うーん、ネタがない。
急激な気温の上昇に身体がついていけなくてしんどいです。ごろごろしています。
昨日出来たのは毛布と敷きパッドのとひざ掛けのフリースの洗濯のみでした。早く乾くのはありがたいです (^_^;)
新茶の季節です
Twitterでつぶやいていたことをこちらでも。
新茶を入れると美しい緑にいやされ、なおかつ、表面に浮く細かい葉っぱの産毛がいかにも「新茶」という感じで幸せな気分になります (^_^) あの産毛は新茶にしかないんですよね。
私は子供のころからバリバリの緑茶好きです。以前は雁ヶ音の抹茶入りが好物だったけど、その後粉茶の抹茶入りになって、今は煎茶にわざわざ抹茶を混ぜて飲んでます。あの甘くて苦いのがなんとも美味。
そもそも緑茶は薬として重用されてきたので、いまでも緑茶を好まれるお医者さんも多い気がします。在宅介護中、栄養ドリンクはいらないけど、緑茶はもらいます、とかかりつけの先生がいつもおっしゃってました。
(栄養ドリンクは私のお知り合いのお医者さんがみなさんお薦めされないのでいまはまったく飲まなくなりました)
私は好きで飲んでるけど、やはり緑茶の薬効はあるような気がします。あまり外に出ないのもあるけど、風邪を引きにくいです。若い頃にあれだけ風邪で悩んだのにね。
宇治茶の本場に近い土地に来たのも縁かもしれません。普段は緑茶か麦茶、日に一度は紅茶。どこまでもお茶が好きで自分でも呆れますが (^_^;)
ゆったりとお庭なり見ながら、お抹茶を味わいたいなあ、としみじみ思います。私の幸福ってそういうささやかなものなんだなあ…。
ちなみに茶畑があるのはもっと南の方ですが。山城と言うべきかな。宇治茶の甘み、静岡茶のきりっと感。たまりません (^_^;)
こういうことテレビで言ったらまた店頭からお茶が消えたりするんだろうな。それは嫌だからここだけで言っときます (^_^;)
私感ですが、緑茶の健康効果は長く続けるから意味があるんじゃないかなあ、と思うので。
ジェンダーの問題はもう嫌になってきた
私は性別に対してほとんど意識がないので、男女を問わず優しくてその中に芯がある人しか多分眼中にないと思います。だってそういう人じゃないと魅力を感じないというか、目に入らないもん (ーー;)
やはり人間性の魅力。ある意味目茶苦茶はっきりしてます。アセクシュアルよりわかりやすい?
輪廻解脱したいけど、広い宇宙の中には性別がない宇宙人の星とかもありそうな気がするし…。まあ、そこは地球よりは気楽な気がする。性別云々にはもうかなりうんざりしているので…。
●自分の意見を持ってて
●自己主張が出来る
●感情的にならずに話し合いが出来る
●自分も相手も尊重できる
これって世界標準だと思ってたけど、日本でやるには「空気を読んでも無視できる」能力も必要なんだよね。
フェミニズムは世界共通の課題なんだけどそれだけ不自由だってこと。
性を売りにするのは最も資金がかからない仕事で、昔はそのために多くの女性が売買されたし、世界では今でもそれが続いてる。それをおかしいと思えないのは感覚が麻痺してるとしか言えないな。ものすごく根本的なこの問題に気付く人が増えて欲しいです。貧困とワンセットになっていますしね。
「今はひどく悪い」という自覚がないと改善は目指せないから。
また地球規模のことを考えちゃってるけど、世界の変革は身近なところから意識を変えていくしかないのかな、とも思う。
身体と魂の話ー私たちがポジティブな理由
私は基本的に魂に性別はない、と思っていて、肉体は地球からの借り物だから性別もそんなに重要じゃないとか思うあたりがそもそも一般とは離れてるんだな。
これに気づいてしまうと戻れない。そもそも肉体自体が違和感あるし。これは生まれた時から感じてて生まれたくなかったフシもある(^_^;) 結構難産だったようです。
幸いにして身近な「家族」という理解&協力者には恵まれたけど。身体があるゆえの辛い体験は全部修行だと思っています。だからきっちりこなしていかないと卒業にはならないのね。
二度と身体を持たない存在になっても悔いがないように過ごしたいです。
ゆー先生はお医者さんですが、同じINFJタイプだからかすごく共通点があるんですよね (^_^;) まあINFJには医療も適職らしいです (^_^;)
わりと哲学的なことを言っております (^_^;) ゆー先生に許可をいただいてやりとりをリンクさせていただきますね。
基本的に理解されにくいですけど、藤本さんの死生観と僕のそれは似通ってますね!
— ゆー🐱家庭医×産業医×起業家 (@yusukeo_1229) 2020年5月2日
別に生きているのがつまらない訳でも絶望している訳でもないけど、いつ死んでもいいと思っているし。まさにこの身体も世界も借り物って感覚です。
実はコロナウイルスもあんまり怖くないです。世の中がいい方向に変わるきっかけになればいいなあ、とは思いますけど… (^_^;) これもわりと少数派かも。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月2日
そこまで一緒ってびっくりですね。
— ゆー🐱家庭医×産業医×起業家 (@yusukeo_1229) 2020年5月2日
病体験も一枚噛んでるんでしょうけどね。
まあ、何度か死にそうにはなりましたし、思春期に深刻に悩んだこともあるし、でもそうこうするうちに本来の自分を思い出した感があります。幼児期に自分の一生を予期していた感じもあります。きっとそのへんから肉体は借り物意識が強くなったのではいかと… (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月2日
そういう経験を通じて、「根源」と繋がる事があるんでしょうね。
— ゆー🐱家庭医×産業医×起業家 (@yusukeo_1229) 2020年5月2日
僕も昔はもっと俗っぽかったし、もっと人に勝つ事や正しい事を重じてたけど、死と隣り合わせの生活を越えてからガラッと変わりましたからね。
いやー、本当に無駄な経験はひとつもないと思います。私は転んでもなにかを掴んで立ち上がるタイプなので、挫折も力になるんですよね〜 (^_^;)転ぶのは挑戦した証だと思ってしまうので (^_^;)これもレジリエンスでしょうか (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月2日
だと思いますよ!
— ゆー🐱家庭医×産業医×起業家 (@yusukeo_1229) 2020年5月2日
転んで何かを掴んで立ち上がる。
言葉にすると簡単だし、それが大事とよく言われる事ですが、実際にそれをやるのは極めて難しく出来る人はほとんどいないものです。
少なくとも皆、立ち上がるのだけでさえ時間がかかりますから。
レジリエンスは立ち直り力ですからね😇
何度もやっていると本当に鍛えられますね (^_^;)「なんとかなるわよ、大丈夫」という経験からの自信も出来ますし。レジリエンスですねえ… (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月2日
ですねぇ。
— ゆー🐱家庭医×産業医×起業家 (@yusukeo_1229) 2020年5月2日
周りには、よく何度もそういう経験してるのに、挑み続けられるよね。って言われますけど、何度も経験してるからこそなんとかなる自信がついたから、ってのはありますよね。
死ななきゃ何とかなる、ってレジリエンスと、死んでもまぁいいか、という死生観。この組み合わせなんでしょうね。
諦めているわけでもないし、生きるのが嫌でもないし、でも不自然なリセットは嫌で、私はマラソンだと思っています。途中で棄権しないで歩いてでもゴールすれば見えるものがあるのかな?と。棄権してまた最初からやり直しになったら嫌ですし (^_^;)やれることはやった、とい満足感が大事なのかも (^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月2日
全部全く同じなのですが、最後の方の、「棄権してまた最初からやり直しになったら嫌」ってのが僕の人生哲学の一番大きなものですね。
— ゆー🐱家庭医×産業医×起業家 (@yusukeo_1229) 2020年5月2日
過去の辛い体験から数多く学びましたが、記憶リセットされまた同じ苦痛体験を味わうのは絶対に嫌ですもん(笑)
だから自殺はしないって感じなのですよね。
私もなぜかそれは確信があって、途中で自殺で逃げたらまた最初からやり直さないといけない、というのはわかるんですね。だから同じ課題を繰り返さなくてもいいように、「いま現在を頑張る」感じです (^_^;)これは本当に大きいですよね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月2日
それは思いますね!
— ゆー🐱家庭医×産業医×起業家 (@yusukeo_1229) 2020年5月2日
ただ無意味に楽観視している訳ではなく、ある意味すごく世を悲観的に見ているからこそポジティブに考えられるという側面は、理解して欲しいし、少なくともこういう考えもあると知って欲しいと思います😇
よろしくお願いします。
私も絶対にネガティブとかメンヘラとかは診断されない双極性障害患者だったりします。
「気の持ちよう」ではなくて、とても冷静に世界を見つめている視点があります。普通の人はちょっと気付かないところまで。
コロナ収束後の世界は変わるだろう
「コロナ騒ぎが終わったらその間我慢していた好きなことをしよう!それを楽しみに頑張ろう」
— 九曜 (@navagraha_) 2020年5月1日
というのもちょっと危ないんですよね。
全く元通りの世界はたぶん来ないから、元通りの楽しみ方はできない可能性がある。
そこを認識アップデートしないと、一生何かを奪われてる意識で過ごすことになる。
もともと引きこもりが落ち着くのであんまり変わらないかも…。
行きたいのは社寺とか美術館とか図書館とかしかない。外食もほとんどしないし、デリバリーはもっと増えてもいいかな。
ソーシャルディスタンスは個人的にはちょうどいい。人が多いのは苦手だし。文化があればそれでいいや(^_^;)
コロナ収束後も家族とか友人とかよほど親しい人は別として、ソーシャルディスタンスからパーソナルスペースとして2メートルくらいの距離感は存続出来ればいいのになあ。どこも混み過ぎ、人多すぎ (ーー;)
私は他人に共感しながらどこか冷静に分析できたりするので、これは記憶にある限り10代からそうだったと思います。むやみに引きずられない境界線があって、だからHSPの体質が強くても自己がしっかりしているから大丈夫なんだと思います。
自分を見失うことがないので。
結婚感。これは精神面の課題が大きいです。
精神的に自立していれば、病気や障害や経済面などの問題はお互いにフォロー可能だと思います。
一人でも一人前ならあえて結婚しなくてもいいですよ。一人でも生きていける人間同士が人生をシェアする感じでもいいと思うな(^_^;)
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年5月2日