壁と床が見えてきました
昨日、5、6ヶ月ぶりでやっと美容院に行けました。えり先に触るとイラっとするので、やっとすっきりしました(^_^;) なんであの椅子に座ると条件反射的に眠くなるんだろうな?いつも不思議ですが、今回も眠気に襲われてうとうとしてました。
相変わらず、休みの日を作らずに片付けております。
今のパイプベッドの上はこういう感じです。
かなり減りました。空っぽの収納箱とか、ファイルケースなどもかなり混ざっています。金襴の端切れまで出てきた。人形用の帯を作りたかったらしいです。
端切れだから人形用の筥迫(はこせこ)を作りたいとか思ってもいるし、残して置こうかなあ。金襴て高いんですよねー。これを言い出すと端切れぜんぶ取っておきたくなるから困るんですけど…(^_^;)
こういうやつ。
私ってどうも「ないのもは作れ」と思うタイプらしく、双極性障害になって、その「作る」作業がえらく大変になってもその気分が抜けないらしく、挙句にこういう材料ばかり集めてしまうんですよねー。
ネットオフに売った本は7〜800冊。(まだ400冊くらい玄関にある)価格にして6,000円くらいだけど、また新しい読者に会えるといいなあ、と願ってます。
でもあとまだ何冊くらいあるのか見当がつきません(ーー;)
20年前に11箱処分したときは1万円ちょっとになりました。古本の価値も下がりましたね(ーー;)
昨日の発掘品
2000年の年賀状と配布用のペーパーが出てきました。
年賀状は辰年だったらしく、好きな龍に気合が入っています。グラデのインクですが、紙を見るとやはり会社で印刷してもらっていたようです。もう、当時のデザイン会社にはすごいお世話になりました(^_^;) 今でも画集とか作ったらそれを持って社長に贈呈してくるのもご理解いただけると思います。
ここに勤める前は小児科に5年いたわけですが、小児科勤務以前に「印刷屋さんだー」というので原稿を持って自費出版の相談に行ったことがありました。右も左も分からない頃です。二十歳になるかならないか、かな。
で、7、8年後に面接に行ったわけですが、私があの頃からずっと描き続けているのを見て、採用してくださった、という経緯がありました。継続っていうのは力になるんだな、と認識した初めての具体例かもしれません(^_^;)
ペーパーは主に郵送で配布したものです。この文章は書院で打ってますね。まだPCを持っていない頃です。
指先を切ったとか書いていますが、掛け軸を作っていたので、大きなカッターで作業をしていて、2回、先が滑って右手人差し指の先を切りました。一回目は家族で旅行に行く直前だったんで、外科で縫ってもらいました。指先だから、神経がバリバリで、麻酔の注射からして泣くほど(マジ泣き)痛かったです。
懲りて二度目は病院へは行きませんでした。それから指先用の包帯と指サックで防御するようになりました。
ああ、でも本当に何年昔のが出てきても、自分の変わりのなさに呆れます(^_^;) まあ、私の基本はもう子供の頃から確固として存在していて、何度も上書きはされているけど、「核」としてあるものは変わってないと思います。
上書きの時期は割とはっきり認識していて、幼稚園に入った時、11歳の夏、中学生になった時、高二で病気になった時、20歳の時、27〜8歳の時…と続きます。その後も何度もありました。
上書きのきっかけはほとんど「人と出会ったこと」ですねー。刺激も感動も影響の大きさも与えてくれるのはやっぱり「人」なんですよね(^_^;)
傷つくのが怖いとか思ってたら損だと思います。そりゃあいろいろ痛いこともあるけど、それだけ学んで成長する機会に出会っているわけだから(^^) 傷付いても立ち直ればいいし。その過程で強くもなれるし。
やらない後悔よりはやってから後悔する方がずっといいよね(^^)
それでいながら、結局はまた確固たる自分に気づいて、さらに強くそれを再構築するわけです。私は永遠の中二病なのかもしれません(^_^;) 芯の部分は頑固なんだけど、そういう自分は嫌いではありません(^_^;)
ゴチャゴチャ言ってないでやりたい事やったらいい。人生は短い。やりたくない事やってる時間なんてない。他人に何と言われようとやりたい事やって幸せになったもん勝ち。人生の意義なんて知らんけど、幸せだなと思える時間が長ければ長いほど良いに決まってる。幸せになりたきゃやりたい事やんないと。
— Testosterone (@badassceo) April 16, 2019