投げやりな虚無感はあるみたい
このごろやっぱり寝ていても肩やら背中やらが凝ります。ただ寝ているだけでなんで凝るのかわかりませんが、足のむくみもわりと強いので、全身の代謝が悪くなっているのかもしれません。こうなると多少のことでは痩せないのよね〜 (*-д-)-з
むくみがひどくなってから余計に代謝の悪さを感じるから、うかつにダイエットすることも考えなくなりました。なにをやっても無駄な気がするから…。
昨日、Twitterでつぶやいていたんですが、このごろこういう心境も普通にありまして。
長年、介護をやっていて、自分も病気で、人生の行き着く先を見ちゃったら、なんだか結構どうでもよくなるものなんだなあ、と思います。どこか刹那的でどこか投げやり。
まだこれからの子供がいれば全然違うと思います。子供たちや若い人には未来があるからね。健康で活躍出来る未来であって欲しいので…。
我が家でも甥や姪が家に居た時は、年中行事をそれなりに真面目にやっていました。「子供に伝えていかないといかんしな」と母が言っていて。
でも弟夫婦が離婚したらなんだかもうそういうこともどうでもよくなってしまった (ーー;) 伝えるべき子供がいないんだからもうどうでもいいや、と…。お正月とお盆の行事くらいは残りましたが、それも両親がいなくなると私は全部やめてしまったし…。伝えるべき相手がいないと本当にどうでもよくなります。
健康に関することもわりとどうでもいいです。だから添加物とか放射能とかも気にしていません。ちょっとやそっとのことがあっても寿命があれば生き残るだろうし、寿命が尽きれば早く死ぬかもしれませんが、まあ、それもわりとどっちでもいいです。
ただ、今年見る花は今年だけのものだなあ、と思うと、そういう綺麗な瞬間は心に留めておきたいと願ってしまいます。
「時分の花を誠の花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。」と世阿弥は言っていますが、真の花に成長するものをどれくらい見守っていけるだろう?とよく思います。
似顔絵じゃなくてイメージ画…だと思う
さて。TwitterやFacebookなどのSNSで、1〜2年前からリクエストをいただいていたんですが、先日も何人かの方に「羽生さん描いてください。見たいです (^_^;)」というので、私もついうっかりその気になってしまいました (^_^;)
私、もしかして三次元の人をモデルにしたことって過去に1、2度しかないんじゃないかしら?二次元のアニメや漫画の絵でもあんまり描いた記憶がないんだけど…。写実的にリアルに描くのが苦手なのもあります。基本が漫画的な記号化された絵だしね。
脳の使い方が違うらしいですね。
「似顔絵」は最初から無理だとわかっているので、どちらかというと「イメージ画」かなあ、と思います。
一昨夜、ClipStudioを立ち上げて、ポーズ人形で試行錯誤していたら、なんとなく描けそうなポーズになったので、それで描いてみようかと思います。ああ、でも細いなあ…。脱いだらすごいけど… (^_^;)
下書きしているうちに、きちんと背景まで入れて、作品として仕上げたいなあ、と思うようになりました。もうイメージはあるんですね。これの他に「SEIMEI」も描きたいけど…。(あの衣装の方が描くのはきっと楽)
しばらくかかりそうなのに、なんとなくワクワクしています (^_^;) 三次元のモデルを描くのが楽しいなんて、何十年ぶりでしょうか?
無事に完成したらいいなあ、と思います。あんまり自信はありません。完成図は見えてるけどね (^_^;) 成功するかどうかはわかりません。
…結局、絵を描いている時に一番自分が生きている実感がありますね。これはもうどうしようもないことだと思います。