お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

受け取る人によって違ってしまうのは当たり前

 

ジェットコースターは上がれば下る

 

昨日はあまりにもやる気がしなくて、ブログの色違いテンプレパターンを数種類作って終わってしまった (ーー;)こういう日もあっていいかな…。うつうつとして愉しまず (ーー;)

 

この前の軽躁の反動もあると思います。ちょびっと希死念慮もあるので、こういう時は天中殺でもなんでも努力で左右できないもののせいにした方が気が楽(^_^;)

 

足のむくみと腫れで、着圧ハイソックスも痛くて入らず、いよいよ靴も履けなくなってきて、どうやって外出すればいいのか悩んでおります (ーー;) 困った…。寝て起きたらいくらかましかな?買い物はあさイチでないと無理ですね。

 

 

 

 

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「猿沢の池」

 

一昨年だったか、個人的に意志の疎通がうまくいかなくて、しばしば曲解がおきることについて、お坊さんに相談した時に言われたことがあります。

 

 

『手を打てば 鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池 』

 

こちらが無意味に手を打ったとしても、鳥は威嚇されたと思って逃げるし、鯉は餌が貰えると思って寄ってくるし、女中さんはお茶を所望されたと思って持ってくるし。

 

何事も相手によって受け取り方は様々です。
どれだけ注意を払っても、思わぬ誤解は自他ともに往々にしてあるものです。

 

 

というお答えをいただきました。なるほど、と思いました。まあ、こちらの言動に対して、いろんな反応があるものだと思います。ただ、そのそれぞれの反応に対する根拠みたいなものはやはり受け取り手の中に主に存在するんですよね。

 

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綺麗な花を見て、「そのプレゼントはいいな」と思う人もあれば、「誰にもらったの?彼氏?羨ましい」と思う人もあるし、「うちの妻にもたまには贈ろうかな。でもちょっと恥ずかしいな」と思う人があったり「そんなのいちいち見せびらかすの?」となぜか不快に思う人があったり…。

 

そういういろんな反応があるのは当然ですし、上記のような反応はそれぞれの生活の中のそれぞれの心情から生まれてくるんですよね。逃げる鳥だったり、おいしそう、と寄ってくる鯉だったり、お客さんだと思ってばたばたお茶をだしたり…。

 

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「いまのなんだったの??」


で、こういう場合、なにも期待もせずにふと無心に手を叩いてみた本人が一番わけがわからんかったりします (^_^;) だってその行動に目的意識があったわけではないから。

 

鳥が逃げたのは「あ、驚いたかな、悪かったな」と思いますし、口を開けている鯉にはお茶を持ってきた女中さんに「すみませんが、なにかご飯粒でもわけてもらえませんか?」と頼めますが。


それ以外にどう反応すればいいのかわからないことは多々あります。「いまのなんだったの??」

 

SNSで花の写真を見て、やはり上記のようにいろんな反応をする人がいますけど、別に本人はもらった記録の写真を投稿の彩りにしただけで、深い意味なんか持っていなかったりします。

 

私もそうですね。記録的に、彩り的に載せるけど、それ以上の意味はないので、他の人の写真を見ても「綺麗だな」「道端に咲いてると嬉しいな」と思うくらいで、それ以上の曲解にはなりません。

 

…というか、なにをどうしたら曲解になるのかわからない… (ーー;) 鈍くてごめんね。自分の中にない概念とかだとますますわからなくなります。

 

私は自分と誰かを比較することをしないので、誰がいいとか悪いとかの比較もあまりしないです。何が好きでも嫌いでもその価値観はみんな違うから、比較の仕様がないし、口出しする必要もないと思っています。 基本は誰とも対等なので、あえて順位や上下関係を作る必要もなく…。

 

私の場合は相手がどんな立場の人でも同じように話すだろうな、と思います。だって対等だから。

 

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こういうのを相性が合う、合わないというのかも…


仮に価値観が違ってもあんまり細かいことを言われるとお互いに嫌ですよね。もうこちらは細かいことは気にしないでおおらかに暮らしたいですし。

 

私には私なりの幸せを感じるものがあり、他の方にはそれぞれに幸せを感じるものがあり…。それでいいと思うんだ。比較すること自体が無理すぎる。なんでそんなことわざわざ誰かと比較する必要があるの?と思います。自分の中にそういう概念が無いからわからないです。基本的に上下関係もないし。

 

非常に無意味。そういうことはSNSに多いみたいですが、私には他人事。どんなに立派な家でもブランド物でも「ふーん…」という感じで見てるだけかな。それだけ。物質的なものへの興味も関心も薄いです。写真だと綺麗な風景とかおいしそうなスイーツとかにはちょっと心惹かれますが、「近くでこういうのが食べられたらいいな」と思うだけ (^_^;)

 

みんないろんな毎日があるよね、と思える雑記ブログを読ませてもらうのは好きです(^^)

 

私は「灯ともしごろ」というのが昔から好きなんですね。みんなが帰宅して家の灯りがポツポツ灯るのを眺めている。特に自分が旅人で車中からそれを眺めているのが大好きです。

 

みんな中では色々あると思うのよ。でもとりあえずみんないまを生きてるんだなあ、と思える、その感じが好きです。いまも時々団地の窓から眺めています。「人が生きてるなあ」という素朴な実感(^^)

 

 

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いま、真剣に悩んでいるのはなかなか絵が描ける気力と集中力が戻ってこないこと。私にとってもっとも充実を感じる時間だから。

 

そもそも誰かに羨ましがられるものも見せたいものなんかも持ってないし…。それくらいで他のことはなるようになるかな~としか考えてなかったりして… (^_^;)

 

すいません、あんまり考えていません。脚色したりもしてないんで、ありのままのことしか言ってないとは思うんですけどね。人間って面倒くさいね (ーー;)

 

池に石を投げたら…カメが驚くくらいだな、ごめんね、やめとく (^_^;) 

 

 

 

 

自分では妥当な線かな?と思います。

 

 

 

ああ、でもこの猿沢の池ってうまいたとえだなあ。

 

お坊さんの間では有名らしいです。なるほど仏教思想。一水四見。勉強になりました。


ja.wikipedia.org

http://www.shokoji.net/28.8dendoban.pdf

 

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 ↑これはたぶん世界共通 (^_^;) 可愛いものには完敗です。

 

 

 

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