因果応報って本当にあるみたい
なんて可哀想な人だ。この世の豊かさも知らず、他者と「お互い様」の関係も築けず、「無知のベール」を実感する機会もなく、これまで生きてきたのだろう。自分の発言が結果として自身や自身の大切な人の命を切り捨てることになると分からないのか。いや大切な人がいないのか。https://t.co/KnzVnJEb72
— 清水康之/NPO LIFELINK (@yasushimizu) 2021年8月12日
あー、ホントに最低だった。やっぱり問題は影響力だと思うので発言の場があるのはまずいのでは……。精神疾患の人には場合によってすごく刺さる話。
私くらいの年齢になると「ああ、これはこの人の昔の言動が自分に返って来てるよね」としか思えないパターン、いわゆる因果応報みたいなケースをいくつか見てるんで、言動はやがて自分に返って来るという認識は持っておいた方がいいと思っています。
思い上がりは怖いですよ。将来そういう立場になって気がつくの。本当に知性とはほど遠いものだと思います。
ただ場合によってはその人一代だけではすまなくて、子供や孫に影響があったりする。そういうのも怖いですね。
逆にいいことは他人にしてあげて、その場で忘れて見返りも期待せずにいると、本当に忘れたころに返ってきたりします。これもスパンはいろいろですけど、「天に徳を積む」というのは頭のどこかに置いておいてて、人に親切にしたらそのまま忘れてたらちょうどいいのかもしれません。
なんか宇宙の理って時々そういうシンプルなこともありますので……(^^;)
出来ないことが増えていく
私が現在痛感しているのはわずか2年ほど前に出来たことがいろいろ出来なくなってきたこと。病気のせいか年齢のせいかわかりませんが、本当にたやすかったことが出来なくなって、疲労感は強いので、思うように動けなくてひどくなさけない気分にはなりますね。やはり病気と年齢と両方かな?
自転車乗るのが怖いとか、一昨年の自分からは信じられないです(ノ_・、)
年齢はもう戻れないし、病気もこれ以上よくなるかどうかもわからないし。絶望はしてないけど、やっぱり悔しさはすごくあります。
ただ、それに伴っていろんな人の本質はよく見えるようになりました(^^;) 不思議ですね。
以前1日で出来ていたサイトの更新に3日かかるとか、ずっと座っているだけで太ももまでだるくて仕方がないとか、こういうのも以前はなかったなと感じています。
絵さえ描ければ、と思っていたけど、それも集中力も完成度も足りないし…。このまま時間が過ぎると私になにが残るんだろうと思います。
外見のアンチエイジングはいらないけど、気力と体力と集中力は10歳くらい若返れないかなあ。これは切実(^^;)
4ヶ月ぶりにサイト更新
iMacで作った作品や素材はMacBook ProのAdobeMuseに入れてページを作らないとリンクがはちゃめちゃになります。ややこしくて面倒くさい。iMacでリンクを全部直すのは半端じゃないです。20年分だもんね(-_-;)とりあえずUSBメモリにコピーしてます。文章まで全部打ったし。
で、なんとか更新が出来ましたが、思い切り手を抜いています。
花手水はわりと最近公案されたらしいですが、あまりに綺麗なので背景にしてみたかったのですね。当然平安時代にはなかったと思います。
本物を見て回りたかったのですが、そこまで元気じゃなかったし。いつか機会があれえば、と思います。
Pixivにもアップしましたが。サイトでも大きな絵はどうぞ(^^;)
きっちり花も背景も10年前なら描けていたので、たとえそれだけでも戻れたらなあ、と思ってしまいます。