に豊かではなかった両親だけど、「学問は財産だから」と毎月本を買ってくれていた。私が幼児の時からおもちゃより何より本を喜んだからだろうね。父の給料日が楽しみだったのは毎月本を買ってもらえるからでした。形になりがたいものの価値を知る人たちだったな(^_^;)
私もほかのものには興味がなく、高校生になっても服が欲しいと思ったことなかったのです。制服があるから楽で便利だと思ってた。だから着るもののためにアルバイトもせずに時間があればイラストや漫画を描いてた。
当時オタクという言葉があったかどうか覚えてないけどオタクでした(^_^;)
なんか私の価値感はそのへんで定着したのかも。まわりの他人の価値感には全く影響されませんでした。他人と比較しない事で欠点も含めて自分らしくあればいいと、数年以上の療養期間を経て、20代半ばには自己肯定感もしっかりしたものになってたな。その原点は絵と本かもね(^_^;)
自己嫌悪がひどかった10代でしたが、それはもう10代限りで卒業したみたいです。人間いろんな変化をするものです。今はその変化自体が楽しみかもしれません(^^;)
時々縦長の絵が描きたくなるのは掛け軸を作る仕事をしていた影響です。和紙に天女が描きたいなあ、と漠然と思ってて。柱と天地はあの布、風袋はあれ、とかって想像をしてました。まあ、その時の影響ですよね。自分の作品が描きたくなってやめた仕事ですが。他人の作品ばかり飾ってるとそういう心境に。
掛け軸は材料と場所さえあればいまでも作れますよ。やめてから20年近く経ったけど、やり方は忘れてないです(^^;)
年が明けた。今年もよろしくお願いします(^^) 大晦日、思いがけなく何人かの方に個人的なお礼の言葉をいただきました。私の経験でもお役に立てて嬉しいです。
視野や視点が変わると新たな道が見えたりするのだと実感しました。希望のある方向へぼちぼち行って見ようね。応援してます(^^)
悩んだ時は自分とは違う人の「世界の見方と捉え方」が参考になると思います。大体個人が考え詰めると視野が狭くなるので、悲観的なことしか思いつかないんですよね。
私もいろんな方に助けられているのでお互いさまです(^^) 今年もいろんな世界を参考にさせてください。よろしくお願いします(^^)