今日はまた役所であれこれ手続きがある日です。昨日はヒルナミンも飲んでしっかり寝たし、気温も徐々に下がりつつあるかもしれません。でもまだイマイチ動けませんし、必要最低限のことしかしてないし、相変わらず横になる時間は長いですが…。
巡り巡って「情けは人のためならず」
この間からつらつら考えていました。私はよくいろんな方からご好意をいただきます。そのお礼をきちんと伝えきれていないことも時々あって反省してるんですが…。
逆に自分の方から誰かに働きかける場合、そもそも私は見返りを求めていない気がします。あんまり損得を考えていないんだと思います。
たまたま通りすがりに知らない誰かに何かができたら、名前とか言わずに黙って立ち去るというか、名乗る方が恥ずかしいんですよね。知らない相手だから勇気を出して親切にできることってあると思うな。私の場合はこのパターンが多いような気がします。
「恩送り〜ペイ・フォワード」という言葉があります。これがそういう感じなんですね。
誰かに受けた親切や行為を、その人に直接返すのではなくて、他に人に行為で返していくという、感じ。簡単そうで実は難しいかもしれません。
脳が働く場所が違うとありますね。結構これは非常に長いタイムスケールを想定している場合が多いです。過去と未来を思うと、とても暖かい気持ちになります。
未来を見ている行動だと思う
母などは「いつかどこかであんたらが知らん人から親切にしてもろうたら嬉しいから」…だから関わりを持った人に親切にしておく、といつも言っていましたし、実際にそうしていました。
母の場合はまさに「徳を積む」という感じでした。未来の子供や孫が巡り巡って親切にされたら嬉しいから、と本当に思っていました。
私も多分そういうところは受け継いでいると思います。だから既に知っている人に何かをして、その人から感謝が返ってくる想定をあんまりしていないのです。まあいいところ、言葉だけで充分だと思っています。
その代わりに別の機会に別の人に対して、親切にできればそれはそれでいいんじゃないかなあ、という感じかたです。手元の鳥が飛んで言ってぐるっと世界を巡るような感じかも(^_^;)
寄付だって相手を定めない行為のようなもんですし。私もささやかにiPS細胞の研究とかは期待していて、わずかに寄付とかしてたんで、こういうニュースは本当にすごく嬉しいです(^_^;)
ここで言っちゃうと陰徳でなくなるけど(^_^;)
誰が見ていようが見ていまいが関係ないなあ、という感じ。初めから見返りを期待していないので、自分が行動するだけで満足で、何かが返ってこなくても全然気にしていませんね。
大抵なんでも書いているブログですが、そういうことはいちいち書きませんしね。私はそういうのが多分楽なんだと思います。気楽。
気楽がいいな、という人助け(^_^;)
これが普通に社会に広まれば、世の中もうちょっと生きやすくなるかもしれません(^_^;)
誰が見ていなくても「天」が見ている。そういう視点を忘れずに生きたいと願います。
あ、そうだ。徳を積む場所というのも「天」だよね(^_^;)