微妙なアフェリエイト?
本を読んだら感想をアウトプットする、というのはあれですね。学んだことを他人に教えるとしっかり身に付く、というのと同じ理屈ですね。…いや、理屈というか、そういうメカニズムになっているということですね。納得。
Amazonのアソシエイトを再登録しようとしたら、PINだっけ?あれが必要で、スマホがないと駄目じゃん、と判明してやる気をなくした私です。あんまり興味を持っていただけないとどのみち駄目だしなあ…。ちょっと意気消沈。
あ、そうだ。おかげさまではてなのブログを初めてやっと今月支払金額に達しました。3年8ヶ月かかったので、随分遅いですが、これで一応来年のproの料金が払えます (^_^;) そんなにアクセス多くないんですよ、長くやっているわりに。lovelog時代の1/3くらいしかないかなあ…。まあ雑記ブログなので、そこまで追いかけてくださる方は少ないと思います。
まだFC2の表紙だけは残してありますが…。
アウトプットする意義
昨日もリンクさせていただいた、まつさく先生のブログ、「情報発信=社会貢献になる&病気と能力低下を糧にして人を救いたい。」という目的もいくらかはあります。
でも私の場合は医療の専門家でもないですし、書ける内容は限られていますが…。まあ、自分なりの試行錯誤や悪戦苦闘の過程は誰かの参考になるかもなあ、と思います。
こちらは介護ですが、こういう事件があれば自分に引き寄せて感じてしまうんですが、自分に近い立場の人だけど、どうしてこうなるのかな?と思ってしまうし。もっと外に助けを求めて欲しかったなも思います。まだ若いのになあ…。私なんかお母さんの方が歳が近いよね。
なんとかなっただろうな、という気がして仕方がありません。
普通の体感
そういえば私、誰にも自分の病気のことを内緒にしたことないや。内臓の病気やその他の病気と大差ない感覚でいたら、まわりの人も同様の普通の感覚で扱ってくれますし。
ごく自然にというのがいいのかもしれない。精神疾患だけ患者が特別視する必要ないよね。ご近所さんとか普通に知っててつきあってくれる。
病気に対する引け目とか劣等感とか、あまりマイナス感情もないんです。まあ、苦労はそれなりにあるけど、敵は出来ないですね。
患者自身が引け目を感じる必要はないと思います。普通にしていると、大抵の人は普通につきあってくれますし。前もって「こういう時もあるけどごめんね」くらいは言っておきますが。
なんというか他人の対応は自分の行動や思考を映す鏡みたいなんですね。
子供のころからこういうのはあって「普通にしていればいじめられない」というのも事実でした。私みたいに病弱で大人しい運動神経のない子がいじめられずにきたのって、奇跡的で、どう考えても普通にしていたことしか思いつかないです。自然体というか…。
どうも人の対応は自分の内面を鏡みたいに映している気がする。
だからこういうことされたくないから、と怖れるのではなくて、「こうしてもらえたら嬉しいこと」を先に人にしておくんです。そうしたら行動が鏡のように返ってくる。
自分でも不思議なんですが、これは体感なんですよね。
身構えない。怖れない、普通に落ち着いていることがもたらす反応は大きい気がします。
これは病気じゃない人でも通用すると思うな。
生涯添い遂げたい
生まれて初めてクレヨンを握った時から、いままでずーっと絵を描いていた。この先も死ぬまで描き続けるのが夢だけど、左手が動いて、眼が見えて、なんとか上半身を起こせるなら、死ぬまで描けるんじゃないかなあ、と思えるようになってきた (^_^;)
デジタルの利点はですね、モニタで拡大が出来ることですね。細部も拡大出来るし、Illstratorだったら、手が震えても綺麗な線が引けると思いますし。そういうところが意外にこれからの高齢者向きになっていると考えてもいいかと思います (^_^;) ←強引だけどそれもありだと実感している。
なにより嬉しいのは夢やイメージは歳を取らない、ということですね。描き始めると10代や20代の気持ちに戻れるというのもあります。それでいて円熟した部分もあるのですね。だから生涯つきあう価値がある友人でもあります。
好きなものと生涯添い遂げてもええやんね〜 (^_^;) お金にならない、むしろしたくない、逆にお金がかかるものではありますが、私がそれを最も幸福だと感じているからいいんだと思います。
私はまったく「なにもしない」というのは無理。高熱が出ててもうろうろするし、24時間365日在宅介護やってたから、なにもしないのはむしろ死ねといわれているみたいで無理。なにもしないストレス半端ない。せめて横になって漫画読んでる。 #Milkカフェ
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) December 2, 2018