介護の「共感」に救われる
昨日はいつもの看護師さんが弟のところに上がる前に、私のところに来てくださったので、しばらく話をすることができました。
それで看護師さんに「家族としてお母さんにしてあげられることは十分してあげてますから…」と言われて、ちょっと気持ちが楽になったみたいです。
この程度でいいの?とずっと自問自答していたから…。そうか、いいのか…(^_^;)…よかった。
どうしても父の時の介護と比べて「足りない」気持ちが大きくて、でも一人ではできることって本当にわずかしかなくて、母に申し訳ない気持ちもあって、だから苦しかったのかもしれません。共感を欲していたんだなあ、と改めて思い知る…。残念ながら、介護ばかりは実体験のある人にしかわからない部分があるのですね。そこはどうしようもありません。
看護師さんも同世代だけあって、お父さんが入院されていると聞きましたし、そのへんがね、やっぱり同じ場所にいる感じかな?「家族としてできることは限られてるしね…」ということで、プロでもそうなんだから、私なんかどうしようもないなあ、と理解して納得した次第です。
難しいことですが、「親の介護」という課題にこの先ぶつかる人も多いと思います。やっぱり癒されるのは共感なんだね。その時が来たら、同じ立場で悩んでいる人に打ち明けるのがベストだと思います。解決策がなくても、共感だけで癒されるんだなあ、と思いますし…。
鼻のチューブが取れたら楽になると精神科の先生にも言われたし。違和感があって気持ちが悪いからあんまりしゃべってくれないのかも、とのことです。胃ろうのタイミングは先生にお任せするしかありませんが…。
でも気がかりの一つがちょっと改善された感じで、私も少しずつ浮上しています。こういうのって外的要因が結構あるんだね。
私でも爆発することはある
訪問看護師さんは私がわりといつも穏やかだと思っておられると思います。
でも過去に何度か爆発したことがありました。人目もはばからず大泣きしたことが2、3度。
まだ母が元気だった頃に、弟がアルコールの離脱症状で癲癇を起こしました。最初の頃はこの癲癇が離脱症状だとはわからなかったんですよね。(今はわかったので、予防的にもデパケンをもらっています)救急車で病院に行った時に、その時の救急担当の看護師さんがね、アルコール依存に対して誤解があったのか、理解が足りなかったのかわかりませんが、普通の病気の患者さんに対する扱いと全然違うのですね。
弟は治療が終わっても神経に影響してるのか何か、自分で動けないんですね。母と二人で180センチ以上ある大きな男をどうやって表に連れ出したか記憶がありません。タクシー乗り場まで行こうとするけど、そこまで動けなくて、マイクロバスの乗り場の椅子に座り込むし。
どうしようもなくなったんですが、私はそこで目眩を起こして、通路の石畳に倒れて起き上がる気力もなくなりました。屋上から飛び降りようかと思いましたが、屋上は施錠されてるのもわかってるし。もう倒れたまま、どうしようもなく情けなく悔しく悲しくなって、そこで号泣。
まだ夜の9時前だったので、人通りも多かったですし、母がおろおろしているのもわかっていましたが、もうモブとかそういうのもどうでもいいやー!と思って、しばらく気がすむまで数分くらい泣き続けていました。「見られて恥ずかしい」とかいう気持ちって全然ないんです。「これは自己防衛だ」って頭のどこかが納得しているのがわかりました。
弟が立てるようになるまで、起き上がる気になりませんでした。で、気が済んだらスッキリした。
思い出してもいまでも恥ずかしい感情なんてないんですよね。生きてるからそれでええやん!という開き直りみたいな感じで。以後も本当に堪えきれなくなったときは人前でもかまわず大泣きしています。こんな時にプライドなんてどうでもいいや、といつも思う。助けてくれない他人の視線なんかどうでもいいや、とも思うし。
いつも救いのイマジナリー・フレンド
私のそばにはいつも第三者的な別の視線と視点が存在しています。
それは10代のころから大事に育ててきたキャラクター=イマジナリーフレンドであり、もともとは私の中にいたのであろう彼らの視点を借りることによって、あれはどういうのかな?一種の演技に近い感じで「いま泣いてもいいから」と言われている気がするのですね。
解離ではないのは、いついかなる時でも主体である私が中心に存在していること。「自分がいなくて別人格がある」ことはまったくないのです。だから必要な時間が経てば彼らの存在がちゃんと現実の私に戻してくれる。非常にありがたいものだと思っています。
私の身近なキャラクターたち。
本当はずっと物語が存在するから、すごくたくさんの老若男女のキャラクターが存在するんですが、代表的なものだけ(^_^;) もっと理性的なキャラもいるんですよ。
いまはもう漫画は描かないですが、すべてのキャラクターに生まれ育った背景も性格もちゃんと存在するんです。
言ってもせんないことですが、彼らの物語をきちんと描いてあげられない私の力不足が悔しいです。
ああ、でもこの共感はやはり同じように大人になってからでもイマジナリー・フレンドと一緒にいる人にしかわからないだろうな、というのもとっても残念。
彼らがいるから、私はひとりでも孤独を感じないでいられるのです。
詳しく知りたい方はYukiさんのこれらの記事もお読みください (^_^)