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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

双極性2型障害者ですが、両親を介護しているうちに気付いたら、30年以上悩んでいたパニック発作を克服してました・その2

 

まだ長いです。すみません。時々、忘れたころに再掲するかもしれません (^_^;)


思い癖を変えてみよう


私は心理学の専門家でも、怪しい宗教の教祖でもありませんが、このごろいろんなことに気付きつつあります。よくお邪魔するブログとか掲示板とか、そういう場所で気付くことが多いです。

それは「思い癖というのはなかなか厄介なものだ」ということですね。


人間は普通に生きていても、本意じゃなくても失敗をします。仕事の失敗かもしれないし、人間関係の失敗かもしれません。

わかりやすいからつい例に挙げますが、パニック発作もそうですね。「前に発作が起きてしまった」という痛い経験が潜在意識の中残っています。その発作の経験が数を重ねるほどに深く、それが刻まれていきます。その前の不安や恐怖を潜在意識の中から引っ張りだしてしまって、また似たようなシチュエーションだから、きっと発作が起きるだろう、という「予期不安」に繋がります。で、予期不安はまた起きてもいない発作を的確に思い出して起こしてくれるんですよね…。

「また起きたらどうしよう?」という不安が皮肉にも逆に発作を呼び起こしてしまうんですね。

就職とか、試験とか、結婚なども同じだと思います。「前に失敗したから、もしかしたらまた失敗してしまうかもしれない」と思ってしまう。そうすると潜在意識の底から前と同じ過程を無意識に辿ってしまうことが多いんです。

だから二度あることは三度ある、になってしまう。


そういう人を見かけました。某掲示板で。心配していたんですけど、案の定、その人はまた同じようなところでつまづいてしまったようです。実は私はそれも予測出来ていたんですが、どこまで口を出せばいいのかわからなくて、自分が多忙だったこともあって、その人に注意を促すことが出来ませんでした。

もっとも注意しても、相手に受け入れるタイミングが合わなければ素通りする可能性も大きいのですが…。


だからね、本当に自分の未来を好転させたいと望むなら、潜在意識をしっかりと見つめて、そのマイナス要素を認めて、それが自分にどういうふうに役立ったかを見つけて、だから経験してよかった。と思えるようになってから手放す必要があるのだと思います。

外見的にはマイナスの要素としか思えないようなことでも、じっくりと痛みをこらえて見つめ返してみたら、「ああ、ああいう苦い経験をしたおかげで、自分は人の優しさと暖かさの価値を知った」とか「こういう病気や障害で痛い思いや辛いことも一杯経験してきたけれど、そのおかげで弱さの中にある強さに気付けた」とか「人間関係で辛いことがあったけど、そのおかげでなんでも相談出来る人に出会えた」とか、そういうささやかでもいいからプラスになったことって確実に存在するはずなんです。

それを見つけて「そうか、あの経験のおかげで気付くことが出来た」その痛みを体験してよかった、と思えるようになるといいのですね。

 

潜在意識の中の経験がプラスに書き換えられています。そうすると同じ体験をすることを恐れなくなります。不思議なことに恐れなくなるとそれを呼び寄せることもなくなります。その課題はクリア出来た、と魂が納得するのか、気持ちが納得するのかはわかりませんが…。


私自身はパニック障害を乗り越えることで、こういう大きなことに気付いたので、あの病気はそのためにあったんだ、と今は感謝しています。まあ、パニック障害に限らず、病気というのは大抵はこういう側面を持っていると思いますが…。肉体が健康でも心因性で病むこともあるもんね。

とにかく、これは人生のあらゆる面で役立つんだと感じています。「大丈夫、上手くいく」というプラス暗示は伊達じゃないですね。

痛かった経験は「経験してよかった」と納得してクリアしよう。その後の人生はきっともっと楽になるはずだと思います。ささやかな幸せにも気付けるようになるしね。

「気付き」ってすごい大事だよ。


介護させてくれた両親への感謝

 

「自己肯定感」という言葉があります。

要するに長所も短所も含めた自分自身をまるごと愛することが出来ることだそうです。自分をまるごと肯定出来ると、自信にもつながるし、自分のペースで果敢に挑戦出来るようになるとか。

これが低いと、何事にも自信が持てず、挑戦することにひどく臆病になってしまったりして、幸福感を感じることが少なくなるそうです。(でも大人になっても低くても嘆くことはない、とあちこちのサイトにありますから見てくださいね)

私もわりと最近知った概念だったりするんですが。

私自身、気がついた時にはすでに肯定感をしっかりと持っていました。

これは非常に身体が弱い子供であったにも関わらず、常に私を一度も否定したり非難することもなく、褒め続けて長所を伸ばしてくれた両親のおかげによるものだと思っていました。

なにがあってもこの世の中で最後まで自分の味方でいてくれる両親の存在はなにものにも換えがたくありがたいものでした。何事につけても挑戦すること、失敗しても「大丈夫」と言ってくれる存在がどれだけありがたいことか。

おかげで自己嫌悪で一杯の思春期も10代限りで自己嫌悪からも卒業しました。悩んでいる暇があるなら行動しようと思ったので。開き直りとも言います (^_^;)でも開き直りも上手く活用すると便利なんだよね。

ただ、高校生の時からずっと、30年以上悩まされていたパニック障害も、やはり父の介護がきっかけで改善から治癒に至りましたし、これも懸命に行動していた私に、両親がくれた贈り物だと思っています。この先の人生もひとりでしっかりと生きていけるように。

守られる側から守る側に…。この意識変革は大きいですね。

どんなに多くの家族に恵まれていても、この世での生を終えて旅立つ時はなにも持たず、ただ一人の旅立ちです。とことんまで見送ることは出来ますが、最後はやっぱり一人だけで逝かないといけません。

この事実が今現在生きていることに対しての認識も新たに換えてくれました。旅立つ側から振り返ると人生でなにが大切か、なにを求めて生きるのか、そういうことがとてもよく見えてきます。

私は父の死を追体験することによって、深く死のそばに寄り添いました。何者にも換え難い体験でした。

母があとどれくらい、頑張って生きていてくれるかわかりませんが、やはり父の時と同様にやり残した後悔はしたくないと思います。

まあ、介護は本当に大変ではありますが、それも含めて両親には感謝しかありません。この両親の元に生まれたことが第一で最大の私の幸福だと思っております。幸せですね、私 (^_^)

 

 

 


病気は人生全体を考えるチャンス


それにしても私もパニック障害で、一人でバスにも電車にも乗れない時期が相当長かったんですよ。うん…。本当に30年近く。

それが今では平気です。…っていうか、そもそも自分の身体の状態なんて気にしていませんですね。他のことばかり考えているので、自分の身体に神経が向かないというか、そういう感じ。

さらに母が入院した時は私自身がダウンしていて、辛いけど動かないといけない時に、「なにかあっても病院だからなんとかなるわ」と開き直ったのもよかったみたいです (^_^;) こういう開き直りを積み重ねていくうちに自信になっていくんだな。これも一種の認知行動療法ですね。

私の自己肯定感の中には子供の頃の弱さとか、高校時代の病気でのつまづきとか、そういうのももちろん、現在の双極性2型障害も含まれています。
でも私にとっての病気はマイナス要素ではないんですよね。いずれも貴重な経験を重ねて得たものが多いから、むしろプラスですね。

それはいまだに不自由は多々ありますが、出来ないことが多くあっても、それを補って余りあるものが残っているので、その「出来ること」を大切にしようという優先順位が働きます。こういうことに気付けるのもありがたいと思います。

 


幼くして病気を経験した子供は精神的に大人になるのが早い傾向がありますが、結構「死ぬこと」を意識して人生全体を見つめることってすごく大きなことだと思います。世間一般の価値観も競争も意味がなくなるから。本当に大切なものがわかるから。

自分の価値観で見ると、たとえば人を見ていてもその人の人格とか、魂の崇高さと、それらに基づく行動などが尊敬に値すべきものであることもよくわかるので、地位とか名誉とか学歴とかそういうものはほとんど意味がなくなりますね。基本の部分はみなさん同じ重さ。そこからその人の人間性とか魅力とかが加味されてきます。

私が見ているのはそういう世界です。私自身にもコンプレックスはありません。

すべての人はその人らしく、無理なく出来る範囲で心を尽くしてくださればそれでベストなんだと思います。で、多分私もそういうふうに懸命に生きている人を見つけるのが得意なんじゃないかと思います。

こういうふうに見る目を磨いてくるのに、病気というのは経験として非常に役立った(現在も役立っている)と思うので、実は私は自分の病気にも感謝しているのです (^_^)

 



課題をクリアしていくことの意義


このごろなんとなく思うこと…。心身の病気というのはいろいろなタイミングで人生のいろいろなところに現れますが、まあ、原因がなんであれ、(ストレスとか、疲労か、細菌感染とか、不摂生とかもろもろね)そのタイミングで「自分自身のことを見つめなおせ」と言われているような気がするんですよね。あくまでも個人的な感覚ですが…。

昔の人は(父もそうですが)青春期によく結核なんかになりましたよね。それをきっかけに生と死について考えざるを得なくなって、治癒後に進路変更をしたりした人も結構いるんじゃないかと思います。


私も10代後半に数年かかる療養を余儀なくされたので、普通だったら、そこで挫折しているわけですよね。ちょうど受験にぶつかる時期ですし…。まあ、私の場合は出席日数の関係で、高校行くだけでもギリギリでしたから、特に専門的にやりたい勉強があるわけでなし、また家の経済的な事情もあって、美術系大学とは一層無理だし、まあ、そういうことを諦めてぽっかりと空白の時期の中に放り込まれた次第です(ーー;)

でもその期間に学校時代には見つけることができなかった趣味のあう友人や親友を見つけられたことや、やりたい道が見えたこと、洋裁の技術が身についたこと、なによりもそれまではしばしば陥っていた自己嫌悪との縁が切れたことが大きいです。

自分を嫌いだったのに好きになれた。それも大好きなお絵かきを通して…ですからね。これがずっと後々まで、今現在にも至るまでの私の大きな強い芯になっていることを思えば、進学するよりも得られたものが大きいと思うのです。もちろん進学していたら、それなりに違うものも得られたかもしれませんが、私はこれで良かったな、と思います(^^)


まあ、パニック障害は高校生の時からだし、同じ時期の体調不良やストレスに起因してますが、これも家族の介護と看護のことが焦点で、いつのまにか改善していたというのが大きいですね。このことについては「自分のことよりもまず身近な人たちのために親身になることの重要性」を教えられたと思っています。

で、それが理解できたから、もうパニック障害は必要ないということで、自然と改善されたのかもしれません。意志的に治そうとして躍起になったわけではなくて、いつのまにか気がついたら…ですしね。

これも課題をクリアしてもう必要がなくなった結果だとも思えるな、と感じています。

 

母の介護が必要になったな、と覚悟を決めたら、母の病室で瞬間的に五十肩の痛みが消失して、上げることもできなかった左腕が動くようになったこととか、健康に気をつけたり、何も特別なことをしていないのに、(痩せてもいない、というか痩せられない( ; ; ))血液検査の数値が改善していって、さらに今度は血圧の薬ももう必要ないというので飲まなくてもよくなりました、というのも不思議なんですが、もしかしたらそれらのことも私の中で課題がクリアしていって「もう必要ないから」として脳と身体がバランスを取ってくれたおかげかもしれませんし…(^_^;)

医学的根拠もなにもありませんが、私個人には「バランスを取る」というのが心身の大きな課題だという自覚がありますので、多分、脳の働きと身体的な不調は両方を治していかないといけないんだと思っています。

脳というか、精神というか、心というか、そういうもののあり方はすごく微妙な感じがするんですが…。でも肉体に関しては脳のコントロールセンターが与える指令は大きいと思いますから、全体のバランスってすごく大事だと思う。

私はまだ脳の混乱があるから、身体的な疲労感が強い症状としてあるけれど、脳がもっと落ち着いたら、そういう身体症状もましになるのかな??という気はします。結局、心と身体はどこまでも切り離せないものですね。

で、どちらかの調子が悪くて病気になったら、実はその時が全体のバランスとか生き方とか価値観とかを根本的に見直すチャンスではないかと思います。

うん。病気はやっぱりマイナス要素ではありませんね。きちんとした治療をしながら、人生全体を見つめるとてもいい機会です。ここでしっかりと見つめ直すことができれば、いざ死ぬ時になってから「もっとああすればよかった」という後悔を残さずにすむようになると思います(^_^;)

 


病気を友とする生き方があってもいい(パニック障害からの学び)

 

他人を励ますと、逆に自分が落ち込む傾向にあると気付いた鬱期の私です (ーー;)
まあ、きっとそれも仕様がないんだろうけど、あー、もしかしたら余計なお世話だったかなあ…と思うとあとで落ち込む次第…。仕方がないよね。黙って通り過ぎるのが出来ないんだから…。


精神疾患でも治る病気について、たとえばパニック障害うつ病や、そういう類の病気については、私は自分の経験があるから、つい「大丈夫、治るから」と言ってしまうんですが。私の場合、その完治までに40年近くかかっているのが事実なので、だからうっかり「40年」とか言っちゃうと、まだ若い人などはその長さに落ち込んでしまうんですよね。

いま現在10代とか20代の人だったら、40年先なんて、具体的に想像も及ばないかもしれません。過ぎてしまえばあっというまなんだけど…。でもきっと若い人には「長すぎる未来の話」で、だから気持ちが焦っても無理ないかもしれない、と思います。

でも、単に40年近く、と言っても、ずーっとパニックがひどかったわけじゃなくて、働いてもいたし、そのために条件の合う職場も探したし、手に職をつけたり資格を取ったり、そういうことでなんとかいろいろ工夫はしてました。

パニックだから、「なにかあってもお医者さんのそばならなんとかなるし、なんとかしてもらえるだろう」という動機で通信講座で医療事務を勉強して資格を取って、小児科医院に勤めましたしね。動機はつまりそういうものでした (^_^;)

で、少しずつ外に出ていることに慣れると、もうちょっといろいろなことも出来るようになります。…とはいえ、やっぱり発作の波があって、国道の信号が渡れない(向こうに書店があるのに)とか、家でひとりでいても不安で仕様がない、とかそういうこともありました。

逆に調子が良ければ、家族で旅行にも行ったし、飛行機にも乗りました。母に「大丈夫かいな?」と言われましたが、「乗ったらもう、落ちてもいいと覚悟するわ」と開き直りました。どこかで「発作」→「死に至る(ほんとは死にません)恐怖」→「パニックの最中を人に見られたくない気持ち」とか、要するに自分の深層にはそういうものがあるなあ、と気付いていたんですね。「死んでもいいや」という開き直りは結構有効だったかも。ついでに「かっこ悪くてもいい」という開き直りも覚えました。

まあ、そのあたりから、いろいろなコツ、発作の最中の症状だけに気を取られないコツがわかっていきます。やっぱり自律神経の働きで、不安や恐怖がますます症状を悪化させるシステムも理解できたので。

じゃあ、発作が起きそうになったらどうするか、なるべく早いうちに「症状から気を逸らせる」ことがいいのですね。動悸はひどい、脈は速くて吐き気がする。眩暈もする呼吸がうまくできない。足がもつれる。etc. …そういう症状は不安や恐怖から大量に分泌されたアドレナリンの作用でよけいにひどくなりますしね。



そうはいっても、いきなりリラックスするのはとても無理です。精神安定剤の力を借りてもいいですが、もしもそこが電車の中だったら、友達と一緒だったら、気分が悪くても孤立しないで馬鹿話をする方がいいんです。私がよくやったのはまだ小さな甥や姪と一緒に外出することでした。目が離せない小さな子を見守るというのは気を遣う仕事です。自分のことばかり考えているわけにはいきません。ケガをしないように、危なくないように、そういうことに気を配っているのが発作の予防になるんですね。これは本当です。

その姪はやはり特養に勤務していますが、「私な、前から会議とか部屋にじっとしていたら息が苦しくなってくるんよ。で、病院に行ったら『パニックです』って言われた。けど、早めにもらった薬飲んだからましになったよ」と言っています。いやはや、姪には今2歳の子供がいるから、実際に子供から眼が離せない状況で、それが幸いかもしれません。

「私、小さいころのあんたらに随分助けてもらったわ。今度発作が起きそうになったらうまいこと気を逸らしなよ」と伝授しておきました (^_^;)

私が初めてパニック発作を起こしたのは高2の夏でした。パニックだけじゃなくて、こじらせた慢性盲腸炎からの影響かな(多分)慢性膵炎にもなっていたので、心身の養生を余儀なくされました。本当は入院するはずだったのですが、母が「食事療法をやります」と言ったので、かろうじて入院はまぬがれたけど、食後は苦しくてしばらく横になるしかありませんでしたが…。(せっかくだからついでにダイエット、とやったのは、さすがに病気がもうちょっとましになってからね。膵炎では脂分と糖質を制限されていましたし)

2重苦(?)のわりに私があまり落ち込まなかったのは、もともと学校嫌いだったから、ここでひと休みできるのはラッキーかも、と思ったからのような… (^_^;) つくづくポジティブですよね、我ながら。

あんまり焦ってもいなかったな。私はこのへんの価値観がずれてるから、もとより結婚する気もないし、(相手が誰でもよければ出来た時代でしたが)専門的に勉強したいこともないし、もとより自分の遺伝子は残したくないから子供はいらないし…。思えば焦る必要がほとんどなかったんですね。

でも手に職、というので洋裁を習って、医療事務の資格を取りました。療養中に学校では得られなかった趣味の合う友達もたくさん出来たし、お絵描きも出来るし、それはそれなりに楽しかったです (^_^;)

今、若い世代の人だったら、そういうレールから外れてしまうのが不安で、だから焦るのかな?「ゆっくり療養してもいいと思うけど…」って言っても、なかなかそれが出来ない人が多いのですね。かえって30代とか40代になって、残りの人生の有限に気付いて、退職される人も少なくないのですが…。その気付きがちょっと前倒しになっただけなんだけどな、本当は…。

ただ女性だと結婚はいつでもいいとしても出産にはある程度適齢期があるから、それは気になるのかな?でもまだ10代とか20代だったら、仮に10年くらいのロスなんてたいしたことじゃないと思うんだけどな…。

もともとアドラー心理学的な価値観と人生観で生きていると、一見マイナスと思えるようになった時の受け止め方や生かし方が全然違ってきますね。私はいま振り返ってもその40年近くがマイナスだったとは全然思っていません。むしろ普通に順調な人生を送ってきた人の何倍も充実した濃い人生を送ってきたと満足していますが…。

そうだよ、こういう時こそアドラー先生のことを思い出すのがいいと思います。私はもともとアドラー先生っぽい人間だからすごく容易いことなんだけど、価値観の変革でやはり充実と幸福感は相当違ってくると思います。

病気のときこそ、実はいろいろなチャンスに満ちている、っていうのは本当だと思います。

アドラー心理学の考え方で行くと、病気の時も、介護の時もやっぱりなにひとつ無駄な経験、無駄な時間って存在しなくなりますね。誰とも比較しない私の人生。どこまでもオリジナルな私の人生。

順調な人生よりも、つまづいたり転んだり失敗したりした時の方が、人間として得るもの、学ぶものは圧倒的に多いのです。失うものがあるかわりに、得るものも非常に多いというのが私の実感。だから昔に戻れたら、とかやりなおしたいとかはまったく思いません。いままでのすべてが「現在の私」を形成しているのがわかるから。だからこのまま死んでも後悔もしないでしょう。そういうふうな経験に恵まれたことに感謝しています (^_^)

アドラー先生は否定されていますが、役立つなら私は例によって亡き祖母にも頼りました。形見の指輪をずっとはめていて、ひとりで外出する時は「おばあちゃん、一緒に来てね」と心の中で頼んで (^_^;) これもなかなか有効な手段でした。死者に頼むのも、なんでもそうですが、依存にならなければ、いろいろやってみる価値はあると思います。

焦らないで、諦めないで、受け入れて怖がらないで、一緒に行こうと受け入れることが出来た時、実は治癒への道のりを一歩二歩と踏み出しているんだと思います。



 

タイミング良く、この文章と出会って、少しでも未来が明るく見えてきますように…。1人でも多くの人の幸せを願っています。

 

 

 

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