花嫁修行なんか片手間でいいと思う
「結婚=永久就職」なんてとっくに死語だと思ってたけど…。
私の若い頃、うーんと…まだバブルも前の1975〜1985年あたりかなあ、こういう価値観が確かにありました。関西の某有名女子大(お嬢様学校だったらしいですが)などでは卒業式の時にエンゲージリングをはめて出席する、というのがわりと普通だったりとか…。そういう時代が確かにあったと思います。
卒業→結婚、という人には学歴も釣り書きの一部にしか過ぎなかったのかもしれませんね。卒業したら結婚します。そのためにいい相手がいれば在学中にお見合いもします、というパターン…。
私などはきわめて現実的なので、結婚相手と生涯添い遂げるとは限らないし、添い遂げてもいつなにがあって、どちらかが病気をしたり事故に遭ったりするかもしれないし、そういうことは心構えとして必要だと思っていました。不況で共働きにならないとも限りませんし、不幸にして離婚するかもしれないし…。
そういう不確定要素がありすぎる「結婚」というものをどうして永久就職だと思えるのか、正直、理解出来ませんでした。それはいまでもそうです。
だから病気になっても「なにか手に職」といつも思っていました。
社会の損失でもあるよね…
この記事を読むと、ちょうど私も知っているような人たちのことを思い出して、身につまされるような奇妙な思いになります。
別にお稽古事だっていいんです。それが人に教えられるくらいになれば、免状をもらって極めて教えて収入を得ることも可能なのに、そういうところまで考えている人は少なかったんでしょうか。
特に病気でも障害でもなく、とりあえず健康でも、このままだったらじきに親の介護をしないといけなくなります。そうするとまたしても働くきっかけは無くなってしまいます。いや、介護の技術を身につけて…というのもありかもしれませんが、私、自分が腰や膝を痛めているから、無理っぽい気持ちにもなっていますが…。
余計なお世話かもしれませんが、本当に勿体ないことですね。ご本人にも損失じゃないかと思いますし、引きこもっている人たちへの対策と同じようなことがもしかしたら必要じゃないかと思います。
寂しいと思うのは余計なお世話なのかな?
私自身がかなり厳しい状況でも、まだ働くこと(外では無理でも在宅でも仕事したいという)を諦めていないので、健康なのに、職につけないのって不安じゃないのかなあ?とも思います。40代以上になると、結婚相手のみならず、普通の友達を見つけることだって至難の技になりますよね。
ネットだったらスマホかな?それくらいは使ってネットの友達は探せるかもしれませんが…。
私は病気でもそんなに寂しくないし、ひどく不安でもありませんが、こういうふうにひとりでずっとこの先も生きていって、誰かと共に苦労したり、誰かのために役立てる幸福を味わうことなく…と想像したら、なんだかものすごく孤独な気持ちになってしまいました。
「結婚だって数ある進路の一つにしか過ぎない」っていう価値観の方が、もっと自由に生きられるんじゃないのかなあ? 私は仲のいい両親を見ながら、若い頃からずっとそう思ってきました。結婚する気がないから、なんとかしないと、と嫌でも思うしね(^_^;)
たとえ結婚しても芸は身を助くだから、若いうちにそういうものを探しておくのは大事かもしれません。
うん、まだ40代なら身につけられるよ、と私は思っています。応援したいですね。