どうも朝は調子が良くないので(うつの日内変動だと思う)
夜のうちに書いて予約投稿しておきますね。
おかげさまでいまだにこの季節になるとFirefoxで
ご利用いただいているクリスマスオーナメントの
カスタマイズにしてみました。
私はFirefoxは重いからいまは使っていませんが…。
…といってもTwitterのつぶやきからですけど。
昨日は妙に散文詩のようなものになってしまっております (^_^;)
病んでいても いなくても
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 3, 2018
働いていても いなくても
ひとりでいても 誰かといても
どうして生きるのは哀しいんだろう
喜びは長く続かないんだろう
…ここはやはり流刑の星か?
渾沌の地球
YouTubeでSMAPを聴いていると、母を思い出し、SMAPの解散という
二重の喪失感に襲われる。
今、この時は二度と帰らないという事実を改めて突きつけられる。
嘆くより哀しむよりもっときっと出来ることがあると思う。
ちょうど今流れているのが「糸」だったりするし。
歳を重ねても深いところで揺さぶられる感受性がある。
若い頃とはもっと別に、多くの出逢いと別れを重ねてきたことで心の陰影は深くなる。
どうせなら自分にしか出来ない糸を紡いで「美」の形をした
ささやかな作品を織り上げたいと願う。
いつかこの世を離れる時に「辛かったけど人生は美しい」と思えたらいいな。
美を求める心は祈りに似ているね。
つるつるの薄っぺらい織物は残したくないな、と願う。
私が求めているのは外見じゃなくて、深い精神の美なんだと思う。
真善美というけれど、美しいものはほぼ善だと感じる。
他に世界を見つめる方法は持っていないから、だから自分にとって
もっとも確実な「美」を見つめて表現していければな、と願う。
見かけは武骨なツイードでも、陰影は深く、次の世代に渡せるものがある、
そういう人生の織物を紡いでいきたい。
複雑すぎて、私にしかわからない色彩でもいいと思ってしまう。
私にはそれが「生きる」ということだと思う。
自分の人生を織り続け、織りあげる。
途中で投げ出さないことはとても大切。