一年早いなあ…(ーー;)
昨日、母の一周忌がらみで府内の叔母から電話がありました。お葬式後にお礼の電話をして以来?一年あっという間で怖いです(ーー;)
お互いに近況報告しましたが、なんと81歳の叔父は出張で九州に行っているそうです。未だに現役で仕事してるんだよね。そのせいか元気ですが、大きな肺と腰の手術をしているから、気をつけて欲しいです。「転んだら怖いし」と叔母も言ってました。
幾つになっても頭もクリアでネットもPCも使いこなしてます(^_^;)…っていうか、ネットがないと多分仕事にならないと思うけど。
そういえば、叔父夫婦の新婚時代も確か市営住宅だった気がします。亀岡の郊外で、お風呂が五右衛門風呂だったのを覚えてます。小学生の時に祖母と従姉と泊まりに行ったのでした。
でもあれって本当に市営住宅だったのかなあ?団地ではなくて戸建でしたけど。叔母は洋裁の仕事をしていました。
近所の農家に牛がいて、川に行くとメダカがいっぱい泳いでた。綺麗な水。おなじみの朝霧。50年以上昔の話。小学生の夏休みの思い出(^_^;)
すごく難しいことだけど
現実として体力気力の限界で、出来ないことは山のようにあるし、もどかしさもいっぱいあるけど、ふと気付くと自分の病気を忘れていることも結構ある。
特に創作しているときは変わらず楽しい。そういう時って無理なく病気とも共生出来てるんじゃないかと思います。
だからニュースなどで精神疾患が犯罪の要因みたいに言われるのが物凄い違和感あるんだよね。あきらかに誤解。
自覚のある人は真面目に治療して自分と向き合っていると思うし。内なる自己に立ち向かう覚悟を持っていると思います。
むしろ危ないのはそういうことに気付いていない人。悪いのは自分じゃなくて世間、と認識してしまっている人。
…そういう風に感じている人の怒りの矛先はやはり外に向かってしまうのかもしれない。それもなぜか弱いものに。
障害者を特定しても解決する問題じゃなくて、全体を良くしていかないと悲惨な事件はまだ続くかもしれない。
お子さんが被害者となったご両親の憤りは当然のこと。
怒り悲しむ権利があるのはご家族には当たり前。だからかわりにみんなが冷静に真摯に考えないといけないと思う。
前にも言いましたが、精神障害者と健常者の間の壁はとても薄いです。少しくらいズレちゃってても普通に生活している人もいっぱいいるもんね。他人を傷つけない限り、パワハラもモラハラもセクハラも犯罪だとはなかなか思われていませんが。
犯人を精神障害者にカテゴライズするだけではなんの意味もなく、偏見を助長して害悪なだけです。
あれ?自分のことを書くつもりがなぜか川崎の事件に踏み込んでしまった(-_-;)
これからの子供たちを守りたいです。そのためにも社会から生きやすくしていく。
この考え方はやっぱりINFJなのかもしれません。
これはみんなで考えることだと思います。
「死にたいなら一人で死ね」というメッセージの発信に注意を促した人は、殺人犯を擁護したのではない。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) May 28, 2019
「死にたいなら一人で死ね」というその言葉が、不安定な感情をかかえた人々への呪いの言葉になることを憂慮したから、彼はそれを言ったのだ。どうしてこの程度のことが読み取れないのだろうか。
希死念慮を抱いていながらギリギリのところでなんとか生きながらえている人間は、それこそ何十万人もいる。そういう人々にとって「死にたいなら一人で死ね」というメッセージは、本当に破滅的なスイッチになり得る。強くいましめなければならない。当然だ。
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) May 28, 2019
それでもって私
#みんなde幸せ拡散
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) May 29, 2019
今日は体温が夏バージョンになって37度を超えてました。またしばらくこれ(微熱状態)が続きます。
「思い通りにならないから自律神経、そしてホルモンバランス♫」と思わず作業療法士さんと合唱してしまいました。深刻になっても仕様がないし。いつものことだし、しんどいけどね。
ああ、これ。私の場合はクリエイティブな作業と他人に喜ばれることをすること、の二つに尽きるわ。病気も忘れるしオキシトシンも活発に分泌されて魂が歓喜する。わかりやすい。 https://t.co/3CbigXSzhu
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) May 29, 2019
のろのろとお絵かき、線画はまだここ。
また錫杖描きたいなあ。