美味しいものはお供えしてから
たまに思うこと。
なんか私は病人だけど、当事者であるよりも、
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年9月3日
病人の家族としての苦労の方が大きいかもしれない。
当事者としては優等生と言われるけど、
家族はそうじゃないものね。
疲れるはずだよね(*-д-)-з
いや、これもいつまでも嘆いていても仕方がないので、現実対応しておりますが。
あ、昨日姪からブドウが届いたんですよ。「おばちゃん、送るね」というメールが入ってたのに気がつかず(私にはよくあることですが、携帯電話を携帯する意味があまりない)メールを読むのにいちいちメガネを外すのも面倒だなあ、と思う。
で、気づかないままでも冷蔵便で届いたから、わかりますけど。ちょうど来られた看護師さんが羨ましがっておられました。前に送ってくれた時もいつもはフルーツをたべない弟が喜んで食べたくらいで、今回も巨峰を洗って両親に供えて、食べたらすごい美味しかったです(^_^;)
早速お礼のメールを送りました(^_^;)
仏壇のある家で育った子は、仏壇がなくなっても真っ先にご先祖の祭壇に供える慣習が抜けません。「ええもんもろうたし、みんなで食べてや。私ら後でおさがりもらうね」というのが当たり前になってる(^_^;)
もちろんアイスとかケーキとかはダメですが。こちらもそれを考慮していくらか日持ちのするものを持って行ったりする。当たり前にご先祖さんがいる風景。仏壇のない家で育ったら、この感覚がピンと来ない人もいるようです。
ご先祖さんあっての今の私なんだけどね。みんなそれは同じだし。
自費出版関連の話題
そういえばブドウと一緒に画集の原稿データのメモリスティックも先に帰ってきました。早いなあ。まあ完成予定は発送が6日なんで、到着7日と思われます。
オンデマンドだから手が届く価格になった自費出版です。昔はオールカラーの本なんてとても手がでるものではなかったので…。だんだん殴ると人が殺せそうな厚みになりつつありますが…(^_^;)
ついでにちょっと調べてみたら、比較的手頃に活字の本が作れそうなシステムもありました。
自分で作るオンデマンドだから安いのか。でもAmazonで売れるようですよ。在庫を抱えずに必要な時に作るならお得ですね。
興味津々ですが、前に文章をまとめようとして、あまりにも膨大な分量に挫折したからなあ…(*-д-)-з 歌集とか詩集とか短編小説とか、そういうものをまとめるのに向いているかもしれないですね。
なんかそのうちご縁ができるかもしれないので、ブックマークしておきます(^_^;)
予想より早めの回復では…
でも私も思いの外スムーズにバーンアウトから抜け出しつつあって、やっぱり好きなものの力はすごいなあ、と思う次第です。自分の軸だからね。
物事にはなんでもポジティブな部分とネガティブな部分があるのが当たり前なんですが、どちらよりの光をあてるかによって、感じ方が違ってきますね。
私はもともとポジティブ寄りの方向から光をあてる癖があります。影は確かにあるんだけど、明るい方向を見ているうちにあまり気にならなくなってくるから不思議です。
ネガティブもあるんだけど、まあいいか、一旦置いといてなんとかなりそうな明るい方向を見てみよう、という感じかも。
この方の感慨に結構共感したりして。
単なる経験則だが、「タヒにたい」が「いつタヒんでもいい」に変質すると肩の荷が下りてたいへん楽になる。そして暫くすると、宇宙が収縮して再びビッグバンがおこるかの如く、色々な物事の楽しさが立ち現れてきたりもする。ゆえに「タヒにたい」と思うのは悪い状況ではなく、惜しい状況であると思う。
— マグロジュース (@magurojuice) 2020年9月2日
「タヒにたい」は、タヒを希望するというこだわり。こだわりは時に気力をもたらすが、それが自我を縛り付け、圧力を加えてくるのであれば、さっさと振りほどいた方が楽だ。生きたいとも望まないし、タヒにたいとも望まない。そう考えたら非常に楽だった。どちらか一方を選択するルールなどないのだし。
— マグロジュース (@magurojuice) 2020年9月2日
タヒに対する思いを、自らの強固なこだわりとするか、自然の一部として有るがままにするか、「タヒにたい」にするか「いつ死タヒんでもいい」にるすか。それだけの事でだいぶ心持が変わる。経験則だが。
— マグロジュース (@magurojuice) 2020年9月2日
似たような経験を経てきていると思います。「いつ死んでもいい」に至ると本当に楽になる。生きるも死ぬのも風まかせ、みたいな感じかも。こだわりがなくなるってそういうことだよね(^_^;)
こだわりがなくなると本当に楽な心境になれると思う。多分いろんなことを経験したから至れる心境だと思うんだけど。
お絵描きは選択範囲を作ったまでですね。秋に咲く木の花ってあるかな?と思ったけど、キンモクセイくらいしか思いつかず、いっその事紅葉でもいいかなあ、と考えているところです。
ふと気が付いた。最近お腹の皮がよじれるほど涙が出るほど大笑いしたことない。父の介護中はよく笑ってた。看護師さんやケアマネさんや母とも大笑いしてた。在宅介護も楽しかった。ここ10年あまりそれがない。家族が減るってそういうことかな。ここしばらく家の中でいい香りがする。誰か来ているのかも
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年9月3日
お線香の香りじゃなくてオーデコロンみたいなすごくいい香り。生前両親が使っていたものとは違うんですけど、ふとした瞬間にふわっと。キッチンや、DKが多いけど、今現在、寝室でもいい香りが。誰か来てるのかな、とよく思う。当たり前にご先祖がいる家の子はこういう感覚です(^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年9月3日