押し詰まって来ました 妙に多忙です
今年お世話になった方にハガキでお礼状を書いて、近いうちに投函したいと思いつつ。
昨日は自転車屋さんで診てもらったところ、パンクはしてなくて、虫ゴムが劣化していたと判明。でも一度分解して組み立て直してくださったようで、ブレーキがよく効いて乗りやすくなっていました(^^)
待っている間に電動自転車なども見てたけど、6万くらいから上はキリがないかも…。今の自転車ももう10年以上はのってるけど、乗り換える時期がわからないので困っています(^_^;)
住宅供給公社から家賃の振込用紙が来たので、今年中に振り込まないと。この間の印鑑の照合が間に合ってなかったのかもしれませんが。でも銀行や郵便局は今日以外は30と31日しかないよね。
あ、今日はメガネを取りに行かないといけません。あちこち離れているからイマイチ不便です。
なんとなく自然に身につくものではないのかな?
えーと、今日の話題は全然私などに語る資格はないんですが、でもどうしてもちょっと気になってしまったので…。
私は10代の頃からオタクでした。で、同じようなオタクの友人が多かったです。受け身じゃない方のオタクは、自ら創作する方だから、創作のためには知識も分析も必要ですから。自分が表現したい世界の周りのことはちゃんと勉強していて詳しいです。実際にそういうことを学ぶのはとても楽しい作業ですし(^^)
だからオタクって自分が好きな分野に対しては一家言あると言っても普通な感じです。だから話していても面白い会話になるんですが…。これは学歴などとはほぼ無関係なことですね。
一般教養というと…
この頃オタクじゃない普通の若い世代の人のブログへのコメントとか見ていると、なんというか、一般教養っていうのがあんまり入ってないよね、と感じることがたまにあります。自分と同世代か近い世代の人ですと、そんなことはまず感じないのですが。
普通に共通な話題として相談することも可能ですし。同世代だとある程度は学校や親世代から受け継いだもののあるかとも思いますが。それからやはり30年〜40年くらい下になると基礎の部分が違って来るんですよね。
もしかしてそれって人々が次第に本を読まなくなっていることと関係ある??
私なんか、学歴はないけど、変な無駄知識はあるし、そういうのってやっぱり読書のおかげだと思っているのですが、「こういうのって今の一般教養じゃないのかな?だって私はこういう知識は小学生の時に知ってたぞ」とか思うことも少なからずあって。成人なのに知らなくていいの?と思うことが結構あります。
知らないことに危機感がある人はいいんです。取り戻せるし、埋められると思うから。
でも危機感もない場合は老婆心ながらつい「大丈夫かなあ?」と思ってしまうわけで…。知らないことは怖くない?知らないことに自覚がない人が増えたのかもしれません。
一般教養=リベラルアーツっていうのは時代とともに変遷するのが当たり前ですが、それ以前に基礎を知らなくて怖くない?と思ってしまう次第です。本当に老婆心なのはわかってるんだけど。
いろんなところでいろんな人が心配してますよね。
日本の若い人の学力が落ちたと。読解力が落ちたというのも。
私たちの世代の「当たり前」がそうじゃなくなっているという事実はやはりショックではありました。だってそれは未来予測でもあるから。
本の断捨離に悩む人間からすると環境がどうなのかわからないんですが。もしかすると親が読書家で引越しの時は大変極まりない環境の方がいい点もあるかもしれないなあ、と思ってみたりします(^_^;)