マスク地獄みたいな夏
すみません。今日も短いです。暑さが本当に辛いです。
毎年「夏が越せるかなあ」と言ってますが、いずれ「越せない夏」というのが来るだろうと思っています。
『屋外で人と十分な距離(少なくとも2m以上)が確保できる場合には、熱中症のリスクを考慮し、マスクをはずすようにしましょう』
— 外科医けいゆう|Takehito Yamamoto (@keiyou30) 2020年6月5日
あと、必要のない時にマスクを外している人に対して、「なぜマスクをつけないのか」という非難の目を向けないことも大切だと思います。 https://t.co/3gKtiXs8JT
温度差アレルギーのため、暑いときに長時間マスクしてると鼻水が出て息苦しくなって本当に辛いです。
これが長引くと耳(聴力)もやられますし。そろそろ危ないし。
人が少ない道では外します。屋内でもいまは30分が限度かな。昨日買物行ってから鼻炎が悪化しました。苦しいとキレる寸前です。
缶バッジでも作って啓蒙と主張したい。視線が苦しいですし気にしたくなくても刺さります。なんとかして(泣)
缶バッジはマジで考えています。マタニティーマークやヘルプマークみたいなものね。大きめで。
死産をおめでとうと言えるかどうか?
最近見かけました。
不幸にして赤ちゃんが死産になった場合、「おめでとう」と言って欲しいご両親がいらして、これも死生観に関わることですが、私聞いた時は違和感の方が大きくて…。
息子(現在中2)が生まれる時、常位胎盤早期剥離で母子ともに死ぬ寸前だった。もしあの時2人とも死んでいて、周りから「おめでとう」と声をかけられたら、ボクは喜んでいた自信がない。感情は過去の経験に紐付けられる。ボクは死産を経験された方に「おめでとう」とは言えない。
— ペディたそ@小児科医 (@pedi_eikoh) 2020年6月4日
私も自分が苦界に生まれて来たくなかったほうなので、死産の場合はきっと何も言えないと思う。せいぜい「お疲れさまでした」くらいかな…。そこでストップしとかないと余計なこと言いそうで怖い。
「死生観」なので生まれる時から死ぬときまで、あの世までひと繋がりですし。おめでとうは凄い違和感。
でもそれで救われる人がいるならそれでいいとは思う。難しい問題だね。ご本人の気持ちを尊重するしかないな。
肉体を持って生きるのはそれでないと体験出来ないことも多いし、非常に意義もあるんだけど、生まれつき厄介な体質だと肉体は牢獄のように感じる。だから死は不自由な肉体からの解放でもあるし。
死生観は本当に人それぞれだよね。私が違和感や複雑さを感じるのはそれゆえに。天寿を全うして亡くなられた方にもやはり「お疲れさまでした」とご挨拶します。
死生観は人権とかジェンダー問題とか世界的な視野にも強く結びついてるんだけど。
逆に心を自由にしてくれる利点もあります。
私は苦界で修行をしているのだから、あまり経済的というか物質的なものや成功するとかしないことに関心が持てない。慎ましく過ごせたらそれでいいと思うし。肉体の牢獄は仮の宿だとしか思えないから飾る事にも関心がない。
この世界に生まれてきた幸せも生まれなかった幸せも両方あるよな、と思うし。
でも死産の場合に「この世界に生まれずにすんでよかったねえ。おめでとう」とは言えないしね。親御さんの気持ちはそうじゃないでしょう。
でも私はそういう意味も大きいと感じています。言えない本音だから黙ってる (ーー;)
ほんとにもう、生きるのって苦行だよね。辛いわ、ただ毎日生きるというだけで。
「違う存在がいると天敵に眼をつけられる危険があるからいじめは本能。なくならない」って言うけど、今や人間の天敵はウィルスや同じ人間くらいじゃないですか。いい加減に認識のアップデートが必要じゃないか。天敵と本能だという理由はもう破綻してるよね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年6月5日