いつものことですが
私には常態なので、珍しくありませんが、ここのところ、ちょっとしんどいのが続いているので、そういうテーマが続きます。
エプソンのサポートに連絡する暇がなくて、まだスキャナは直りません。最悪複合機の買い替えから??インクもあるから痛いです。
私が珍しく個人で受注する仕事をすると絶対に赤字になるようになってるから困るんですわ。そういう経費は度外視してるから。今までもそうでした。なんというか、責任が生じる道楽みたいなところがあります。しんどいし。だから正規の仕事にはしたくないですね。
https://t.co/GF3kuYCbHI
— 大津秀一🍀早期からの緩和ケア医師🍀院長🍀緩和ケア外来クリニック🍀オンライン相談全国対応 (@shuichiotsu) 2021年1月28日
悲しい事例
パルスオキシメータに関するコメントが散見されるが
相当急速に増悪する場合があり、この様な事例は同メータ所持が重要なのではなく、急変時に対応できる場所で療養できているかに尽きよう
一時期流行った「どこでも診られる」的な意見がいかに的外れかとわかる
痛ましいです(/_;) 医療に余裕がないというのはこういう対応が出来ないということで、ずっと懸念していたことでした。
先日、看護師さんのツイートで思い出したんですが、片足を切断した場合、その足をどうするか尋ねられます。小さな棺のようなものに入れて埋葬するか?と聞かれるんですね。その看護師さんの担当患者さんは「ひとあし先に行っててもらうんですね。足なだけに」とギャグで応酬されたようですが、うちはどうだったか、あまり記憶がないんですが、母の右足ですね。
褥瘡がひどくて治る可能性もなくて、感染症予防のために切断することになったんですが、まあ、説得するのに姪(つまり孫)の意見をもらいました。多分、埋葬はしなくてもいい、お墓に入れなくてもいい、と答えた気がします。母もあまり物体になってしまった足に未練を感じていないようでしたし。
でも、振り返るとシュールなやりとりだと思います。
延命のために心臓マッサージはやめて欲しいというのは、その片足切断の状況が大きく影響しています。
「死」について書かれた記事
「ある兵士の祈り」
大きなことを成し遂げるために、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことが出来るようにと、健康を求めたのに、
より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、
むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。
求めたものは何一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられていた。
私はあらゆる人の中で、
もっとも豊かに祝福されていたのだ。
想いは残るから素晴らしいと思う
父も脳梗塞で半身不随で寝たきりになって、嚥下障害があったために胃ろうになりましたが、そこから4年近く生きて最期は肺炎で亡くなりました。
自宅で家族や訪問看護師さんの介護を受けて、自宅で亡くなるという、おそらくもっとも理想的な死に方をした人ですね。母と私が二人で介護にあたれたために出来た幸福な在宅介護でした。介護保険にはまだ点数がいっぱい残っていました。それだけ二人で頑張ったということです。
最期はずっと手を握って呼吸を合わせて話しかけていたから、父も苦悶の表情は見せませんでした。私にはきちんと送ろうという使命感みたいなものがあって。
私も途中まで父に付き合って行ったと思っています。でも、ここまでね、という判断が出来るタイミングで帰ってきましたけど(^_^;) だから怖がることなく安心して逝ってくれたと思っています。なんか最期は母でもなく私でないと駄目だったみたい。
なんで自分が知っているのかわからないけど、まあ、どうすればいいのかわかるからいいや、という感じで(^_^;) あんな理想的な看取りってあるんだよね。自分で言うのもなんですが。
母の時は病院で間に合わなかったのは残念ですが、それはそれで「一人でひっそり逝くのを選ぶ人もいる」という誰かの言葉を聞きまして、いつも特養に行っても「はよかえり」と言って、決して私を引き止めなかった母らしいと思いました。死に様にもその人が出るんだな。二人共最期までいい顔をしていました。
言霊ーー
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2021年1月28日
私が自信がなくて躊躇している時に
「大丈夫。あんたなら出来る」といつも
励ましてくれた母の言葉を思い出し反芻。
あの励ましに多分根拠はない。
でも本当に出来るんだ。出来てしまうんだ。
そういうありがたいパワーなのです。
これは来世まで生きる言葉(^^)
これ、すごい素敵でね。なんか本当にこうならいいな、と泣けるばかりです。宗教を問いませんね。「供養」の本質はこれだと思います。「千の風になって」の映像版みたいね(^_^;)
どこで読んだか覚えていないのだけれど、なくなったひとのことをこの世の誰かが思いだすと、天国みたいな遠い場所でその人のまわりに綺麗な花が降ってくるというのがあって、なくなった人たち、犬も猫も、を思いだすたびに私のなかでは彼ら彼女らが座る場所の周囲に綺麗な花が音なく降り積もる
— 佐々木禎子 (@cheb1988) 2020年6月9日
両親のまわりにはいつもたくさんの花が降っていると思います。多分いつも真っ先に私が思い出すから(^_^) そしてしばしば心の中で語りかけるから(^^)
何もない人は、自分の人生を終わらせる前に、自伝を書いたらよい。そして、それを国会図書館に納本する。これがお墓になる。生きた証しが保管される。もっとも、誰ひとり閲覧する者はいないと思うが、もしかしたら、ふと、誰かが読んでくれるかもしれない。 続)
— キジバト(鳩通信班) (@kijibato_hato) 2021年1月27日
これいいな、と私も考えていて。同人誌でも可能ということは自費出版でも可能。ただし納本の期限があるので近いうちに自伝じゃなくて画集を納本したいな、と考えています。詳細再度調べてからね。
まあ、神社にも奉納してるから国会図書館でもいいかな、と。お墓の代わりならとても相応しい気がします(^^)