Twitterの役割
2011年、東日本大震災の後で、私は大きな被害を受けた地元の人々に過剰に共感してしまって、共感疲労の極致と呼ばれる状態にいました。当時のメインの情報はTwitterでした。
少しはテレビのニュース画像も見ていましたが、放送される動画自体がネットでの投稿なのがわかるので、あまり意味を感じなくなりました。
私が本当にテレビを見なくなったのはその時以来ですね。Twitter自体はしばらく中休みがありました。
まあ、ですから、いま現在の主な情報源はやはりネットですが、こちらもいろいろと学びましたし、どの情報が信頼出来るのか、わりと見極めることが出来るようになりました。
あと、自分でも進歩だと思うのは共感はしても自分を守れるフィルターが作れることになったことですね。バリアみたいなものかな?
新型コロナウイルス騒ぎでも比較的落ち着いていたのもそのおかげだと思います。
今回の騒動で比較的若い世代の人たちや海外在住の日本人の方々とのやりとりが出来たのが有意義でしたし、若い人たちが「投票して自分の意見を主張出来るようになりたい、なろう」という声をいくつも聞けたのが収穫でした。それ、忘れずに選挙の時にきちんと投票してくださいね (^_^;)
SNSの変化の時代
あと、これはリアルタイムで見ていたので、ここまで反映されるというか、影響があるのはちょっと意外でした。
(あ、自分も参加はしましたが)この「400万」という数字はあまり信用していません。こういう数字はいくらでも増やせるシステムがあるらしいので、あまり正確だとはいえないですね。
ネットの時代なので、なにがどこまで反映されているかはわかりませんが、ネットの意見をまったく無視出来なくなっている時代なのは確かだと思います。
Twitterは匿名ですが、なにかと反映されるスピード感は最速だと思います。ニュースもTwitterで知ることが増えました。報道がほとんどない地元の火事のニュースでも投稿されている方のTweetで見つかったりとか…。
上手く使えば非常に便利なツールだと思いますが、なにごとでもデマはある、ということと、言葉は武器にもなる、ということは絶対に忘れてはいけないと思っています。
誰かを非難する時には「それって実名でも言える?」と考えてみる方がいいです。返す刃はあるからね。それは自戒しておかないと。
まあ、いろんな世代の人たちとやりとり可能なのが有り難いですね。どんな時間でも起きている人がいて、反応があるのが嬉しいとか (^_^;)
Facebookは実名だから、その方が便利なことも多々ありますが、「届く宛のない手紙を瓶に入れて海に流してみた」的な使い方が出来るのはやっぱりTwitterなのかな?自分個人のことは両方で投稿することも多いです。
でもメンタルが強くなくて刺激に弱いという方は距離を置かれるほうがいいのかもしれません。
2011年を経て、どこかやっぱり自分は強くなった気はします。あくまでもメンタルだけですが (;゚∀゚)
葛藤してます
今日の早朝。
非常に具合が悪いんだけど、うつのせいか自律神経のせいか、疲れ過ぎなのか反動なのかわかりません(;_;)きっと全部だな。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月3日
実は蜂窩織炎もまだ完治してなくて、かなりの体力ダウンを感じています。寿命も短くなりそうだけど仕様がないね…。起きていられない時間が長い。
病院行っても治らないと思う不調。でもとりあえず朝の薬全部飲んどく。でないとマジで動けない(T_T)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月3日
なんとか今日もご飯が作れた。安い食材でも無駄にしたくない、という気持ちが働くのは不思議です。このごろあまり使ってないけど(痛みやすいので)もやしなどは30円くらいでも早く使わないと、という気持ちになるからなあ… (;゚∀゚)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月3日
なんとか起きてやった。
これはコミュニケーションの基本。この先生の語りは眠くなるα波が出てるよね、との評判です (^_^;)
会話としてやってたわ。普通に。「反対意見も一旦さらっと受け止める」のってすごく大事。要するに共感ですね。これやると喧嘩にもならないし、炎上もしないの。コミュニケーションの基本ですね (^_^;)私はあまり揉めたくないからわりと普通にやってました。イエスノーもはっきり言ってるし。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月3日
おなじみの伏見稲荷。そろそろリアルで行ける元気が欲しい。
これは奈良公園です。