あれってもしかすると仏壇のカスタマイズ?
昨日の記事、私には普通の日記なんですが、後から思うと、仏壇のカスタマイズ記事みたいなの載せてどうするよ?そういうことするの私くらいだよね〜。でもまあええやん。私には備忘録なんだし、と開き直りましたが…。
つくづく自分の家では至極当たり前のことがよそのお宅では当たり前じゃなかったりするんだなあ…とは思いました。みなさん、あんまり生死や病気のことについて考えたりしないのかなあ?…それっていまだに不思議です。
どうかするとタブー視されてるし。病気とか死とか、人間にとって当たり前のことが普通に話題にされないっていうのがすごく不思議で仕方がないんですね。自己肯定感とか、そういうものではないと思うし…。
ちょっと違ったものが見える子
うちの姪っ子はちょっと違ったものを見る子でした。
まだ2、3歳の時、母方の実家に里帰りしていて、山の中のお墓参りに行くと、にこにこして「わあ、人がいっぱいいるね」と言ったそうです。もちろん墓参に行った家族以外に誰もいないお墓。なにより山の中だからお盆だけど人がいない。だけども姪は「人がたくさん」だと言うし。「まあ、お盆だからね」とさりげなく言った義妹。
「いやー、あの時目茶苦茶怖かったよ。けど大人が落ち着かないと駄目だと思って…」とこちらに戻ってからその話を聞きました。…そうです。その対処法は正解だと思います。
その姪が中学生の頃、なにかの用事で階下に降りてきて、父と母と私のいる部屋から隣の仏壇の部屋を見て「わっ、いま仏壇から白い人が出てきた」と言いました。
「うちの仏壇やから、ご先祖さんか家族しか来ないよ、きっと。心配いらんよ」と私。「そやね、まあお彼岸やからね」と母。
みんながこんな調子なので、ちょっと変わった言葉を聞いても怪談にもなにもならないのでした。ちょっとくらい珍しいことがあっても「まあ、そういううちやからね (^_^;)」で終始する次第。
母も子供時代から若い頃はちょっとずれた層を見ていたような部分がありまして、よくその話を聞いてましたが、そういうものかな、と納得していたし。結婚してそれが落ち着いたというのはよかったんじゃないの〜、とも思いました。
母も我々と同じ遺伝子を持っていたら双極性障害っぽいところもありましたしね。多分元気だったのは20代までと60代の10年間だけじゃないのかなあ…。
まあ、私的に仏壇は簡易的に宗教と無関係などこでもドアだという認識は変わりませんが。
なんでも一応そのまま受け入れる??
面白いと思うのはうちの家族はそういう話を誰も否定しないということですね。見えざるものが見えても怖がりもせず、否定もせずに「まあ、そういうこともあるし」になってしまう。
そういう話と並行して、生と死や病気についてもごく日常的に語られていましたし…。私はそういう家で生まれ育ったので、それが普通だと思っていました。
両親も決して頑強な体質ではなかったので、些細な不調はしばしば訴えていました。群発性頭痛とかは父の持病でしたし、母は心不全で亡くなっただけに30代から心臓の不調を訴えていました。
苦痛も悩みもありましたが、だから「死んだ方がまし」とは両親は一度も言いませんでした。
だからどういう病気とでもむやみに闘ったり否定したりするのではなく、それらと上手くつきあっていくのがいい、ということも両親の日常のあり方から学びました。
私も幼少時、何度も入院を繰り返しましたが、それがハンデに思えるようなことはやはり両親ともに言いませんでした。でも本当に懸命に看病はしてくれました。
あの当時、リンゲル注射を点滴じゃなくて、太股に筋肉注射してもらったりするわけですが、やはり吸収が良くないのですね。両親は蒸しタオルで二人して太股を温めながらマッサージしてくれていました。かなりの長い時間。
私は朦朧としながら最後は意識をなくしていましたが、懸命な父と母のことは忘れません。
多分、両親の存在と(死後になっても)生き方がなによりも強い希死念慮のストッパーになっていると実感しています。
両親が具体的になにかを言ったわけではないんです。でも二人して自分たちの生き方で教えてくれました。だから自分の生命も大事にしないとね、と思います。
そういうすべての延長に両親を看とるという大切な行いが存在するわけですね (^_^) 生も死も病気も介護も全部ひとつながりの人生。
「まあ、そういうこともあるわなあ…」と両親に言われた気がします (^_^;)