どこからかいい香りがする時
昨日のブログに、なにもない場所で突然いい匂いがする、というようなことを書いておりました。あれにはどうも名前がついていて、「芳香現象」とか呼ばれているらしいです。
それで誰もが経験すると思ったら、どうもそうではないらしいです。まあ、五感の延長にある第六感のさらに延長みたいな感じなので、個人差はあるんでしょうね。感受性の問題というか、敏感な器官は人それぞれですし。なんとなく納得。(潮の匂いを20分くらいさせてくれた伯父さんのメッセージは強力だったけど)
悪いものでなければそんなに心配しなくていいみたいです。ただ、お彼岸になったらきちんとお墓参りはしたいなあ、と思いました。
日常の視点を変えてみる面白さ
あと、両親を送ってから強化されたものに「天の視点」があります。
どういえばいいのかな。まったく新しい世界を構築する際に作者が取る俯瞰の構図による視点というか…。イメージだから表現は難しいですが、タワーに昇って展望台から下界を眺めた時に、人が一杯いてアリさんみたいに見えますよね。ぱっと見た目では性別も年齢も服装も職業もまったく判別が不可能で。
望遠鏡とか双眼鏡でもなければ個人を特定することも不可能だと思います。それを自在にフォーカスするのが天の視点。神様の視点に近いか。
本来の天の視点からは屋根があろうがなかろうが、多分「あの人」と決めればそこに調整出来るんだと思います。
で、そうなるとね、見られているのが上空からなだけに、外面だけ善くしておこうとか、対外的に行儀よく見せようとか、そういうことが出来なくなりますし、やっても無意味です。
上から地上を見た時は個人の違いもわからないままですが、近づいてみたらそれがわかるし、でもわかったからといって人を見て態度を変えるわけでもありません。やっぱり同じように誰とでも話すと思います。そういうことを普通に要求されていると思います。これは私の規範のようなものです。
良心や道徳を反映させているものでもありますし。私にはこの規範があるので、誰に見られても恥じる言動はしないと心がけているつもりです。
私はどうも警戒心が薄いタイプらしくて、あまり先入観を持たないのですが、そういうタイプでもやはり誤解はあるなあ、と思います。いちいち面倒なので、訂正しないで放置することが多いですが。真意はそれじゃない、というもの結構あるけど、価値観が違うと理解は無理なこともあります。まあ、仕方がないですね。深く突っ込まないようにしています。
天の視点から、人間のやっていることを俯瞰の目で見て描きたい。
黒澤明 映画監督
これは創作者の視点でもありますし。
いい意味で放置したいこともある
いまは親もお手本なので、やっぱり依怙贔屓も差別も出来ないなあ、と思っています。あんまり器用な人間でもありませんし。
時々反対に受け取られることもあるけど、それはもう相手の問題だからいいや(アドラー先生の「課題の分離」ですね)。
「人を見たら泥棒と思え」というのと「渡る世間に鬼はなし」というのと両方の視点が存在するのが当たり前ですから…。ひとつのものごとでも視点を変えるといろんな見方があるということです。
私が気にしないようなことでも、人によっては気になるとかもあるみたいですし…。私からしたらなにが問題なのかわからないこともあるし…。
可能ならばそういうときに柔軟にものさしを動かせるといいのですが。まあ、こういうのってやっぱり「創作者の視点」なのかもしれないですね。
でもたまに天の視点で見てみると心が大きくなりますよ。タワーに登るとか、山に登るとか飛行機に乗るとかにはそういう意義もあると思います (^_^;)
お天気で気分は荒れる
昨日は終日怒りが収まらなくて、ずっともやもやしていてなにも手につきませんでした。ああ、不毛。
今日は気分を入れ替えて買物にも行ってお絵描きもしたいです。反省。
低気圧が気分を悪化させます (ーー;) 気分障害というだけあって、自然から受ける影響は半端じゃないです。なにか薬を飲もうかと思ったけど、なにを飲めばいいのかわからず…。
ここんとこいろいろたまってるから最悪(>_<)
ええ、もう低気圧も満月も影響が大きすぎます。
こんな記事を見つけました。私なんかかなりいい加減だから、遅刻や欠席は連絡さえくれたら別にいいよ、好きにして、というタイプです。常識何処いった?という人です (^_^;) 堅苦しいのが嫌い。
あなたは「強迫性パーソナリティー障害」かも。「完璧」にこだわるあまり自分も他人も許せない人が幸せになるには?ijdwiw.wordpress.com
いま、学校に行けない子の親達がこういうタイプでないことを祈っております。
子供って注射で泣くんだな、と思ったのは小児科で保定を手伝った時。私自身は赤ちゃんの時から注射で泣いたことがないそうです。母の証言。なんかもう色々見えてて人生何度目?と自分でも思うことが多いです(-_-;)わかりすぎると感じることが少なくないです(-_-;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年9月4日
治療に協力的な子供だったと思う。意味を理解していたし。ワクチンでもね。子供の頃から弱いと精神的に大人にならざるを得ないところがあって。
自分にとっての「当たり前」が世間とずれていると生きづらいと思う。うちの親もすごくバランス感覚がいい人たちだったけど、実はやりづらさを感じていたかも…。いまの日本だと理解よりも排他に向かうからな…(-_-;)