やりたいことは多々あるけど、現状では座って作業するのは2〜3時間が限度で、一度横にならないと耐えられない。こういうことって務めていた頃も毎日午後になると感じていたなあ、と思います。会社だとそうはいきませんが。
新しいことにチャレンジ
昨日こういう投稿を見かけました。
70歳のおじいさんに、「プログラミング教えて笑」と言われたw
— 迫 佑樹@人生攻略ロードマップ著者 (@yuki_99_s) 2020年8月18日
彼いわく、『周りは70代になると何も挑戦しなくなる。ただ、90歳まで生きるとしたら、あと20年は人生楽しめるわけだ。誕生から成人するまでと同じ時間があるのに、新しいことやらんのはもったいないだろう。』とのこと。
かっこよすぎ。
なんか70歳でおじいさんと言われる方がショックだけどさ (ーー;)
いくつになっても新しいことに挑戦出来るのは素晴らしいことですが、それは体力気力経済力あってこそ可能だと思う。誰かに教わるには費用がかかる。挫折しないで身につけるには気力が必要。もちろん体力も。
若い世代が大学で学問出来る条件に恵まれているのと基本は同じかもしれない。
高齢になっても生活に疲れ果てている人にはそんな余力がない。学びたくても道具や材料を手に入れられない人もいるし、これは経済面の理由が大きい。高齢になっても格差はある。余力が少ない老後をおくるのはその人のせいとは限らない。
私も好奇心はあって、いろいろやりたくなることは多い。
でも教材や材料を揃えた段階で気力が尽きる。何度これをやったかわからない。病気の前だとそういうことはなかったから病気のせいかも、とは思う。気力が尽きるのは本当にバーンアウト。
だからいくつになってもやる気がある人は諸々の条件に恵まれた人だと思っている。特別に称賛はしないけど。
うちの親戚のおじさんだって定年退職してから再度国立大学を受験して合格し、2度目の大学生活を送った人だし、地元の新聞記事にもなった。
でも息子さんが脳梗塞で倒れて寝たきり状態になって、あっというまに認知症の道に…。よほどのショックだったんだと思われる。人生なにがあるかわからない (ーー;)
地味に地道に歩むこと
目につかないところで自分に可能な範囲のチャレンジをしている高齢者なんて一杯いるさ。もちろん不可能なほど疲れ果てた人も病んでしまった人もたくさんいるし。
それでも素晴らしいと思うのはその人がそれぞれの人生を投げ出さずに続けてこれたということ。誰に知られることもなかった努力。
私はそういう地味な日々を讃えたいと思う。諦めも妥協もあったと思うけど、それでもそれぞれの課題を投げ出さずに来られてすごいです。
単に歳を取ることは誰にも自然なこと。漠然とではなく、真摯に送った人はやがて叡智を得るに至る。そういう人を尊敬するし目指したいと思う。
新たなチャレンジは人目を引くかもしれないが、その後続くかどうかは予測不能。でも続かなくても誰も責めないと思うので、気楽にチャレンジしてくださるといいな、と願う。いくつになっても自分らしい色に染めていくことは可能だと思うし(^_^;)
社会的に成功する人なんか多くないし、そういう成功を目指してもあまり意味がない。私が目指したいのは死ぬ時に心置きなく、自分の人生に納得が出来ることです。
そういうふうに全う出来ればいいな、と思います (^_^)