つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

死ぬことや、生きることをもっと考えて欲しい

 

只今発熱中 (ーー;)


昨夜はしんどさが強かったので、午後8時に就寝。気が付いたら午前3時過ぎでしたが、それでも7時間以上は眠れたことになります。

 

で、昨日もおかしいな、と思ってあとで気が付いたんですが、熱が微熱を越えていました。大体37.5℃くらいまでなら微熱の範疇だと思うのですが、37℃台後半以上になるとやっぱり発熱ですよね。

 

指とか身体のあちこちが痛むので、もっと上がるのを覚悟しましたが、38℃は越えませんでした (*-д-)-з

 

原因ははっきりしませんが、身体のどこかで炎症が起きてるんだと思います。このあいだから鼻の中になにか出来ていて鼻をかむのが痛かったけど、それはマシになりましたが…。上腹部膨満感も苦しかったけど、ガスモチンをずっと飲んでいたらそれも改善しました。

 


いまはそういうわずかなことが表面化しやすい、というのは何年分もの疲労がどーっと出てきている時期らしいですし…。

 

私は本当にインフルエンザを絶対に家の中に入れないとか、ちゃんとした予防以上に気合いで(?)防いできた経緯があります。事実、気を張っているとかからない、というのはありましたし…。それでも、人はずっと気合いを入れ続けているわけにはいきませんし、精神的に緩んだのが身体にも反映されているんだと思います。

 

もうしばらく、心身と生活リズムとバランスが取れるまで時間を要するかな?と思います。なにも出来ないのはまあ仕方がありませんね (^_^;)

 

 

 

生と死を考える

 

 

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闘病中のカメラマン、幡野さんと西先生のことはいままでずっとTwitterで追いかけてきました。

 

 

 

“これまでの人生はどんな生き方でしたか?がんを抱えて、これからどう生きたいですか?”


“そんなこと今まで一度も考えたことが無い。”
多くの患者さんはそう答えるそうだ。

“先生にお任せします。”
人によっては生き方をお任せする人もいるそうだ。

 

 

 

これって驚きでしたね。

 

私は自分が弱かったから、本当に子供のころから生と死についてずっと考えてきた人間だったからです。

 

だから自分が考えているように他の人も考えていると思っていたら、そうじゃなかった、という軽いショック。えー、死を想定しない未来をみんな生きてるの?これっていまだにものすごく不思議です。

 

「人はいつか死ぬ。明日かもしれない。遠い未来かもしれない。でも明日あの人と会える補償はどこにもない」
これだけの大災害の時にはそれが切実なことに思えます。3.11の時もそうでしたけど…。

 

それを考えると、いまの感動もいまの悩みも一期一会かもしれない、と思います。どうせ記憶に残すなら美しいものに感動したことをたくさん集めたいなあ、と。

 

マイナスの記憶は私忘れっぽいのですね。そこにはそういう心理が働いているのかもしれません。

 


安楽死はなあ…

 

ちなみに私は安楽死は反対の立場です。これを認めてしまうと死ななくてもいい人が死ぬことになる危険も大きいし、本来の死は両親の場合を振り返ると(祖父母もそうですが)非常に穏やかに眠るように静かなものだというのが大きいです。

 

燃やし尽くした生はああいう終わりを迎えるのだと思います。誰の後悔も残さない穏やかな死です。

 

安楽死は「それを執行する立場の人、それを決断する人」を生み出してしまうので、酷だと思いますよ。仮に自分がそれをゆだねられたら生涯悩むと思うので、拒否したいです。

 

生を尽くしたところにある死がああいう穏やかさに満ちているなら、是非ともそこまで諦めないで欲しいと願っています。


“自分にとっても、家族にとっても後悔を残さない選択をしたい。”

 


私もずっとそう考えて選択してきました。


“死ぬことや、生きることをもっと考えて欲しい。”

 

 

 

 

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