いまは身体的不調が堪えます
暑くなりました。
弟は5月から冷房入れてるけど、私はまだです。家に風の通り道を作ったから(そのために網戸入れた)その道の途中にいると快適です。さすがに真夏は無理かな?
北西の部屋で昼寝は可能だし、夜は気温も下がるし、熱帯夜になるとさすがに無理かな… (ーー;)
終日寝たり起きたりしています。足の重さと背中の鈍痛で、座っていられなくなるので、しばし横になってしまう、というパターンが毎日何度かあります。でないととても起きていられない。
20年前に掛け軸を作る立ち仕事で、毎日「横になりたい」と思っていた頃から、こういう気配はあったんですね…。なんかもう20代の頃から。あの頃は在宅でできる仕事なんて限られていたから。
「5分か10分、横にならせてください」と勤務中に言い出せず、非常にしんどかったです。
今の時代、それが在宅で可能じゃないですか。当時PCとネットがあれば絶対にそっちを選んでました。「ちょっとだけ横になって休んでまた仕事」が自宅なら出来るしね。そういうのは羨ましいな。40年前には想像もできないことでした。
確立した死生観
介護士や家族の介護に携わる人は抑うつ傾向やうつ病の原因になる不安レベルが一般人よりもかなり高い傾向があります。有効な改善策はあまりなくセルフケアで推奨されていることはマインドフルネス(瞑想)。マインドフルネスは不安と緊張が低下し生活の質が上がります。https://t.co/r33JcDKRe4
— 🇯🇵てつ太郎🇸🇰 (@serotonin_nin) 2020年6月3日
私も自分の双極性障害がありつも、両親の介護が完遂出来たのは自分なりの死生観がほぼ確立していたからじゃないかと思います。
で、両親を現実に看取って、その死生観は多分どの既成の宗教とも完全一致しなかったけど、自分の中では確固としたものになりました。
いまはそれに私自身が支えられています(^^) 両親とともに構築してきた道徳と愛と死生観だという気がします。だから死後も両親を身近に感じます。
某サイトでの計算によると、私は10年後の誕生日前後に死ぬ可能性が高いそうだけど、きちんとお役目果たせたら、もうそれで充分とどこかで納得しています。
その通りになる可能性は低いかもしれないけど。長さではないのはわかっているので…。
父が享年79歳、母が享年84歳。近所の人に「早かったなあ」と言われるけど、両親もちゃんとお役目果たしたから充分かもね、と思えます。私がきちんと自立できることが重要なポイントだった気もするし。
2人ともあまり丈夫な方じゃなかったから、私もそんなに長く生きるとは思えないし。
「自分」と「他人」に境界線を引く重要性
有名人などの自殺報道で慎重になるのは若い人が影響を受けるからだそうだけど、自分と自分以外の境界がきちんと出来てないと危なくて、その境界がしっかりするにはそこそこの年齢と経験などが必要らしいです。
共感しても引きずられすぎない技術というか、彼我の境界線がしっかり引けることが大切なポイントですね。
私自身はHSPでも身体的影響は受けても精神的な境界線が引けるのは自覚している。これも訓練かな(^_^;) 「自分の問題」と「他人の問題」をきちんと分けられるのです。
こういうのは経験から得たものの大きいですね。共感しながら反面でしっかり現実対応が可能だというのはやっぱりこの十数年の経験の成果かと(^_^;)
いつもどこかに醒めている部分があるのは自覚しています。 伊達にぼーっと生きているわけではないから。
引きずられる傾向がある人は距離を置くのが無難だし、自己の安全のためだと思います。
誹謗中傷が原因で自殺した人がいる。その人を誹謗中傷した側が保身のために弁護士に相談したりしているそうで、みっともないよね。
その人たちも多分「みんなで匿名でやれば怖くない」とか思ってて、やはり彼我の区別がちゃんと出来ていないと思います。集団に流される危険はもっと強く持った方がいいよ(ーー;)
私の誕生日は旧盆なので、その日に死ねたらすごく理にかなってると思うんだけどね(^_^;)
しんどいけど、今日は買い物に行かないとなあ… (/_;)
これは奈良です。朱雀門前かな?